第22話 ジャスト伯爵

「なんだ、助かったのか。おい、ガキは無事みたいだ。馬車を出せ!」

 馬車から顔を出した男がそう御者に命じている。ヤマダは義憤に駆られた。

「おい、謝りもしないのか!」

「は~あん。何を言っとるか。そのガキが道に飛び出してきたのだ。なぜ、こちらが悪い」

 男はそうヤマダを見下ろし、冷たく言い放った。

「馬車は町では徐行して運転するのが決まりだろう?」

 これは本当だ。野菜売りのおばさんに荷車を引くときの注意点の中に、そんなルールがあるのを聞いた。馬車は街の中ではスピードを緩めて運転することが義務付けられている。

「ふん。それは庶民の決まりだ。私のような高貴な身分のものは従う必要はない」

 男はそう偉そうに言った。高貴な身分と自ら言うだけあって、着ている服は庶民のものではない。金や銀の糸で装飾された豪華なコート。男なのに縮れた金髪の長い髪を後ろで縛っており、手には宝石が散りばめられた杖を握っている。

「高貴な身分なほど、庶民に範を示すものだろう」

 ヤマダはそう堂々と叫んだ。この騒ぎにぞろぞろと集まった人々の中からもそうだそうだと後押しの声が出ている。

 バタン……。馬車の扉を乱暴に開いて、その偉そうな男は出てきた。年は20代後半くらい。ヤマダよりもはるかに年下だ。身長は男にしては低い。160センチくらいだろうか。生意気な顔を歪ませて降りてきた。降り立つとこのちびっ子伯爵。180センチのヤマダを下から睨みつけた。下から見ているが、そのオーラは明らかに上から目線。ヤマダのことを侮蔑し、見下している感がありありである。

「なんだ、貴様は。庶民ならいざ知らず、お前は改造人間。魔族じゃないか!」

「……」

「しかもその姿はなんだ……ククク……。ウサギじゃないか。家畜の分際で人間と、しかも人間の中で高貴な身分であるこのジャスト伯爵様と対等な口をきくな無礼者!」

 そう言うと杖でヤマダの足を打った。痛みで転がるヤマダ。そのヤマダを上から見下ろすジャスト伯爵。

(くそっ……)

 ヤマダは殴りたいと思ったが、ここで冷静になる。どう考えても身分の高そうなこの男を殴ったら、人間でもないヤマダは処刑されてしまうかもしれない。

「だいたい、貴様は誰の保証でこの町に入りこんだのだ。この下等生物が!」

 ジャスト伯爵は屈んでヤマダの首にかかった首輪を手に取り、刻まれた名前を確かめた。

そこには『チョコ・サンダーゲート』という名前を見た。

「ゆ、勇者か?」

 ヤマダはその問いに頷く。首輪を引っ張られているから声が出ない。ヤマダは自分が勇者の手の者とわかって、この伯爵の態度が変わると思ったがそうはならなかった。

「ふん。勇者も地に落ちたものだな。こんな弱々しい改造人間などを下僕とはな」

 そう言ってジャスト伯爵は乱暴にヤマダの首輪を離した。ヒューっと喉に空気が通り、やっとヤマダは声が出せる。

「この町は勇者に救われたと聞く。あんたもこの町に住む貴族なら、そんな言葉はないと思うがな」

「ウサギ男が、ただの改造人間が、この私、ジャスト伯爵に向かって説教するとはな!」

 ジャスト伯爵はヤマダの頭に杖を置き、ポンポンと軽く叩いた。軽く叩いたのは身分をわきまえて、土下座をしろということらしい。

 無論、ヤマダは従う気はない。そのまま、ジャスト伯爵を下から睨みつける。その堂々とした態度に不愉快になったジャスト伯爵。

「下郎が、頭が高いぞ!」

「ふんぬ!」

 杖の叩きが強くなったが、ヤマダは負けない。そのまま、膝に力を入れて立ち上がろうとする。立ち上がれば、慎重さからこのちびっ子伯爵を見下ろせる。改造人間だろうが、ウサギ男だろうが、おっさんのプライドが許さないのだ。

「ちっ、おい、この改造人間をひざまずかせろ!」

 ジャスト伯爵は少しヒステリック気味にそう命じたのは馬車の護衛をしていた兵士である。体格がよい2人の兵士はヤマダの両方を押さえつけると、全力で地面に向かって押し付けた。さすがのヤマダのこれにはあがらえない。

「私は恐れ多くも、国王陛下から命ぜられてこの町に駐屯することになった魔法兵団の司令官だ。この町の治安は全てこの私に委ねられている。それは勇者も同じだ」

(こいつ……何いってるのだ……自分の言っていることの意味がわかってるのかよ?)

 勇者チョコの戦闘力はすさまじい。これは人間の世界でも同じである。チョコが本気出せば、1万もの軍隊も屍を晒すだろう。怖いはずだ。畏怖するはずだ。びびって小便ちびっても仕方がないはずだ。

 なのにこのジャスト伯爵は上から目線である。

(どういうことだろう……)

 押さえつけられて無理やり土下座中のヤマダは、屈辱よりもこの状況を冷静に分析していた。

(もしかしたら、勇者は人間の世界では疎まれ始めているのかもしれない……)

 『狡兎死して走狗烹らる』という言葉がある。項羽と劉邦の中華統一の戦いの最中、戦の天才韓信が側近から言われた言葉。優れた猟犬でもその狩りの対象となるウサギが死に絶えれば、今度は猟犬が煮られて食べられてしまうという意味。つまり、有能な武人も戦争が終われば無用の長物。疎まれ、冷遇され、最後は粛清される運命だと言うのだ。韓信はこの言葉を信じず、結局のところ、劉邦が天下統一後に粛清されてしまうのだが、今の勇者も同じなのかもしれない。

「ちょうどいい機会だ。おい、ウサギ男。お前、私の股をくぐれ」

 ジャスト伯爵、とんでもないことを命令してきた。これでは韓信の股くぐりエピソードではないか。だが、実際にそんな命令をされるとヤマダとしては、非常に屈辱を感じる。

 当然、おっさんのプライドが許さない。

 ヤマダは拒否の目をジャスト伯爵にぶつける。その目を見てジャスト伯爵は、先ほどヤマダが助けた幼児を連れてくるように兵士に命じた。

「きゃあ、何をするの、わたしの坊やを!」

 子供を取り上げられて泣き叫ぶ母親。幼児も恐怖で大泣きをしている。ジャスト伯爵は兵士が捧げて持ってきたサーベルを抜くと、その幼児の首に突きつけた。

「このガキの生殺与奪権も私がもっているのだ。先ほど、馬車にひき殺されて死んでいた運命だ。貴様が助けたようだが、もう一度、ここで殺してお前のやったことが無駄であったことを証明してやろうか?」

 下衆である。まさにゲスである。完全にやられ役のフラグを立てている。ヤマダが実は能力を隠してました系の改造人間なら、ここでこのゲス野郎に天誅を下すのであるが、残念ながらそれができない。

 ヤマダの判明している固有能力(ユニークスキル)は仮死状態になる『俺は既に死んでいる』と突然、猛スピードでダッシュできる『脱兎のごとく』だけである。このゲス伯爵を天誅する力はない。

 しかし、ヤマダはおっさんである。おっさんは経験から、この行為がどういう影響を及ぼすかを計算できるのだ。町の人々が周りを囲み、ヤマダとこのゲス伯爵のやり取りを見ている。

 ヤマダはズボンの土埃を払うと、改めて膝を折った。そして両手を地面についてジャスト伯爵の股を潜った。

「ふふふ……わかっているじゃないか。このウサギ野郎」

 ジャスト伯爵は、そう言って満足そうに笑い、ヤマダの尻をビシッと杖で叩いた。屈辱だがヤマダは手足の歩みを止めない。そのまま、股をくぐった。

「これでいいだろう。子供を放せ」

「離してくださいだろう!」

 ヤマダの頭を杖を使って押さえつける。この屈辱にもヤマダは耐える。

「……離してください」

「いいだろう。おい、ガキを離してやれ」

 ジャスト伯爵はそう言って兵士に命じ、屈んだ兵士の背中を踏み台にして、自分は満足そうに馬車へと乗り込んだ。そして馬車は何事もなかったかのように出発した。

 ヤマダも立ち上がった。ズボンやシャツについた砂埃を払う。誰となく、手を叩いた。それが見ていた町の人間全体に広がる。

パチパチパチ……。

「いいぞ、ウサギ男」

「かっこよかったぞ」

「改造人間にしては立派だったぞ」

 口々にヤマダを褒める。そうだ。ヤマダはこれを狙っていた。特権意識から人としてどうかという態度を取ったジャスト伯爵。

 都から派遣されてきた彼はよそ者である。よそ者だからこそ、民心の掌握には慎重にならないといけないのに、こんな卑劣な行為をして好感度を下げた。

 恐らく、最初から低い好感度がこの出来事でマイナスまで落ち込むくらいのダメージを負ったに違いない。

 それに対してヤマダはどうだろう。ヤマダもよそ者で改造人間。人間の敵である魔族である。勇者の恩恵で一応、人並みの扱いはしてもらえるが、それは勇者の人望、実績のおかげでヤマダ自身の力のおかげではない。

 それがこの拍手で一変した。町の人たちからの信頼。ジャスト伯爵の股をくぐるという屈辱とこの町の人々の信頼を瞬時に天秤にかけたヤマダは、迷うことなく子供を助ける方を選んだ。

(俺は奴を踏み台にして好感度を上げにいったのだ。それは大成功だった)

 かつて会社を経営していた時に、どうすれば信頼を得られるかに心を砕いたヤマダにとっては、このくらいの計算はお手のものである。そして、その試みは成功しつつある。

 無論、ジャスト伯爵個人に対しての恨みはいつか返すと思っている。せっかく、立ててくれたゲス野郎フラグを成立させて、ジャスト伯爵に仕返しをするのは必然なのだ。

「なあ、あんた、ヤマダさんと言ったか」

「は、はい」

 先ほど、ヤマダを追っ払おうとした馬車屋の老職人だ。ヤマダに向けていためんどくさい奴と関わりたくないという顔が温和に変わっている。

「車輪にゴムとか言うのを付けたいとお前さんは言ったが、そのゴムというもの、スライムの革で代用できないか?」

「スライムの革ですか?」

 ヤマダは驚いた。スライムに革というものがあるのかと思った。魔界に拉致された時にスライムというモンスターは各種見たが、奴らとは当然コミュニケーションは取れないし、下手すると見境なく襲ってきて溶かして消化しようとしてくるのだ。油断がならないモンスターなのである。

 ただ、人間に対しては弱い。不意をつかれたり、怪我をして動けかったりする状態でない限り、逃げられるし、スライムの特性にあった攻撃をすれば簡単に撃退できるのだ。


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