第19話 素敵な上司に愛される15の方法
2日目。ヤマダは勇者の事務所へ出勤している。昨日はいろいろあって、顔見世だけであったから、仕事の手伝いは本日からである。
出勤時間は8時30分。12時まで勤務して午前で解散ということだ。これは勇者パーティに入っているヤマダの義務。これでお金はもらえない。お金は午後の野菜の配達業で稼ぐ予定だ。
「それではヤマダさん、これが今日の書類です。ギルドや町の役所、王宮からの命令書など、多くの種類があります。まずは仕分け。そして下読みをして、チョコ様へ決裁を回すか、エヴェリン様へ回すかを判断してください。基本、神殿関係のものはエヴェリン様。それ以外はチョコ様で」
そう説明するのは護衛侍女のエリス。これまではこの役をエリスが行っていたのだが、エリスの本来の仕事は勇者チョコの身の回りの世話。膨大な書類の処理にこれまで時間が取られて、世話の方がおざなりになっていた。
「あの……少し聞いてもいいです?」
ヤマダはエリスに聞いてみた。そもそも、勇者の仕事はモンスターとの戦闘ではないかと疑問に思ったのだ。
「もちろん、チョコ様の本来のお仕事は、邪悪なモンスターの殲滅です」
(やっぱ、こええよ……)
エリスがヤマダを仕留めるかのような目つきで言うから、背筋が凍りついた。勇者が動かなくても改造人間風情のヤマダは、護衛侍女エリスでさえ瞬殺できるだろう。
「しかし、チョコ様は帝国のやり方に疑問を持たれたのです。それでこの町に落ち着かれたわけですが、そんなチョコ様を帝国はこの町の防衛司令官に任じたのです。よって、町の防衛に関するデスクワークをすることになってしまったのです」
(なんだそりゃ……勇者の力の無駄遣いだろ!)
心の中でそう思ったヤマダであったが、やはり社会の中でもまれた経験からこの状況が何となく理解ができた。
勇者のおかげで魔族の侵攻を食い止めるどころか、攻勢に転じた人間たちは最強の力をもつ勇者が邪魔になり始めたのだ。それを微妙に感じとった勇者チョコは少しサボタージュを決め込んだのだが、そんな勇者を楽にさせまいとこんな仕打ちをしたに違いない。
「いいですか、ヤマダさん。チョコ様が決裁したものをもう一度チェックして、間違いがないか確認してください。これが一番のあなたの役割です。いいですか、間違いがないようにですよ」
そうエリスはヤマダに言い含めるように強調した。ヤマダの背中に寒気が走る。なんだか、嫌な気配だ。
「ま、間違いを見抜けなかったら……」
「勇者チョコ様が恥をかいてしまいます。もし、そうなったらきっとあなたのその虫のような命はないでしょうね」
そう言ってニヤリを笑うエリス。間違いは許さないということらしい。勇者チョコの逆鱗に触れなくても、護衛侍女のエリスが簡単に首を飛ばす。人差し指でヤマダの首をなぞった。
(こ、こええええええっ~)
これはたまったもんではない。チョコがミスするとヤマダの命の危険が増すのだ。
「ふふふ……大丈夫ですよ。書類自体はギルドや町の役所が作成したものです。チョコ様はサインをするだけ。但し、ギルドや町の役所はよく間違えるのですよね」
だんだん顔が真っ青になる。だが、ヤマダは拉致される前は会社の社長であった。部下の作る書類の間違いを見るのは慣れている。
「それじゃ、やります」
ヤマダは書類の山との格闘を始めた。チョコの分、エヴェリンの分と分けていく。やがて、部屋に勇者チョコと大司祭のエヴェリンが入ってきた。
「あ~あ……今日も面倒です~」
「トラウトさん、あなたはまだマシです。書類の量が私とは全然違う……」
大司祭のエヴェリンは最初からやる気無さそいうだが、彼女の机の上には神殿関係の書類しかない。それは勇者チョコの5分の1にも満たない。
それに比べると勇者チョコの書類はハンパない。既に勇者の専用机には山のように決裁用の書類が積まれているし、ヤマダがより分けたものもある。
勇者チョコもエヴェリンほどではないが、少しうんざりしてやる気に欠けた表情を見せた。手には何やら本を持っていたが、それは机の引き出しにそっとしまった。
(しかし、未だにこれが現在の勇者の仕事だとは……)
ヤマダは書類を見ながら、机で奮闘しているチョコを盗み見ている。書類を読んでよいと判断したらサインをする。少し、疑問に残るならコメントを付けて差し戻し。差し戻すカゴに書類を入れる。
その両方をヤマダが再チェックする。エリスに言わせれば、勇者チョコが恥をかかないようにする重要な仕事だ。
(なになに……近隣の村からの情報。不審な馬車が町へ向かっている件……おいおい、これ……俺たちのことじゃないか)
魔界から派遣されたヤマダの極秘任務部隊。村からの通報でバレバレだったようだ。それで勇者自らがご出陣。解決というハンコが押されているのを見ることになる。
(なんで瞬殺されか理解できた……それにしても……)
ヤマダは勇者チョコに割り振られた書類の種類に驚いた。そこにはありとあらゆる出来事の報告書や決定の裁決を求めるものであった。
(町外れのゴブリン盗賊団の動向に関する報告、現在のガダニーニ守備隊の配置状況、街の対魔族結界レベルの状況……この辺はまあいい。だが、ギルドの依頼、レベル5の依頼承認、ギルドの仕事達成率報告、町の武器屋の武器の適正価格調査……こんなの勇者の承認が必要か?)
勇者チョコ・サンダーゲートは、滞在中はこの町の防衛を任されているとはいえ、本来は町の行政機関や冒険者ギルドが行うべき仕事までやっているのだ。これは教会から同じ役割を与えられている司祭のエヴェリンも同じであるが、依頼される仕事量があまりにも違う。勇者と司祭という違いはあるが、それよりも仕事を頼みやすいか、頼みにくいかの差だろうとヤマダは考えた。
2,3枚の書類にサインし、もう手持ち無沙汰でゴソゴソと動き始めたエヴェリンは、決して無能ではない。ヤマダの観察によれば、見た目の行動はおっとりで頭の回転がにぶいように見えるが、それは演技だと思っている。
(つまり、仕事を押し付けられないように無能な振りをしているというわけだ。この女司祭……侮れない)
(逆に、最強で最凶と恐れられている勇者の方が意外だ。真面目なのだろう。そして人間には人が良すぎなのだろうか……頼まれた仕事が断れないタイプ……)
「あっ……」
ヤマダは不覚にも勇者チョコが哀れになった。かつてヤマダの会社にもそんな要領が悪い真面目な社員がいた。他人から頼られて、仕事を山ほど抱えて疲労する人間……。
「はい、ヤマダさん」
ある程度の書類の決裁が終わると、チョコが声をかける。ヤマダはチョコから書類を受け取る。エリスが言っていた最終チェックの仕事だ。
(はあ……いろいろ疑問もあるが、勇者が忙しいと俺も忙しいということだよな)
ヤマダは受け取った書類をペラペラとめくる。なんといっても勇者である。書類に見過ごしやミスなんてありはしない……はず……。
「うっ!」
ヤマダは目を疑った。1枚目の書類にどう考えてもおかしい言葉を発見したのだ。
(おいおい、町の入口の監視兵、夜間の人数。現在は8名体制を……0名!?)
(2枚目の書類は、ギルドの依頼レベルの承認だが……よく見ると、おいおい、レベル1の冒険者にレベル10の依頼って……これ、死ぬだろ!)
所々に信じられないミスがある。どれもチョコが書き直して決裁しているのだ。
(ど、どういうことだ……)
ヤマダは顔を上げてチョコの顔を盗み見る。チョコと目が合った。そして口元が緩み、にやっとしたチョコの表情を見逃さなかった。
(わ、わざとか!)
書類のミスを見過ごしたら即死刑。勇者チョコに消されるとエリスは話していた。いくらなんでも、自ら仲間に入れといてそんな仕事上のミスで抹殺なんてありえないとどこかでヤマダは思っていた。
(ち、ち、違う……あの目は……)
もう一度、こっそりとチョコの方を見る。そして凍りついた。
勇者チョコはずっとヤマダの方を見つめていたのだ。
(こ、殺される……あれは本気だ。俺がミスを見逃したら、即、消す気の目だ……)
ヤマダは1枚目の書類を持って恐る恐る立ち上がった。そして震える足を叱咤しつつ、勇者チョコの前に立つ。
「あ、あの……チョコさん……」
「な、なんですか……ヤマダさん」
勇者チョコの態度がおかしい。なんだかぎこちないが、それがヤマダの心を一層追い立てる。
「こ、ここなんですが……」
ヤマダは警備兵の数のところを指差す。夜間の警備兵の数が0になっている。
「こ、これは……おかしいのでは……」
「え、どこです?」
「こ、ここです……0名だとモンスターどころか、盗賊団の襲撃にも備えられないかと」
「あ、ああ~っ!」
急に立ち上がった勇者チョコ。最強で最凶な虐殺者が大声を上げて立ち上がったのだ。もうヤマダは腰を抜かさんばかりにぶるった。かろうじて尿線はがっちりとガードする。
「私としたことが、0の前に1を書くのをのを忘れてしまいました~。私って、ホントにドジなんだから~てへペロ……」
そう言ってチョコは右手の拳で自分の額にコツンと当てた。ヤマダは凍りついた。言ったチョコも固まっている。
(い、いかん……これはなんとか切り返さないと……)
ヤマダは瞬時に思った。微妙な空気をなんとかせねば、この最強で最凶な勇者は腹いせにウサギ男など一瞬で消し去るだろう。
「こ、これは書類が悪い。そもそも数字を書かせるからいけない。」
「いや、それはちょっと、うっかりと……」
「で、では……このギルドの承認なんですが、レベル1の冒険者にレベル10は厳しいかと……というか、これは最初の書類の流れで10としたんですよね。数字を入れる書類を並べる方が悪い」
「別にそういうわけでは……」
ウサギ男と勇者のやりとりに満を持して介入してきたものがいる。女司祭エヴェリン。目をキラキラさせてとんでもないこと言い出した。
「さすがチョコさん、わざとですか~」
「いや、ワザというか、何というか……」
わざとである。
勇者チョコが最初に部屋に入ってきた時に手にしていた本。それは町の本屋で買ったものである。タイトルはこう書かれていた。
『素敵な上司に愛される15の方法』
(その中の奥義その5。簡単なミスをわざとしてみましょう。いつも完璧ではスキがありません。ミスをする可愛い女を演じることで、ステキな上司はあなたのことを意識するかも……)
勇者チョコはこれを実践したに過ぎない。だが、その奥義は全く効果がなかった。対象であるウサギ男ヤマダにも、女友達のエヴェリンにもである。
「わざとミスをして、ヤマダさんを試そうとするなんて、チョコさんは本当にヤマダさんに厳しいですよね~」
そう言ってエヴェリンはニコニコして、チョコの机の前に突っ立っているヤマダの周りを歩く。ヤマダの背中に冷たいものが走る。勇者チョコも恐ろしいが、このほんわかした感じの女司祭も怖いのだ。この天使のような姿で言うことが地獄の使いのようなのだ。
「ミスを見逃したら、1つにつき拷問なんですよね~」
(うあああっ……やっぱりか……)
ヤマダはおののく。これは書類のミスを見逃せなくなった。エヴェリンの言う拷問は1つだけでも命に関わる恐ろしいものだ。1つも失敗できない。
「ねえ、チョコさん、そうなんだよね?」
「も、もちろんよ……」
屈託もない笑顔でそう尋ねる女司祭に、仕方なく頷くチョコ。ヤマダはフラフラと机に座る。そして書類をガン見する。最近、老眼が少し入って近くの文字がかすむが、そんなことは言っていられない。間違ったら殺されるのだ。
それから4時間がたった。ヤマダはぐったりと机に頭を乗せている。頭から煙が出て、完全にオーバーヒートである。ヤマダの全ての力を出し切り、書類のミスは1つも出さなかった。エヴェリンは残念そうであったが、不思議と勇者チョコは温かい目でヤマダを見ている。
だが、ヤマダは騙されない。その温かい目はヤマダにこう告げているようだ。
(今日のところは何とか耐えたようね……いつまでもつかしら……オーホホホ……)
(こええええええっ……。俺は本当にこの女勇者を口説いて結婚までいけるのか。師匠~)
ヤマダは疲れきった体にムチを打ち、アルバイトへ向かう。仕事ができるおっさんアピールは、地味な積み重ねが必要なのだ。
仕事のできるおっさんは、一日にしてならず。
ウサギ男ヤマダ語録10
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