第23話 助けられた娘 ファルカス
救出された女たちは、すぐにケレペシュの城に到着した。捕らえられていた屋敷の馬は人数に足りず、更に高貴な女たちは徒歩での旅に慣れていないということで、当初は歩みは遅々としていたということだったが。状況を聞いたファルカスは、すぐに馬車を数台仕立てて迎えに送ったのだ。女たちが誰の身内なのか――即ち、リカードから誰を離反させることができる可能性があるのか、早急に確かめる必要があると考えたからだ。
すぐにではないかもしれないが、人質を失ったことがリカードの陣営に届けば、きっと動揺が走ることだろう。その隙を突くべく出発の準備を急ぐ一方で、人質を受け入れるために城の一角も慌ただしく整えられた。彼の軍が踏み入って以来、息を潜めて縮こまるようにしていた本来の使用人たちに、改めて仕事を与えられたのだ。身分を確認できた女たちは、王都なり他の地方なりの行き先が定まるまで、しばしこの城で休養することになる。
女たちやその子女らが、一組ずつファルカスにひれ伏して謝意を述べ、それぞれの部屋に落ち着いた後――まだ、彼が会うべき者たちが残っていた。人質と同様に助けられたものの、立場は全く同じではない者たち。最初に報告もされていた、ジョルト卿の妻子のことだ。聞けば、その者たちは自領が襲撃を受けて当主が殺害された後、リカードの軍に同行を強いられていたとか。
人質についての証言は正しかったようだが、エルジェーベトの言葉を信じ切ることは難しい。何より、用が済んだ以上はさっさと首を刎ねるに限る。だから、リカードの動きについて多少は見聞きしているであろう彼女たちに話を聞くのは、有意義なことのはずだった。
ファルカスが仮の執務室としている一室に呼び出すと、母娘は身体を寄せ合うようにして入室してきた。身なりは整えさせ、食事なども十分に与えるように命じてはいるものの、何かしらの罪を問われるのではないか、という疑いを拭うことができないのだろう。ふたりは、お互いがいなければ歩くこともままならないほど怯え切っている様子だった。
「そなたたちの夫、父については不憫なことであった。リカードめの毒牙にかかることがなければ、共に戦うことができていただろうに」
亡きジョルト卿が、元々はリカードの閥に属していたことには触れず、ファルカスはまずは哀れみ労わる言葉を選んだ。リカードが寄越した文と状況から考えれば、件の男が旧主を裏切り王のもとに参じようとしていたのは間違いないように思える。アンドラーシあたりは遅すぎたのだ、とでも言うのかもしれないが――妻子には何の咎もないのだろうし、何より、今は何の力もない存在なのだ。敢えて厳しい言葉をかけることに意味があるとは思えなかった。むしろ、無駄に怯えさせては情報を聞き出すことも難しくなってしまう。
「もったいないお言葉……!」
案の定というか、彼の言葉に母娘はいたく感激したようだった。この程度の言葉を慈悲と捉えるとは、どれだけ悪い想像を膨らませていたのか。見れば頬も
「……大分苦労をしたと聞いた。捕らえられた者たちのために慣れない仕事をしてくれていた、とも。父のことと此度の働きを鑑みて、決して疎かにはしないから案じるな。母娘ともども、どこに落ち着くべきかはこれから検討するが――恐らくは、元の住まいに戻してやることができるだろう」
「不忠のまま死んだ父ですのに、身に余るご恩情でございます……!」
安堵の表情を浮かべたのは母も同じだったが、感極まったような叫びを上げたのは娘の方が早かった。悲惨な境遇は母娘に共通するとはいえ、貞操の危険があった分、娘の方が心の消耗は激しかったのではないかと思えるのだが。だから、娘のはきはきとした受け答えは、少しだけ不思議なことのように思える。
――思いのほか気丈なのだな。若い方が心強くいられるのか……?
不審には思ったものの、ファルカスの目には娘の態度はむしろ好ましく映った。遠慮や畏れがない方が話をし易いし、何より、苦難に遭っても折れない心の在り方は、彼のふたり目の妻を思い出させるから。無論、美しさでも負わされた苦難の重さでも、この娘はシャスティエと比べるべくもないのだが。そしてそのシャスティエも、最後に顔を合わせた時には不安に美貌を曇らせていたのだが。
妻たちの心は、今もまだ晴れてはいないだろう。ミーナもシャスティエも、それぞれに肉親や子供の未来を案じて暮らしているはず。傍にいてやれないこと、彼自身が妻たちを苦しめ悩ませていること、ふたつの理由によって胸が微かに痛んだが――今考えても仕方がないこと、と。何度目かはもはや数え切れないが、自身に言い聞かせて、ファルカスは主に娘に対して話しかけることにした。
「恩に着せるつもりはないし、そなたたちの答えによって扱いを変える気も全くない。思い出すのが辛いというのも分かっている。だが、それでも。内容次第ではそなたたちの功績は剣を持って戦う男以上のものにもなり得よう。――リカードの動きについて、勘づくこと、見聞きしたことはなかったか?」
「は、はい。私などの言葉が陛下の御為になるのでしたら……!」
この類のことを訊かれるのを覚悟はしていたのだろう。言葉に出して頷いた娘の横では、母親も必死の形相で首を上下させていた。
王が相手では舌も重くなるだろうと配慮して、ファルカスは母娘から話を聞き出す役目を、まだ優し気な見た目であろう文官に任せた。戦いにおいても何かと記録し計算する場面というのはあるものだし、今回などはまさにそのような機会ということになるだろう。ふたりの証言をひと言も漏らすまいと卓上に紙を広げ、筆を執って――だが、その文官の手が動くことは、結局ほとんどなかった。
「やはり、こんなものか……」
証言を大雑把にまとめると、女たちは、リカードの前では怯えてほとんど顔を上げることすらできなかった、ということらしい。よく考えてみれば、リカードの機嫌を損ねれば命も危うい状況、しかも助けが来るかどうかも分からないとなれば、聞き耳を立てる気になれなくても無理はない。シャスティエのように――時に必要以上に――恐れを知らない女というのは、特にイシュテンでは珍しいのだ。
――これがこの者たちの生きる術ということなのだろうしな。我が身の無事以上のことなど、女は本来考えずに済む方が良いのだ。
恐怖の記憶を掘り起こすのは、心弱い女たちには苦痛に他ならないだろう。何より、無理に聞き出そうとすることで、それらしいことを
「疲れているところに無理を言ったな。もう休むが良い」
「あ、あの、申し訳ございません……」
咎める意図など全くなく、ただ退出を促しただけのはずなのに、娘は涙ぐんで声を震わせた。それがまた大げさに思えてファルカスは軽く眉を寄せた。
「答えによって扱いを変えることはしないだろうと言ったはずだが。王の言葉を疑うか」
そのような物言いこそ、娘を怯えさせて、事態を面倒にするだけだとは分かっていたのだが。天真爛漫なミーナとも、とにかく物怖じしないシャスティエとも違って、ひたすら縮こまるだけの女の扱いなど、ファルカスは慣れていなかった。
「いえ、滅相もない……! あの、でも……できれば、陛下のご慈悲を乞いたいことがございました。そのためにも、お役に立つことができれば、と思いましたのに……」
「この上何を望むというのだ? 形のある保証でも欲しいのか?」
「フリーダ! お止めなさい、無礼な……!」
今度こそはっきりと尖った王の声に、母親の悲鳴が重なった。我が子を制するための呼びかけで、ファルカスはほとんど初めて娘の名前を認識した。このような機会によって王に名を覚えられることが、娘のためになるとは思えなかったが。
ファルカスの視線を受け止めて――というか、受け止めきれずに、フリーダと呼ばれた娘はもはや跪くというよりへたり込んでいた。リカードに対しては顔も上げることができなかったと言った癖に、王に対して物を言う勇気は、一体どこからかき集めたのか。蒼白になり舌を
同じ口答えでも、シャスティエの場合はまだ相手の理屈が推測できるから斬り返す言葉にも迷わずに済んだ。祖国のため、女王の矜持――シャスティエのような心の
娘の頑なさと怯え方、蛮勇めいた発言と自身の言葉に震える弱さは全く釣り合わず不可解だった。訳が分からない――だからこそ、彼の苛立ちは募り、娘を見る目を鋭くさせた。
「もう一度だけこの哀れな小娘に機会を与えてくださませ……! ティゼンハロム侯爵に従う方々に、侯爵の非道を訴えて見せます! 他の奥様方は……旦那様方のお立場を思うと、難しいと思われるかもしれないと伺いました。でも、私は違います。もはや寄る辺のない身ですもの。それに……侯爵が父に何をしたか、多くの人に知らしめたいのです!」
「お前の考えではないな? 誰に何を吹き込まれた!?」
そして伺う、というひと言を聞き咎めるに至って、ファルカスは思わず声を荒げていた。大の男を叱責する時の声量、女たちにとっては雷に打たれたような心地だろう。母娘が震えて抱き合うのを見て、内心で舌打ちをする。これでは相手は委縮するばかり。不審の源を解き明かすには悪手でしかなかった。
頭では分かっていながら脅すような声を上げてしまったのは――それほどに、娘が漏らした言葉は聞き捨てならないものからだ。娘は、彼が密かに悩んでいたことを正確に言い当てて見せたのだ。
人質を助ければリカードの陣営を崩すことは容易いだろう、と思っていた。助け出した女たちに、手紙なりで夫や父や息子に訴えさせれば、と。囚われの日々での心身の疲弊はあるにしても、何も戦場に出て呼び掛けろ、などと命じる訳ではない。だから応じる者はいるだろうと算段していたのだが。
だが、実際には女たちは彼が思っていた以上に臆病で慎重だった。気丈に振る舞っていると見込んだ者を選んで何人か話を向けてみたというのに、王の名を出しての要請だというのに、今のところ頷いてくれた者はいない。
『夫が侯爵のお怒りを買うのではないかと思うと……』
『申し訳ございませんが、女の身には過ぎたお役目ですわ』
誰もが言葉通りに怯え切っているということでもなくて、まだ戦況を見極めようとしている――ファルカスこそが敗れる万が一に備えたいという打算、同じ境遇の女たちの中で一歩抜きん出ること、それによる嫉妬ややっかみの方が恐ろしいという思いも透けて見えた。だが、分かったところで否と言っている者に無理強いをするのも憚られた。王とは言え、乱の後を見据えれば臣下の信頼を損ねるような真似は慎みたい。たとえ一見では力のない女であろうと、身内の男に対しては大きな影響力を持ち得ることは彼もよく知っている。
だから、娘の申し出は確かに願ってもないことではあった。だが――
――あまりにも都合が良い……。俺が望むことを知った上で、高く売りつけようとしているようではないか……!
怯え切っているように見える小娘に「足元を見られる」など不快でしかない。まして、娘の言葉が何者かの筋書きに従っているのだとしたら警戒せずにはいられない。何しろ娘に入れ知恵をすることができる者は限られる。捕らえられていた屋敷から助け出した将兵は、娘の元の身分を気遣って馴れ馴れしい態度は取らなかったはず。この城に落ち着いてから身の周りの世話をする者も同様だ。そもそも、昨日今日会ったばかりの者の言葉に従って王の不興を買うなど正気の沙汰ではない。
娘の心の隙に取り入ることができるとしたら――
ファルカスの脳裏に、黒っぽい影のようなものが過ぎった。ひどく忌まわしく汚らわしいと感じるその影がはっきりとした像を結ぶ前に、娘はふ、と頬を緩めた。はっきりと笑ったというよりは、どこか気が抜けたかのように。彼の詰問を切っ掛けに、心中の全てを打ち明けることができると、安堵したようだった。
相変わらず震えて涙ぐみながらではあったが――娘の声は誇らしげだった。自らが語ることが正しいと信じて疑わない者の晴れやかさすら備えていた。
「あのエルジェーベトという方……側妃様と王女様に対しての罪で死を賜るのだと伺いました。それは仕方のないこととは存じます。でも、全ては王妃様のため……! 私どもが無事にこの場にいられるのもあの方のお陰なのです! 卑しい身に、あの方の命乞いをすることが許されるはずもございません。……でも、せめて……あの方も、罪を償うお気持ちでいらっしゃるということですし……。最期にひと目、王妃様に会わせて差し上げたいのです……!」
――だから、自身の手柄をあの女のためにくれてやるというのだな。
エルジェーベト――彼の妻子を傷つけ苦しめ悩ませる、殺しても飽き足らない女の姿が、目蓋の裏にはっきりと見える気がした。ただ、娘にはあの女のことが全く違った姿に見えているらしい。あの残忍な女が、一体どういう訳でこのように熱っぽい目と口調で語られるのは分からないが――ただひとつ言えるのは、あの女はまだ諦めるつもりなど全くないのだろうということだった。
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