第15話 女勇者の秘密

 女勇者チョコは機嫌が悪い。

 今日はウサギ男ヤマダの初出勤。そして自分の憧れの人に似ていると思っていたウサギ男が、憧れの人その人だったから、もう心はウキウキ、心臓はバクバク。幸せ絶頂だったのに、そのウサギ男は体調が悪いとすぐに帰ってしまったのだ。

(それに……)

 先ほどのヤマダに対するエヴェリンの態度に先程からイライラしている自分に気がついていた。

(エヴェリンたら、ヤマダさんの汗を拭いていたわよね……あそこで、さりげなく女子力をアピールしていたわ)

(ま、まさか!)

(エヴェリンもヤマダさんを狙っている……狙らっているに違いない)

(聖職者のくせにヤマダさんを狙うなんて……やっぱり、乳のでかい女はしたたかというか、肉食系というか……)

 ものすごい形相で友人のエヴェリンを睨みつけているチョコであるが、当のエヴェリンは全く気がついていない。先ほど、ヤマダの汗を拭いたハンカチをくるくると丸めて、ポンポンと手でお手玉にしている。

「このハンカチ、ヤマダさんの汗で濡れてしまいました。おじさんの汗が染み込んだハンカチはもう使えませんよね。エリス、これ捨てておいて」

「それではゴミ箱へ入れておいてください」

 エリスに言われて、ポンポンしていたハンカチをゴミ箱へ投げ込もうとしていた。

「待て!」

「何ですか、チョコさん」

「それはもったいないだろう。捨てるなら、私にくれ」

「え?」

「私にくれと言っている」

「お、おじさんの汗が染み込んだハンカチですよ~。ま、まさか……チョコさん、ウサギ男さんの汗の臭いが好きなんですか~」

 とんでもないことを聞いてきた女司祭。それでは勇者チョコが変態みたいではないか。慌てて否定するチョコ。

「ば、馬鹿なことを……。そんないいハンカチを捨てるなんて、もったいないから言っているのだ。あなたも聖職者ならば質実剛健、贅沢をしてはいけないのと違うのか!」

「仕方ないですね~」

 ポンとチョコに丸めたハンカチを投げた。それを受け取るチョコ。丸まったハンカチを伸ばして折りたたむ。ヤマダの汗が染み込んで、ちょっとしっとりとしているところがある。

「では、節約好きの勇者様にあげます~」

(ううう……前言撤回。エヴェリン、あなたはいい人だわ)

 先ほどまで、心の中で何回か殺していた親友をチョコは心の中でひしっと抱きしめた。これぞ親友である。

「チョコ様、それは洗濯しますから、洗濯かごに入れておいてくださいまし……」

 やり取りを聞きながら、掃除を始めたエリスはそう興味なさそうにハンカチのことを指示したが、エリスに見つからないようにチョコはそのハンカチを小さくたたんでポケットに隠した。

(冗談はよして……ヤマダさんの汗が染み込んだハンカチを洗濯したら、価値が0になってしまうじゃない!)

 勇者チョコ。この危ない思考は、けっして惚れ薬の影響ではない。

 チョコ・サンダーゲートこと浅草千代子(あさくさちよこ)は日本人。少し前までは東京でOLをしていた。それがこの世界に召喚されて、勇者となった。神より授けられし能力はほぼ無敵であり、この異世界の平和を乱すという極悪モンスターから人々を守ってきたのだ。

 だが、元はOL。務める会社はかつてヤマダが経営していた会社。ジャジメント・スターであった。

 千代子は学生時代から真面目な娘であった。高校までは勉学と剣道に勤しむ女子高生。大学では経済学を学び、数ある一流企業から内定をもらったが、選んだ会社はジャッジメント・スターであった。

 この会社は成長途中の会社であったが、新興企業であり、学生の人気が高い方ではなかった。一流大学卒の学生は、伝統ある大銀行や商社、日本を支える自動車メーカーや機械メーカーを就職先に選ぶ。新興企業は敬遠される傾向があったが、千代子はこの会社のコンセプトに惹かれていた。

(この会社は将来伸びる。きっと一流になるわ。私が働いて超一流の世界企業にする)

 そう意気込んで入社試験を受けた。そして運命的な出会いがある。

 最終試験の役員面接。社長と1対1での面接だ。

 千代子は緊張した。

 山田は経済雑誌エメラルドにも度々、単独インタビューされるやり手の経営者だ。そのインタビュー記事を千代子は全て切り取って、クリアファイルに保管をしている。千代子にとっては尊敬するカリスマ経営者なのだ。

 面接で千代子はまずます山田社長に惚れた。自分の気づかないよいところを褒めてくれて、山田社長と話すだけで自分の能力が次々と開花していくことが分かった。30分の面接が終わったとき、千代子はもう山田を自分の一生を捧げても良い人だとはっきりと思った。

 それだけではない。山田は千代子の人生を変えてくれた恩人であった。当の山田は覚えていないと思うが、千代子にとっては救世主だったのだ。

 千代子は祖父母に育てられた。なぜなら、父と母は千代子が小さい時に交通事故で亡くなってしまったのだ。事故の相手は80歳を過ぎた爺さん。しかも免許は更新時期が過ぎてしまい無効。車は車検切れ。父と母を事故死させたのに、この爺さんは認知症ということで無罪放免であった。

 さらに悪いのは無保険であったから、賠償金も保険から得られず、加害者は財産もなかったから、完全に泣き寝入りとなった。

 養育費もない小さな子供を育てる苦労は並大抵ではない。親戚は誰も引き受けず、結局育ててくれたのは母の実家。千代子の祖父母が育ててくれたのだ。

 祖父母は浅草で老舗のところてんを作っている小さな店を経営していた。江戸時代から続く甘味屋で、祖母の祖先がずっと浅草で商売をしていた。

 1杯3000円もする昔ながらの製法で作られたところてんは常連の客もいて、それなりに経営をして来られたが、外国人や日本人観光客が押し寄せるようになって風向きが変わってきた。

 そういった客を狙って、安い材料で作る甘味屋がたくさんできたのだ。ところてんを使ったスイーツなど、たくさんのレシピを要する店に客を取られてしまったのだ。

 それらの店のところてんはせいぜい原価50円程度のもの。外国の材料を使い、安い化学調味料で味を整えられたものだ。中国の工場で大量に作られた代物である。それを客に出す。フルーツやアイスクリームとアレンジしていかにも美味しそうだが、原価は安い。本物ではないから、格安値段で売っても利益は出る。

 しかし、千代子の祖父母がところてんは違う。天草は九州の専属契約している漁師が採取してくる天然もの。ところてんにかける特製のだしは、高知で昔ながらの製法で作られた鰹節だから取る。それらの材料を使って丁寧に作られたところてんはどうしても高くなる。

 いくら味が良くても、現代人の日本人は繊細な味は分からない。分かったとしてもその価値が理解できない。所詮、ネットのクチコミ情報を元に大衆迎合するだけの人々に本物の味は伝わらないのである。

 加えて地味な商品がインスタ栄えするはずもなく、このまま、埋もれていくだけとなった。千代子が高校生の時には経営は傾き、大学生になる時には倒産する寸前であった。

 その時に現れたのが山田であった。山田は自分が経営するネットショップに本物を求めた。その本物が千代子の祖母が経営してきたところてん屋だったのだ。

 山田が自分のネットショップで宣伝してくれたおかげで、浅草家のところてんは売れた。経営は劇的に改善し、千代子が大学へ進学することも可能となったのだ。

(ヤマダさんは私にとって恩人。あの時、祖父母のところてんの価値を分かってくれなかったら、私は大学へ行けなかった……ヤマダさんは私の恩人……好き……ヤマダさん)

 もうこの出来事は、一人の女の子を恋に落とすには十分なものであった。その時のヤマダは33歳の青年実業家。高校生の女の子には眩しい大人の男に映った。

 決しておじさんではない。素敵なお兄様なのだ。

だが、大学在学中から憧れていたおじさん山田を慕う千代子だったが、自分からアプローチすることは絶対にしないと心に誓っていた。それは幼少の頃、祖母かとの思い出に理由がった。

 浅草家は祖母の経営する店で、祖父が従業員として働いていた。祖父は元々、祖母の店に職人見習いとして入ってきた少年だったのだ。

「おばあちゃんはおじいちゃんとどうやって出会ったの?」

「おじいちゃんはね、おばあちゃんが10歳の時に店に小僧さんとしてやってきたんじゃよ。おじいちゃんは15歳だったわねえ」

「それでおばあちゃんはいつおじいちゃんを好きになったの?」

「そうさねえ。おじいちゃんが店にやって来たとき、10歳の少女だったおばあちゃんは、この人だと思ったよ。おじいちゃんはお店のお嬢さんだったおばあちゃんをそんな風には思って見なかったようだねえ」

「それじゃあ、おばあちゃんはそうやっておじいちゃんと結婚したの?」

「それはね。10歳の頃から少しずつ、好きになるように仕向けていたのさ」

「仕向けて?」

「そう。いろいろやったね……。だけどね、千代子。いくら好きになっても、女の方から結婚してくださいとは絶対に言ってはいけないよ」

 それまでにこやかに話していた祖母の顔が急に険しくなった。千代子は自然と背筋がピンと伸びた。こういう時の祖母の話はとても重要だと子供心に知っていたからだ。

「いいかい、男に言わせるんだよ。そうじゃないと、絶対に幸せにならない。結婚は男に責任を負わせることだからね。男に言わせないとダメなんだよ」

「でも、言わなかったらそうするの?」

 千代子は少し怖くなってそう尋ねた。自分が好きになった男の子が結婚しようと言ってくれなかったら、一生結婚できないことになる。

「そこは粘り強く行うのさ。女は粘り腰が勝負」

「ああ、そうなんだ。おばあちゃんは、おじいさんに言わせたんだね」

「そう、そういうことさ。だから、この60年間。幸せに二人で暮らせたんだよ……」

 *

 女勇者チョコは、自分の部屋のベッドでウサギのぬいぐるみを抱きしめて、この昔の思い出を回想していた。そして天井の1点を見つめてこう呟いた。

「そう…ヤマダさんにプロポーズさせる。これは絶対。私を好きになってもらって、プロポらせる。勇者の全能力をつかって、このミッション、絶対にやり遂げるわ。これは魔王を倒すよりも最優先の課題よ!」

 そう言って右手を天井に突きつけた。そしてヤマダの汗が染み込んだハンカチをクンカクンカと匂いを嗅い恍惚となった。その顔は幸せに溢れている。

 それを例の隠し部屋から観察していた護衛侍女。ため息をついた。

(ああ……チョコ様……そのミッションはどこか間違っていますよ……)

 護衛侍女は使える主人に基本逆らえない。真っ直ぐに忠誠心を示し、主人の命令とあらば、命を差し出すことも厭わないのである。

(あんなおっさんのどこがいいのかしら……チョコ様、目を覚ましてくださいよ~)

 そう嘆く護衛侍女エリスであった。

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