αSide1

『○○市△△区在住の阿波野美姫さん(16)が、昨日未明、行方不明になりました。警察は本日から行方の捜索を行っており……。尚、昨日の学校の放課後までの時間は、美姫さんの姿が目撃されていたとのことです……』


 堅苦しいアナウンサーの声とともに、流れていた単調な映像が打ち消される。残ったのは真っ黒な液晶画面と、その画面に映る、一人の少年の姿のみ。少年は緑色の電源ボタンにかかった人差し指を放し、リモコンをテーブルの上に置いた。深く息を吐き、獰猛さを孕んだ気だるげな視線を、ゆっくりと動かす。

 六畳一間の小さな貸し部屋の中はカーテンが閉め切られており、仄暗い。キッチンや風呂場は窓がないせいか、夕方であるにもかかわらず、夜のように暗く沈んでいる。少年は徒に何もない殺風景な部屋を見回し、また、息を吐いた。テレビ横に立て掛けてあるミニ帚を手に取り、磨かれたような床の上にぽつねんと転がる、小さな埃を掃きとった。


 一仕事終えた少年は、スクールバッグのジッパーを開いた。中から今日の課題を探し出し、テーブルの上に広げる。筆箱から愛用のシャープペンシルを取り出して、カチ、カチ、と丁度良い長さまで芯を出した。マニュアルのような姿勢で机に向かい、暫し課題と奮闘する。


 三時間ほど経った後、不意に少年は顔を上げた。途中で点けた電気スタンドの蛍光灯が、チロチロと白い光を放っている。少年はすっかり暗くなった部屋の中で、テーブルに置き去りにされていたスマートフォンに手を伸ばした。片手で電源を入れ、表示された時刻を見遣る。


『21:07』


 少年が目を細めると、周囲の空気は一段と冷えていった。彼は課題のノートを几帳面にバッグの中へ戻し、立ち上がった。そこから数歩、部屋の中を移動し、気持ち程度に取り付けられたクローゼットの前で立ち止まる。扉を開き、白いコートの掛けられたハンガーを手に取る。ハンガーからコートを外すと、彼は白いコートに袖を通した。まだあどけなさの残る彼には少し堅苦しいデザインをしているそれは、夜闇の中で妖しげな存在感を放っていた。少年はもう一度クローセットの中を探り、中から愛用の刀を取り出していつものように腰に据え付ける。準備が完了すると、彼はクローゼットの扉を閉め、暫くそこに佇んだ。


 ドアベルが鳴る。

 固まっていた少年は、テーブルに置いていたスマートフォンを手に取りポケットに仕舞うと、そのまま玄関へと直行した。何の躊躇いもなくドアを開き、その向こう側にいる人物と対面する。


「こんばんは、先輩! 相変わらず防犯意識が低いですね!」


 くせっけの強いヘーゼル色の髪と、淡いそばかすに、大きな丸眼鏡が特徴的な少年が、元気よく挨拶をする。どことなくリスのような雰囲気を併せ持ったその少年は、髪と同じ色の円らな瞳を輝かせながら、たった今、家から出てきた少年を見上げた。


「何のことだ」


「きちんと、インターフォンで確認しろって、いつも言われてますよね?」


 途端に、意地の悪い笑みを浮かべる少年に、先輩と呼ばれた少年は顔を顰め、軽く舌打ちをした。


「ま、先輩ならきっと、大丈夫なんでしょうけど」


 小柄な少年の言う事を無視して、少年は扉に鍵をかける。その鍵を無造作にポケットの中に入れるのを、丸眼鏡の少年は見逃さなかった。


「生真面目なくせに、自分のことになると途端に杜撰になるんですね」


「うるさい、行くぞ」


 不機嫌な少年が足早に夜闇の中へと溶け込んでいく。丸眼鏡の少年は彼の後姿を眺め、妖しく舌なめずりをしながら「はい」と答えるや否や、彼もまた、夜闇に消えた。






 それは望月の日の夜のことだった。繁華街から少し逸れた裏路地の壁には、一つの小さな影と、その影を追う二つの影が、揺らめきながら色濃く映し出されている。逃げる影は息を切らしながら、必死に追跡者から距離を放そうともがく。しかし、追跡者は余程の手練れなのか、その距離は縮まっていくばかりだった。秋も終わりに近い夜の空気は、我武者羅に吸う息とともに、喉の奥を冷たく突き刺していく。逃げ惑う者は口腔に鉄の味を感じながら、それでも必死に走り続けた。


 唐突に、二つの影の前を行く一つの影が、建物の影に呑まれた。覚束ない足が障害物で躓き、身体が地面と相対する。固いアスファルトと、柔らかい肌が強く接触し、脆い肌が身体のあちらこちらで擦り切れた。逃げ惑う者は目尻に涙を滲ませ、歯と歯を強く噛み合わせた。幾ら拳を強く握って立ち上がろうとしても、とうの昔に限界を超えてしまっていた足が、言うことを聞く筈もなかった。その影が憤怒と共に奮闘している間も、追跡者たちは無情にも距離を縮めていき、ついには、起き上がれない一つの影を挟んで取り囲んでしまった。それらは冷たい視線を逃亡者に注ぎかける。


 最早、逃げ場はないといっても過言ではなかった。二つの影が、徐々に徐々に、ターゲットへとにじり寄っていく。それらの手には、妖しく光る刃物が握られていた。

 追い詰められた者の瞳から、とめどない涙が零れ落ちる。手と足が震え、死の恐怖に苛まれる。追跡者たちは勝利を確信したのか、それらは妖艶な笑みを浮かべた。刀を持っている方が一歩、逃亡者へと近づき、その手に持った刀を大きく降り上げた。


 刹那、大きく空気を切る音が鳴り響く。同時に、追い詰められていたはずの逃亡者が、二つの影の前から忽然と消え去っていた。今まさに相手を切らんとしていた者は、見る見るうちに顔を歪ませていく。


「ちっ、逃げられたか。追うぞ」


 相棒の返事も待たずに、壁を蹴って上へ上へと進んでいく。影の片割れは「はい」と短く返事をしてから、その後を追随した。

 建物の屋上まで辿り着くとともに、光を遮っていたものが無くなったからか、月の光が二人の顔を照らし出す。その顔は、獲物を狩る側のものとしてはあまりにも幼く、それでいて、二対の瞳は獣のそれと酷く酷似していた。


『殺られる前に、殺れ』


 そう言わんばかりに、二人の少年は開けた視界を見渡して、逃亡したターゲットを探していく。見つけるのにそう大した時間をかけることも無く、二人の少年は南西方向へと駆け出して行った。彼らの視線の先には、夜空を羽ばたく、一つの影。それは強力な月の光を浴びて、あられもない姿を露わにしていた。


 幼児体型の少女の頭上には、黄金色に輝く光の環が浮かび、その背からは一対の翼が出現していたのである。まるで天使の様相をしたそれは、翼を大きく羽ばたいて、鳥のように滑らかに、空中を突き切っていた。その遥か下方で、二人の少年がその異様な姿のものを追跡していく。


 丸眼鏡の少年は眼鏡を外しながら、上空を飛び去って行くモノに向けて左手を差し出し、その手で握られた〝何か〟の照準を合わせた。尋常ではない集中力で定められた標的に向かって、彼は引き金を引く。その〝何か〟から飛び出した物は、音を立てることなく夜闇を切り裂いた。そのまま逃亡者の片翼の付け根を貫通し、その場で爆ぜた。


 天使が落下していく。


 二人の少年はその落下地点へと急ぎ、建物の上を器用に移動する。刀を持った少年がその手の武器を大きく振りかぶりながら、落下地点へと跳躍した。

 両の手によって振り下ろされた刀は、落下してきた天使を頭から二つに分断した。綺麗に二等分されたそれは、重力に従って建物の隙間へと落ちながら、建物の障害物と何度も衝突し、幾重にも分断されていった。

 獲物を仕留めた少年は、刀に付いた鈍い色の血を振り落とし、刀を鞘に納めた。少し落ち着いてから二人の少年は建物を降り、落下したものの様子を確かめに行く。


 先程まで可愛らしい幼女の姿をしていた筈の天使は、今では無様な肉塊となって地面に転がっていた。その周りには、自身の血の色に染まった白い羽が、襤褸雑巾のように散らばっていた。丸眼鏡の少年はその姿を見て、無邪気な笑い声をあげる。


「大人しく切られていれば、ここまで醜い死体にはならなかったのに」


 口にする言葉とは裏腹に、彼の表情はどこか楽しげな様相を呈している。くつくつと嫌な笑い声をあげる彼に、もう一人の少年は眉間に皺を寄せた。彼は鼻から息を吐くだけで、死体には興味を持ち合わせていないようであった。彼は死体のそばに屈みこむと、羽に埋もれるようにして落ちていた金属の輪っかを拾い上げた。神々しき光を失ったそれには、無機質な金属光沢だけが残されていた。少年は徐に立ち上がると、「帰るぞ」とだけ口にして、死体に背を向けて歩き出す。その後ろを、ワンテンポ遅れて返事をした丸眼鏡の少年が、機嫌良く付いて行った。





「そういえば先輩、夕方のニュース見ました?」


 二人の少年たちは、何事も無かったかのように夜の街の人込みに紛れ込んでいた。しかし、彼らがどんなに幼い顔をしていようとも、目立つ白い外套を纏っていようとも、彼らを咎める〝大人〟は誰もいなかった。誰も、彼らを認識していなかったからである。故に彼らは真夜中の明るい繁華街を堂々と歩いているのであり、そして、彼らにとってはそれが当然の出来事であった。


「……行方不明者の話か?」


 前を向いたまま返答だけする少年に、丸眼鏡の少年の顔が綻んだ。彼は軽やかなステップで前にいる少年の横に並び、媚びるようなねっとりとした視線で彼を見上げた。


「そうです! 阿波野美姫さん、でしたっけ。確か、先輩と同じ学校に通ってる人じゃなかったですか?」


 少年は、ふと、思案する顔をして、すぐに顔を顰める。唇を強く結び、握った拳からは一筋の赤い液体が流れ出していた。丸眼鏡の少年は、心配そうに彼の右手を取り、その拳を開かせる。手の平の中央には、爪が食い込んだことによって出来たであろう、赤く細い傷が二、三あった。少年はその傷口を優しく撫でる。刹那、その右手が僅かに震えた。それを見た少年は、丸眼鏡の奥から妖しげな光を零した。


「同じクラスに、居た。茶髪の、波がかった髪型をしていた」


 二人は繁華街を抜け、唐突に寂しくなった歩道を歩き続ける。


「だが、テレビに映っていた本人の写真は、黒髪で、ストレートだった」


 丸眼鏡の少年は、掴んでいた相手の右手から手を放す。もう一人の少年を見上げるその視線は、どこか憐れみを帯びていた。


「それって、単にイメチェンしていただけだと思うんですけどね。……まぁ、そんなことはどうでもいいんです。重要なのは、誰が、彼女を攫ったか」


 彼は目を細め、低い位置から少年を射抜く。その視線を浴びた当の少年は、そのようなものを浴び慣れているのか、冷たく見返すだけであった。


「或いは、殺したか、ですよ?」


 少年は鼻を鳴らし、さも当然とばかりに返す。


「そんなの、天使しかいないだろう」




 丸眼鏡の少年は、満足そうに口元を歪めた。

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