第十三幕 忘れた煙管(キセル)

 通り魔の噂が立とうとも、店は開けなければならない。夜になればいつものように、太田屋に灯りが点った。

 しかしやはりと言うべきか、客の入りは今日も目に見えて悪かった。太田屋に通った者は、通り魔に狙われる。その噂が、広く流布されているのだろう。

 こうまで噂が広まった原因は、恐らく、太田屋の商売敵や旦に反感を持つ者達。太田屋の敵の多さを、涼一は改めて実感した。


「涼一様、涼一様!」


 客がいなければ、下男である涼一もまたする事がない。暇を持て余していると、不意に、背後からかかる幼い声があった。


「はい?」


 涼一が振り返ると、そこには一人の童女がいた。遊女の世話役にして自らも遊女見習いの禿かむろである彼女の事は、涼一もよく見知っている。


「どうしました、小鈴こすず様?」

「涼一様、先程お帰りになられたお客様がどちらに出ていかれたかお解りですか?」

「先程のお客様ですか?」


 言われて涼一は、ほんの少し前の記憶を手繰り寄せる。最後に店を出た客ならば、確か、右手の方に出ていった気がした。


「それでしたら右手の方でしょうか。一体どうされたのですか?」

「お客様が煙管キセルを忘れていかれたのを、小雪こゆき姐さんが気付いたんです。それで、私が届けに」

「それなら私が代わりに……」

「いいえ、私でなければお顔が解りませんから」

「涼一、清音きよねの客がお帰りだ。部屋を整えてやれ」

「は、はい、只今」

「それじゃあ、ありがとうございました、涼一様」

「あっ……」


 涼一が止める間もなく、小鈴は外へと出ていってしまった。追おうとするも、番頭に更に強く名を呼ばれてしまいそちらに向かわざるを得ない。

 脳裏をよぎるのは、太田屋の客だけを狙うという通り魔の噂。もし小鈴が、その通り魔と会ってしまったら。


(……杞憂に、終われば良いのだが)


 そんな不安を、胸に抱きながら。涼一は、入口に背を向けた。

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