第14話 攻防の果てに
幸いにも護衛侍女(ガードレディ)のエリスがワゴンを押して入室してきた。ワゴンにはお茶のセットが乗せられている。
「朝のお茶のお時間です。お話はまとまりましたか?」
そうエリスは部屋の3人の顔をそれぞれ眺めてそう尋ねた。エヴェリンは謎の笑顔。チョコは少し顔が赤い。ヤマダは汗がタラタラと流れている。明らかに緊張している様子が観察できた。
「ヤマダさんを仲間に加えたということは、午前中の仕事を手伝ってもらうということですよね」
エリスはそう念を押した。明日から毎日、午前中はここで仕事をすることになったヤマダ。報酬は0である。パーティの仕事でパーティのメンバーだから仕方のないことだが、大金持ちの勇者パーティなのだから、少しぐらい報酬を出して欲しいと思わんでもない。
だが、今のおっさんヤマダの目的は金を稼ぐことではない。勇者と午前中ずっと一緒にいられるのはチャンスだ。(同時に恐怖だ!)
「ヴヴ……」
ちょっとだけ喉を鳴らしたヤマダ。ここからが勝負だと気持ちを高ぶらせる。
(朝のこの時間にお茶を飲む習慣があることは事前調査でわかっている。しかも、勇者が飲むのはコーヒー)
この世界にコーヒーがあるのは驚いたが、惚れ薬の錠剤を溶かすにはコーヒーは都合がいい。コップに中へ落とせば黒い色で見えないし、味も苦いコーヒーならそれに紛れ込んで違和感を与えない。これが水なら異物を入れられたと分かってしまうだろう。
エリスは毎朝のお茶を運んできたが、これは習慣でもあったがヤマダの犯行を現行犯で抑える行為でもあった。
(ふふふ……ヤマダさん……あなたの命はあと1分……)
エリスはほくそ笑んだ。ヤマダが右ポケットに忍ばせた何かをこの機会に使うことは間違いないと確信していた。
「それではお手伝いします……」
ヤマダはそう言って、さり気なくエリスの手伝いを申し出た。これは作戦。勇者チョコと女司祭エヴェリンは、毎朝、モーニングコーヒーを欠かさないらしいというのが、魔界で教えられた極秘情報。その情報通り、エリスが運んできたのはコーヒー。コーヒーなら、真っ黒な色であるから、異物の混入が容易である。一度、カップに入れれば、間違いなくバレない。
コーヒーを注ぐエリスの手伝いをする振りをして、カップの1つに錠剤を入れようと、ヤマダは右ポケットに手を入れた。
「そこまでです!」
エリスがヤマダの右手首を掴んだ。現行犯で押さえた抑揚感で声が弾む。
「ヤマダさん……これは何です?」
「どうしたのだ、エリス?」
「エリスさん、いつも素早いですわね~」
チョコの訝しげな質問と緊張感を一挙に弛緩させるようなのんびりとしたエヴェリンの声が同時に上がった。ヤマダは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「さあ、ヤマダさん、その右手に握ったものを出しなさい」
「あらあら……もしかしたら、毒薬でも入れようとしていたのですか~。それだと、チョコさんの一撃で首が撃ち落とされるコースか、灼熱魔法で生きながら焼かれるコースのどちらかですよ~」
詰問する護衛侍女エリス。のどかな口調で恐ろしい言葉を並べる女司祭エヴェリン。確かに勇者を毒殺しようとしたら、魔界の尖兵であるヤマダは生かされないだろう。
(終わった……)
エリスは強烈な力でヤマダの右手首を引き上げると、その手に握り締めたものを左手で開かせた。そこには……。
(終わったと思うな!)
ヤマダの右手に握られていたのは、割引クーポン。商店街のケーキ屋で本日のケーキが20%オフになるクーポン券であった。これはここへ来る途中で、配っていたものをヤマダが右ポケットに忍ばせていたのだ。
「あれ?」
「エリス、どういうことだ……ヤマダさんが何か危険なものを持っていたというのか?」
「いえ、おかしいです。この人のことですから、絶対に隠し持っているはずです」
エリスは思惑が外れた。ヤマダが右ポケットを気にしていたのは、この割引券を出してケーキの話題を出そうとしていたからとは思えない。
ヤマダはエリスの心情を察して、その場で直立不動となり、両手を広げた。ボディチェックをしろという意思表示だ。エリスはヤマダの体をチェックする。ありとあらゆるポケット、何か隠していないか触って確認する。
「おかしいです……怪しいものは何も持っていません」
出てきたのは使い残しのお金。それだけである。
「エリスさん、俺を疑うのは分かりますが、俺はチョコさんに命を助けられた身。その慈悲に感謝しているのです。そんな俺が裏切るようなことをするわけがありません……」
ヤマダの言葉にエリスは言葉を失った。エヴェリンも気まずそうにしている。
「そうだぞ、エリス、エヴェリン。ヤマダさんが何か悪いことをするはずがない」
そう勇者チョコは場の悪い空気を打ち消した。タイミングよく来客が玄関のドアを叩く音がした。
(勝った……)
ヤマダは内心でほくそ笑んだ。花屋が毎日届ける花を持ってきたのだ。
惚れ薬を渡されたとき、ヤマダには一つの危惧があった。それは勇者一行の前にすんなりと薬をもって近づけるはずがないことを。特にあの護衛侍女(ガードレディ)は只者でなかった。自分のことを疑っているに違いないはずで、普通に持ち込んだら絶対にバレルと思ったのだ。
下手したら、建物に入った瞬間に身体検査をされる恐れがある。それでほれ薬が見つかったら、それでヤマダの人生は終わる。間違いなく消されるに違いない。
(そこで俺は考えたのさ……惚れ薬は他人に運ばせるとな)
勇者が仮宿所として使っている屋敷の内部は花で飾られていた。恐らく、街の花屋から取り寄せているのであろう。ここへ来る途中の花屋で聞いたら、その予想はドンピシャであった。
(そこで俺は花屋に、今日、勇者の宿舎に花を運ぶかどうかを聞き、運ぶと言った花屋にどれを納品するか聞いたのだ。手下として点検するとかいえば、快くみせてくれたさ。その花に錠剤を隠しておけば簡単に持ち込める)
その花が今、届いた。一際大きなゆりの花の中に錠剤は隠してある。まさか、他人が持ってくる花の中に隠して持ってくるとは思わないだろう。それにヤマダが狡猾だったのは、わざとポケットに何かある振りをして、それをカモフラージュに使ったこと。
一度指摘して、それが手ひどい失敗になった時に、人は再び失敗をしまいと臆病になる。ヤマダの行動にも気を配れなくなる。花を受け取るついでに錠剤を手にしたヤマダは、それを準備中だったコーヒーカップに入れることは容易であった。
(くくく……コーヒーカップに錠剤を見事に入れた。誰も気づいていない)
ヤマダが入れたのは丸いお盆の上に置かれた3つのカップ。その一つに惚れ薬を入れた。問題はこれを勇者チョコに飲ませること。カップはどれも同じデザインである。
ヤマダが運んで錠剤入りのカップをチョコの机に置けばよいが、それだと怪しまれる。さすがにコーヒー運びまで買って出れば、護衛侍女は再び不審に思うだろう。
(ここはエリスの奴に配らせないといけない……)
もしヤマダが配ると言ったら、怪しいと再び思うかもしれない。コーヒーカップには何とか入れた惚れ薬を入れたのだから、ここは危ない橋を渡る必要はない。
但し、お盆の上に乗ったコーヒーカップ3つのうち、惚れ薬が入ったものを勇者チョコが選ぶ確率は3分の1である。
もし、チョコが惚れ薬入りのコーヒーカップを選択しなかったら、この作戦は失敗である。だが、ヤマダには勝算があった。
「あら?」
エリスが運んできたコーヒーを見て、チョコはすっと一つのカップへ手を伸ばした、迷いがない。次に女司祭エヴェリン。そして残ったカップはヤマダへと運ばれた。
(勝った!)
ヤマダは残ったカップを見て確信した。実はコーヒーをポットから注いだエリスをヤマダはさりげなく手伝い、ミルクを投入したのだ。
ラテアート……。日本でセレブ生活を送っていたおっさんヤマダ。できるおっさん、かっこいいおっさん、ヤマダは趣味でコーヒーに凝っていた。本格エスプレッソマシーンを使い、毎朝、入れていたモーニングエスプレッソ。カフェ店のスタッフに教えてもらった、ミルクを投入して絵を描くテクニック。それがヤマダにはあった。
エリスの目を盗んでササッとコーヒーの表面に絵を描くことができたのであった。
魔界からの情報で勇者チョコが朝にミルク入りのコーヒーを飲むことは分かっていた。
そして女司祭エヴェリンは、ミルクを入れないブラックで飲むことを知っていた。そこで惚れ薬入りのコーヒーにミルクを入れたのだ。無論、ヤマダの企みはカモフラージュが凝っていた。チョコだけのカップにミルクを入れれば、エリスが不審に思うかもしれない。
そこでヤマダはミルクで絵を書いたのだ。
チョコのカップにはウサギ模様。もう一つはぐるぐる渦巻き。そして、今、ヤマダの前にあるのはぐるぐる渦巻き模様が表面に浮いている。
(女勇者チョコはウサギが可愛いと言った。となれば、表面にウサギ模様が描かれたカップを取るに違いない。その俺の読みは見事に成功した)
ヤマダは自分の作戦が完璧だと思った。そしてそれは成功した。女勇者チョコはスプーンで名残惜しそうにかき混ぜて一口飲んだ。
強力な惚れ薬入りのコーヒーを飲んだ。
不本意ではあるが、これで女勇者はヤマダにメロメロ。もうどうにでもしてちょうだい状態になるはずだ。
が……。
コーヒーを飲み終わった。女勇者チョコになんの変化もない。
(ど、どういうことだ~)
(惚れ薬が効かないのか、勇者様には耐性があるのか!)
(モグ子、全然、効かねえよ。魔王様、こんな薬、クソだよ!)
ヤマダは心の中の落胆を顔に出さないように務めるのが精一杯であった。これほど、頭脳を使い、手の込んだ手順を踏んで飲ませた惚れ薬作戦。全く無駄であった。
果たして惚れ薬は効かなかったのであろうか?
勇者には薬に対する耐性があったのであろうか?
単にヤマダに運がなかっただけなのであろうか?
否!
それは違った。
惚れ薬は効いていた。というより、飲む前から効いていた。
なぜなら、惚れ薬を飲む前から、女勇者チョコ・サンダーゲートは、もう改造人間ウサギ男ヤマダにメロメロになっていたからだ。
メロメロで惚れまくっている人間に、惚れ薬が効くはずがない。
表情を崩さず、冷静を装っている勇者チョコだが、内面はもはや、ヤマダを見て心臓はバクバク、顔は赤面、ヤマダの姿を自然に追ってしまうことに気がつかないほどの有頂天。脳内が投影されるなら、90%ヤマダの文字で埋まり、あと5%が仕事、5%が今日の昼食となっていた。
そう勇者チョコはヤマダに恋しているのだ。
だが、そこは勇者。自らの同様を隠すために、先程から精神安定魔法を自分にかけて、平静を装っている。魔法がなければ、ヤマダに抱きついてすりすりしてしまう衝動を抑えきれないのである。
(ふうふう……)
魔法による制御すら超えかねない劣情で、勇者チョコはヤマダを見る。その目は草食動物を仕留める寸前の野獣の目。
ヤマダは気づいた。
(お、俺は……仕留められる……。勇者は見破ったんだ。俺が薬を入れたことを……こ、殺される……絶対に消される……)
だらだらと汗が流れてくるヤマダ。
ブラックコーヒーをのんきに飲んでいたエヴェリンが、ハンカチを取り出して汗の吹き出ているヤマダの顔をふきふきした。
「どうしたのですか、ヤマダさん。ものすごい汗ですよ~」
「いや、ちょっと、体調が優れなくて……」
「自己紹介も終わったことですので、ヤマダさんは一度、帰ってもらってもよいのではないでしょうか。仕事は明日からということで」
そうエリスが言ってくれたので、ヤマダは解放された。明日から、デスクワークの手伝いを午前中するらしい。勇者パーティはしばらく冒険には出ないらしい。理由は分からないが、魔界としては喜ばしいことではある。
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