第17話 女勇者は首ったけ

「あ~あ~ヤマダさん、好き~っ」

 ベッドで等身大のウサギのぬいぐるみを抱きしめて、コロコロと転がり悶えている勇者チョコ。今日は同じ部屋で一緒の空気を吸ったと思っただけで、もう全身から変な汗があふれてきている。

「はううう~ヤマダさ~ん」

「チョコ様、入ります……うっ……」

 入ってきたのは護衛侍女(ガードレディ)のエリス。いつものようにチョコの部屋の掃除に来たのだ。チョコと目がぴたりと合う。チョコの顔が一瞬で真っ赤になった。痴態を見られたことと、ヤマダさん好き~という言葉を聞かれたと思ったのだ。

「ちょ、ちょっとエリス!」

「何ですか、チョコ様」

「あなた、部屋に入るときはノックしなさいと言ったでしょ!」

「ノックしました。聞こえなかったのですか?」

「聞こえませんでした」

「ウサギのぬいぐるみに夢中なようでしたから、聞こえないのは仕方がないかもしれません」

「な!」

 チョコの顔はますます赤くなる。それに対してエリスは冷静だ。いや、冷静になろうとしている。正直、護衛侍女エリスは勇者チョコが改造人間ウサギ男に首ったけという事実が受け入れられないでいる。

「わ、わたしがウサギのぬいぐるみに夢中だなんて、どうしてわかるのですか?」

「わかります。だって、そのぬいぐるみ、腰のところが抱きしめられ過ぎてよれています。それに口元が濡れています。ぬいぐるみにベタベタキスをしないでください」

「く~っ!」

 勇者チョコは死んでしまいたいと思った。どうやら、この護衛侍女には自分の痴態を全てお見通しらしい。

「チョコ様。人それぞれ、好みが違うということは理解できます。男の趣味もいろいろでしょう。ですが、あえて申し上げます。なぜ、あのウサギ男なんですか?」

 ズバリと聞くエリス。慌てて否定するチョコ。

「ど、どうして、この私がヤマダさんを……冗談はよしてよ。仮にも勇者がですよ。魔界の最底辺の3等兵の改造人間ウサギ男を好きなわけないでしょ!」

「……チョコ様。本当にそうなら、私は安心なのですが」

 ちょっとため息をつくエリス。否定したがエリスは知っている。チョコはウサギ男のヤマダに恋しているのは確実である。どうしたものかと考えを巡らせていたが、ため息をついたエリスを見たチョコは、別の思考回路に電気が走っていた。

(安心……安心っていたわね、この子!)

 勇者チョコの頭脳もまた勇者である。エリスのため息と安心という文脈。先程からの嫌がらせのような態度。全てがある結論に直結する。

(ま、まさか……エリスもヤマダさん狙い!?)

 完全なる思い込み。誤解である。

 だが、勇者チョコは真剣だ。真剣なだけに突っ込みどころがない。チョコは、普段とは違う自分対するエリスの態度に理由をつけた。

 エリスもウサギ男に恋に落ち、ライバルである自分を排除しようとしに来たと断定したのだ。そうなると何でも、結びつけて考えてしまうのが人間だ。

(エリス……従者の分際で主人の思い人を盗ろうとするなんて……そうよ、あなたは護衛侍女。無慈悲なプロの暗殺者でもあるわ。勇者である私を出し抜いて、ヤマダさんと恋人になろうだなんて……あああああ~)

 チョコは頭を抱えて髪を掴む。この至近距離で使う攻撃魔法の呪文がグルグルと頭を駆け巡る。

(どうやって始末しましょう……炎熱地獄(エクゾーダス)、百連炎弾(ファイアバレット)、それとも絶対零度(コキュートス)……いやいや、護衛侍女の接近戦はかなりの腕。まずは石化魔法で動きを止めて……)

「チョコ様、どうなされたのですか……なんだか顔が怖いですよ」

 自分を抹殺することを考えているとは思っていないエリスは、そうチョコの様子の変化に疑問を抱く。

「な、なんでもないわ……何でもないけど、あと30秒で終わりよ」

「はあ……何をおっしゃているのかはわかりませんが、チョコ様がおっさん愛に目覚めたとは驚きです」

「な、なんてこと言うの。この私がおっさん愛に目覚めたですって!」

「違うのですか?」

「違います。おっさんなんて大嫌いです」

 そう断言したチョコ。その言葉には力がこもっていたので、エリスは呆気にとられた。今まで見ていたチョコの痴態は幻だったのかと頭をかしげた。

「そ、そうですよね。何かの間違いですよね。チョコ様の趣味は普通ですよね。おっさんのヤマダさんなんて、おっさん臭いし……」

「ヤマダさんの匂いは大人の匂いです!」

「ヒゲは暑苦しいし……」

「ヒゲがかっこいいんじゃない!」

「口を開くと古臭い言葉を並べるし……」

「経験値が高いと言って!」

「動きは鈍いし……」

「悠然としているから、大物感があるんじゃない」

「あの……チョコ様。チョコ様はおっさんが好きじゃないとおっしゃっていましたが、実は好きなんじゃ?」

「嫌いです。それこそ、エリス。あなたこそ、おっさん趣味とはね」

「な、何をおっしゃるのです。私はおっさんは嫌いです。趣味じゃないです!」

 そう力強く叫ぶエリス。これは心の底から思っていることだから真実味がある。そりゃそうだろう。10代の少女で40近いおっさんが好きというのはかなり珍しい。若い女子がおっさんに近づくのは理由がある。大抵の場合、おっさん自身ではなく、おっさんの持っているお金が好きなだけだ。

「あらそう……そういうことなら、炎熱地獄(エクゾーダス)は止めておきましょう」

 チョコは頭の中で構築した高等魔法(ハイエンシェント)を言葉に出すことを中断した。この屋敷ごと3000℃の熱で焼き払うことを止めたのだ。

「チョコ様……そんな恐ろしい魔法名を口に出さないでください。チョコ様はおじさんが好きじゃなくて、ヤマダさんが好きなんですよね?」

 護衛侍女の切り返し。これは鋭い一撃であった。言葉を浴びせられた最強で最凶と謳われたチョコ・サンダーゲートは口をパクパクさせるのが精一杯になる。

「な、なんで私がヤマダさんを……エリス、そういう言いがかりはやめてよね。あなた、さっきからしつこいですわ」

 チョコはそう口では言ったが、目がキョロキョロと視点が定まらない。護衛侍女はゆっくりと息を吐いた。力が抜けていく瞬間だ。

「チョコ様、あなたは勇者です。勇者たるもの、恋愛においても勇者でなくてはなりません」

「エリス。恋愛において勇者とあなたは言うけれど、勇者らしい恋愛をあなたは語れるの?」

「……残念ながら、私自身は恋愛をしたことはありません」

 護衛侍女はそう告白した。これは事実である。護衛侍女は物心着いた時から、勇者に仕えるために厳しい訓練と侍女の仕事の修行をする。男と出会う機会も恋愛する時間もなかった。

「未経験のあなたが偉そうなことを言うのはどうかと私は思いますけど」

「それならば、チョコ様は恋愛経験をおもちなんですか?」

「うっ……」

 言葉に詰まった。チョコもそんな経験はない。チョコの場合、人間の世界では普通に学校生活を過ごしてきた。幼稚園の頃にかっこいい男性保育士にベタベタしていた記憶があるので、一応、それを初恋と認定していたが、たぶん違うと内心は思っていた。

 その後、小学校、中学校では同級生の男子の幼さに呆れ返り、高校、大学は勉強ばかりして男に恋する機会がなかった。つまり、勇者チョコは20を超えて恋愛をことがなく、付き合ったこともない。真っ新な女子なのだ。

「ほら、チョコ様も男と付き合った経験ないのでしょう?」

「失礼ね!」

「あるのですか?」

「……あるといえばあるような……」

 言葉を濁すチョコ。それだけで優秀な護衛侍女は理解できた。

「ないとはっきりおっしゃった方が勇者らしいです」

「ないわ。ないです、ありません。そうですよ、私は男の子と手を握ったこともデートもしたことのない喪女(もじょ)です。悪かったわね、処女臭がして」

「そこまでぶっちゃけて言うとは思っていませんでした」

「……ば、ばか……あなたが言えって言ったからじゃない!」

 思わず興奮して喋ってしまったが、思い出すと恥ずかし過ぎてもう顔から火が出そうだ。それでも自分の身の回りをしてくれているエリスには、まだマシだ。これまでも恥ずかしい事は結構バレているし、エリスは使用人として主人の痴態には眉一つ動かさない冷静な人間なのだ。

「チョコ様、恥ずかしいことはありません。処女は立派なステータスです。この私も恥ずかしながらそのような経験はありません」

「そ、そうなの。そういうことなら許しましょう」

 一体何を許すと言うのか意味が分からないエリスであったが、ここは念を押して置くことにした。

「いいですか、チョコ様。チョコ様は勇者としての体面があります。あのおっさんウサギ男を仲間にするのはいいですが、間違っても自分から告白して結婚してなどと言ってはダメです」

「な、なぜです、というか、その流れで行くと私がヤマダさんに惚れまくっているという設定になりますけど!」

(100%どころか、200%そうですよね!)

 心の中で断言したエリスだが、顔は平静を装い、微妙な笑顔を浮かべている。

「勇者は平然としているから、勇者なのです。自分から行動するのではなく、向こうから結婚してと懇願してきたら、悠然と返事をするのです。選択権を放棄してはダメです。自分からプロポるのは、選択権を絞るという愚を犯すのです」

「はあ……よくわからないけど、それは昔おばあちゃんも言っていたかも」

「自分から行くのはモブかチョロインポジションのキャラがやること。勇者チョコ様は、黙って待つことです」

「そういうものですか?」

「恋愛においても勇者は勇者たるべきです」

 そう言ってエリスはうまく丸め込んだとほくそ笑んだ。もちろん、エリスはチョコの従者だから、主人の幸せを第一に考えるのが職務である。また、仕事抜きでもこの主人のことが好きだから、幸せになって欲しいと思っている。

(だけど、ヤマダさんだけはダメです)

 女勇者が魔界の最下層の下っ端に惚れているなんてことは、大スキャンダルである。こんなことが、ギルドや帝国政府に伝わったら大変なことになるはずだ。

(それだけは絶対に阻止せねば……。これはチョコ様を思ってのことです。お許し下さい)

 エリスが思うに、ウサギ男ヤマダはチョコに対してビビっている。絶対に恋愛対象として見ていない。おっさんは若い女の子には基本弱いはずだが、ヤマダはチョコの色気には惑わされないものをもっている。

(まず大丈夫だけど、もし、あのおっさんウサギ男がチョコ様にプロポるなどという大それたことをしでかしたら……)

 エリスはヤマダがプロポらないように監視せねばと心に誓った。ヤマダが『好きです。俺と結婚してください』などと口走ったら、『す』の段階で抜刀。『き』の段階で首を撃ち落とそうと背中に背負った刀からの攻撃に磨きをかけねばと思っている。

「今日から、抜刀術の稽古を100回欠かさずやるしかない。いざという時に打ち損じないために……」

 護衛侍女の想像の中で軽く35回は首を跳ね飛ばされたウサギ男ヤマダの受難は続く

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