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 優越感に浸り、酔狂すること。それが美姫の唯一の行動理念であった。虐げられた他者の苦しみや悲しみの上を優雅に闊歩する己の姿に酔うことがこの上なく快感であり、同時に後戻りできない程に、その中毒性に侵されていた。

 表向きは少し二面性のある、子供騙しの蹴落としやいじめといった些細な行為しかしないような、社会的には至って無力な女子高校生を演じていた。しかし、その程度の〝手段〟など、とうの昔に使い尽くしてしまっている美姫からすると、人生のスパイスに物足りなさを感じて苛まれることは必至であった。


 そのような、日常に味気無さを感じるようになった彼女の前に、一人の男が現れる。初めは学校の数学教師に扮して、彼は美姫へと接触を図ってきた。無論、表向きは校内のカースト最上位に位置する気の強い生徒として通っていたため、彼女は授業をそれなりに真面目に聞き、教師とのかかわりも多々あった。つまり、美姫は学校内において顔が広かった故、多くの生徒、教師たちと密接な繋がりを築いていたことになるのである。その彼女ですら、件の男が本物の数学教師であると疑いもしなかったのには、当然の如く理由があった。

 同じ顔、同じ声、同じ話し方、同じ仕草を前にして、さらに会話に違和感がなければ、それが別人であると気付ける者はそうそういないだろう。結論から言うと、その男は数学教師と全く同じ遺伝子を持った人間、すなわち血を分けた兄弟であり、彼曰く、双子としてこの世に生を受け、彼自身は兄の方であるとのことであった。なるほど、例え少々性格が違っていたとしても、同じものを持っている者同士が同じ動きをしさえすれば、赤の他人には見分けなど到底つかないだろう。かくいう美姫にも区別がつかなかったのだから、彼の言うことに間違いはないだろうと判断できた。


 しかし如何せん、数学教師と瓜二つの顔を持った男が、わざわざ教師のふりをしてまで美姫に近づいてきたのかが彼女には分からなかった。もし、数学教師が生徒の情報を自分の兄弟に垂れ流しにしていたのなら、それはかなりの確率で問題になるし、逆に、双子の兄が教師云々関係なしに美姫だけを狙って接触してきたのなら、これはまた別の意味で犯罪となる。彼女が男に疑いを抱き始めた時点で、既に教師のふりをした彼と何度も会話をした後であったことも、彼女の疑念に拍車をかけることとなった。


 この警戒が悉く切り捨てられたのは、はっきりと男の目的を聞いてからであった。


〝天使の粛清〟


 このワードだけを聞いた時、リアリストの美姫は顔を顰めるのみであった。そんな美姫でなくとも、この国に住むものなら大抵はふざけているとかありえないなどという否定的な反応を示すことだろう。けれども、その存在を目の前でもって証明され、尚且つその存在が罪であり、粛清されるべきものであることを告げられるや否や、彼女は歓喜した。


 合法的に、自分ではないものを痛めつけることができる。


 自分はそれらを自由に虐げて、快感に浸ることができる。


 そして彼は、忌むべきものを排除することができる。


 互いの利害が一致した瞬間だった。この時、彼女が一つだけ引っかかった個所があるとすれば、何故彼女を選んだのか、という点だった。これでも体裁をうまく保つ能力のある美姫にとって、彼女の本性が第三者に漏れ出ていることは致命的なことであった。しかし、この懸念もすぐに吹き飛ばされることになる。

 彼曰く、過去に彼女の生贄となった人物が、正しく天使であった、とのことであった。その天使から、半ば事故の形で聞いたのが、美姫の存在だったのである。男は純人間の中で同志乃至協力者を探し出していた故に、この情報を嬉々として利用しようと、こうして美姫に接触してきたのであった。天使の話を文章化した証拠の書類を渡された美姫は、これらの証拠やそのデータを全て焼却消去することを条件に、彼と手を取り合うことに同じたのである。


 男と手を取り合ってからは、それはもう、通常なら犯罪レベルの精密さで個人情報が美姫のもとへと送られてきていた。彼女はその情報に従って、持ち前の隠匿能力を駆使しつつ、天使を虐げ、弄び、悲鳴をあげるさまを愉しんでいった。物語に登場する天使どもは、決まって人間よりも高位で絶対的な存在であるにもかかわらず、目の前にいるそれは、羽と輪っか以外はそこらにいる人間と大して変わりはしなかった。


 一つ問題があったのは、彼らの持つテクノロジーが美姫の知るものより数段階上のものであるが故に、逃げられたり反撃されたりしやすいという点であった。この点は、男が亡き天使から回収した装置を分析し、そこから対抗装置を開発していたことによって解決された。美姫は男から黒光りする小型の拳銃と鞭を受け取った。試しに使ってみると、従来の拳銃とは大きく異なり、見た目に反して無音かつ正確な攻撃を可能としていた。鞭に関しては、彼女の知らない不思議素材で作られているせいか、天使がもがこうが暴れようが技術を使ってこようが、拘束されたまま、千切れることはなかった。


 勿論、味を占めた美姫は情報のもたらされるままに、自己満足をぶつけていった。男と出会ってから早三か月。彼女は最早、戻ることなど叶わないところまで堕ちてしまったのである。それでも、彼女は〝粛清〟を続けていった。傍らで男の様子がおかしくなりつつあることに気付いていながらも。本当は粛清が目的なのではなく、彼らのテクノロジーを狙っていたのだということが分かっても。彼にとっても彼女にとっても、天使が彼らの玩具であることにかわりはなく、それ故、美姫は自らの行いをやめるつもりは毛頭なかった。


 彼女が己の欲望のままに無双できていた時期は、早くもその後一週間で打ち切られた。美姫達〝粛清者〟の最大の天敵である〝天使公安部〟が、彼女の思っていたよりも、ずっと身近に存在していたからである。

 瑞野加絵。美姫と同学年であり、別クラスに所属している女子高校生。彼女に〝粛清〟の邪魔をされるまでは、美姫の視界にすら入ってこないような、凡庸な人間であった。しかし、美姫と同じように、彼女も自身の実力や正体を隠して生活していたのである。


 初め、美姫は焦った。動揺したと言っても良い。学校生活で美姫の本性が露見するような失態は侵していないものの、それは彼女の裏での行動が見られていないことが前提であった。その前提が覆されてしまった上に、美姫の所業に介入し、動きを阻めるほどの実力を持っていたという事実を突きつけられた時点で、美姫の敗北は決定していたのである。彼女は動揺しながらも、持ち前の強靭な精神で錯乱状態に至るのを防ぎ、そして瞬時に、加絵によって恒常的な監視をされるようになるか、最悪捕縛されて何かしらの刑に処されるかもしれないと勘えた。


 加絵が下した処置は、前者であった。その日はまだ天使を殺すには至っていなかったし、そもそも加絵自身が厳しい処罰に対して難色を示していたからである。美姫にとっては彼女の立場など知ったことではなく、寧ろ好都合ともいえるものであった。加えて、天使の中にも一筋縄ではいかない連中が存在するのを認知できたという点で、自らの驕りを改められたことは幸運でもあった。

 それからというものの、加絵と美姫は犬猿の仲というよりも宿敵という立場に立ち、美姫は危険な綱渡りをする日々を過ごしていったのである。

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