第十二幕 謎の通り魔

「近頃、客足がいやに遠退いておりますね」


 全の湯呑みに茶を注ぎながら、涼一はそう口にした。途端、全の眉間の消えない皺が更に深まる。


「あれだ。あいつだ。通り魔」

「……やはりですか」


 納得したように、涼一が頷く。このところ、吉原に住む者の話題と言えばもっぱそれ・・であった。


 今吉原では、夜になると、通い客が何者かに襲われるという事件が起きている。奉行所も捜査に乗り出しているが、未だ犯人の目処は立っていないのだと言う。


「いつかの心中の時と違い、今回は遊女と懇意でなくとも襲われる。客足が遠退くのも、確かに道理なのでしょうね」

「ああ。だが原因はそれだけじゃねえ。こんだけ閑古鳥が鳴いてんなァ、恐らく太田屋ウチだけだ」

「どういう事です?」


 涼一が問うと、全は湯呑みの中身を一気に喉に流し込む。そして、忌々しげに言葉を吐いた。


「……太田屋ウチなんだとよ」

「は?」

「通り魔に襲われた奴らが通ってた店ってのが、全部太田屋ウチなんだとよ」


 ……被害者が、総て太田屋の客。予想もしていなかった事実に、涼一が息を飲む。

 そういえば、昼に奉行所の役人が旦に会いに来ていた事を涼一は思い出す。あの時は、他の店も同様に聞き込みに来られていると思っていたのだが。


「……どういう事です? まさか商売仇のどこかが?」

「解らねェ。奉行所も、一先ひとま太田屋ウチに恨みを持ってる奴を当たってるそうだが……」

太田屋ウチに、恨み?」

「と言うより……あの馬鹿兄貴にだな」


 そう言われては、涼一も納得せざるを得ない。この太田屋の主である旦は、表向きは人当たりの良い遊び人だが、裏ではすねに傷ある後ろ暗い立場の人間に深く恨みを買うような事もしているらしい。もっとも彼らがそれを明るみに出来ない事を承知の上で旦は裏の顔を見せているのだから、それらが表沙汰になった事などほぼないのだが。


「しかし何故、それが、旦様個人への恨みだと?」

「……まァ、お前は他に言い触らす奴じゃねえしな。……通り魔にやられた奴が、口々にこう言ってるそうだ。『せつを返せ』と言われた、とな」

「……女、ですか」

「多分な」


 徐々に涼一にも話が見えてきた。旦の女遊びの激しさは、吉原に長くいる者ならばその殆どが周知する事だ。

 旦が手を付けた女に懸想する男が、旦を狙って、太田屋から出てきた男を片っ端から狙っている。話を聞いた奉行所がそう判断したとしても、おかしくはないだろう。――しかし。


「ですが、旦様と懇意にしている女ではないでしょうね。何故なら旦様は、遊女しか相手にしない・・・・・・・・・・

「ああ」


 涼一の意見に、全も同意する。旦は確かに奔放に女を抱くが、素人の娘にだけは決して手を出さない。それは太田屋に勤める者全員の、暗黙の了解だった。

 せつと言うのは、どう聞いても遊女の名ではない。ならば。


「ならば、残された可能性は……太田屋ここに売られる前の、遊女の知り合い」

「その可能性が高いな」


 辿り着いた結論に、二人は頷き合う。どこでその遊女が太田屋に売られたと知れたかは解らないが、そう考えるのが一番自然だと、二人は思った。

 だとしても、解らない事は多い。通り魔は何故直接太田屋に乗り込まずに、客を襲い続けているのか。


「……そういえば、通り魔と言えば、こんな噂もございますね」


 ふと思い出したように、涼一が話題を変える。全は文机に頬杖を突き、それを聞いていた。


「通り魔はまるで、人の心が読めるように一度狙った相手をどこまでも追いかけてくる……と」

「……ハッ。馬鹿馬鹿しい。そんな奴いてたまるかよ」


 涼一の言葉を口では一笑に伏す全だが、顔色は優れない。世の中には、人の理解を越えた事象が存在する。それを――身をもって知ってしまったが故に。


「私も戯れ言だとは思いたいですが、かなりの大男だというその通り魔がこれほどまでに見つからない理由がそのせいだとしたら……少々厄介な事になりますね」

「……」


 続けられた言葉に、全は、眉間に深い皺を刻んだまま応えようとはしなかった。

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