幕間二 ——500年後の再会

「——ほら、いつまで寝てるのトライシオン。さっさと起きろ」

「……その名で……呼ぶな」


 少し前。

 道化に返り討ちにされ気絶していたフレイメルは、ぺちぺちと額を叩く音で覚醒した。半開きの目で睨みつければ、上から見慣れぬ少女が冷めた視線で見下ろしている。そして、何よりとある人物に酷似していることに、思わず息を呑んだ。


「ありえん……、お前は何者……だ?」

「トライシオンの名を継いでる一族なら、あたしのことだって語り継いでるはずでしょ。白々しいこと言わないでくれる?」


 正体不明の不思議な少女は不服そうにぷくーっと頬を膨らませる。ただでさえ覚醒した直後の思考で、まだ視界もぼんやりとしていて定まっていないフレイメルは、瞼をこすり少女の容姿をじっくりと眺めた。


 歳の頃はおそらく十代後半。腰ほどまで伸びた長い銀髪に、翠玉エメラルドと濃紺の海を想起する左右で異なる目の色。そして面立ちは、どこか今代の聖女を彷彿とさせた。 


 しかし、その特徴は灼火の一族に生を受けた者として、幼少の頃から伝え聞かされていた、ある人物のそれと全く同じだった。 


「——聖女……エステル……?」

「なんだ、トライシオンのやつ、きっちり約束は守ってるじゃない。てっきり忘れられたのかと思ってた」


 つんとそっぽを向く少女の仕草は、年相応の振る舞い。

 しかし、こんなことはあり得ないと理性が警告を告げる。

 聖女が生きていた時代は今から約五百年前のこと。

 災厄を鎮めた後の行方は知られておらず、生死すら不明なのが伝承ファンタジーを除外した定説だ。

 こんな年端もいかぬ少女が数々の偉業を成し遂げ、精霊教会中興の祖となった伝説の本人だなんて誰が信じるのだろうか。 

 少なくともフレイメルは、今目の前にいる少女がそうだと確信は持てそうになかった。


「なに? 疑ってるの?」

「当然……だろう。師父から空で覚えるほど聞かされた伝承、そしていつか再び世に現れるであろうと語り継がれてきた聖女の特徴と随分と違う……からな」

「……。継承失敗……か。ま、アイツに期待したあたしが馬鹿だったか」


 銀髪の少女はどこか不服そうに腕を組み眉間に皺を寄せた。

 いまいち状況を飲み込めないフレイメルは、ようやく血が巡ってきた体を動かそうとして、苦痛に顔を歪ませた。


「ぐっ……」

「その重傷で何動こうとしてるの? トライシオンの曾、曾、曾、曾、曾、曾……孫?」

「……フレイメル、だ」

「そ、フレイメルね。——あんた馬鹿なの? 全身の皮膚が黒ずんでただれる程の大やけどを負うまで、火の元素を行使するんじゃないわよ。——あたしがいなかったら死んでたんだけど。それと運び出すのが少しでも遅れていたら、本当に命落としてたかもしれないのだから、お礼くらい言えないの?」

「……ぬ」

 

 少女の恩着せがましいとも受け取れる一言を皮切りに、フレイメルの頭に疑問符が浮かんだ。

 戦いの余波で、山の基底部に広がっていた空洞は地響きと共に崩れかかっていたことまでは覚えている。

 今更だが寝かせられているのは堅い岩盤の上ではなく、柔らかい枯れ草の上だ。

 視界から映る天上は地下に張り巡らされた広大な空洞ではなく、風雨による侵食で出来上がった岩屋なのだろう。

 天上の隙間から照明のように薄い陽光が差し込んでいることから、そのように当たりをつける。

 どうやって崩壊する洞窟から運び出されかまでは想像がつかないが、ともかくも急死に一生を得たのは確からしい。

 

「しかし、どうやって?」

「別に、人一人運ぶくらい容易いわよ。女だからって舐めないでくれる?」

「……いや、そういうことではなく」

『オイ、コラ。エステル、この死にぞこないをここまで運んだのは俺だろうが』


 突如、二人の会話に割って入るように風が渦を巻き枯れ草を巻き上げた。

 あまりの強風に一瞬目を瞑る。幸い風は直ぐに収まったが、代わりに強烈な威圧感を放つ何かがその場に顕現したことを、エーテルの揺らぎから感じ取った。

 薄らと開けた瞳に、超常の存在を捉える。

 風体は砂嵐をも、ものともしないであろう屈強な大男。が、その面立ちはどこかよく知る連換術師を想起させる。精悍でありながらどこか幼さを残しているかのような。不思議な相貌をしていた。


「——。風の……ジン精霊……だと」

『うん? おう、ようやくお目覚めか。ったく火の野郎の加護も無しに無茶しやがって。エステルが治療してなきゃお前、死んでたぞ』

「……治療? ……む」


 フレイメルは両腕を持ち上げて、先刻と寸分かわらぬ浅黒い皮膚に驚きを隠せなかった。限界まで行使した火の元素は、術者にも後遺症を残す程の飽和限界をとっくに超過していたはず。

 精霊外装により、一時的に人体には到底耐えられない高熱を遮断出来たとしても——だ。元より、一族に伝わる火の連換術とは、最終的に術者もろとも燃やしつくす諸刃の剣なのだから。


「そんな重傷をどうやって? と聞き出したくてしょうがない、って顔してる」

「————」

「ま、今言えることは。——あたしがだから。それだけ」

「理解できそうで、理解出来ぬ。……いや、何を言っている? 俺は」

『……その言い方。思い出したくもない野郎を思い出すからやめてくれねぇか』

「血は争えないってことじゃないの。——けど、裏切り者のくせに、こんな先の時代まで血筋を残したことだけは……やっぱ褒めてやんない」


 聖女も、ジン……精霊も何か面白くないことを思い出したように、顰め面をしていた。彼女達がどういった関係なのかは預かり知れない。

 しかし、とても息のあった一人と一柱の反応から、人と精霊という本来なら相容れるはずのない存在同士が、まるで最初からそうであるかのように自然に接していることに、戸惑いを隠せなかった。


「と、こんなことしてる場合じゃなかった。——シルヴァ。シナイ山の山頂付近、何が起きてるか事態は把握してる?」

『ああ。ビンビンに感じてるぜ。どうやら……災厄の封印が解かれちまったようだな』

「災……厄……? だと?」


 聖女、エステルが発したその言葉に、眠気が一気に吹き飛んだ。

 ——災厄。その名を知らぬ者は精霊教会、特にその深奥に入り込んでいる者の中にはいないだろう。戒めと共に今日まで語り継がれてきた人の世が続く限り、何度でも現れるだろうと先人達が警鐘を鳴らし続けてきた人類に対しての反証存在カウンター


 教会の古文書に記された原罪生まれながらにして人が背負うべき七つの罪。その名をあてがわれた七柱の超常存在の内の一柱強欲は、既に存在を確認されている。


 根源原理主義派——。通称、アルケーと呼ばれる秘密結社を統率し、帝国各地でとある目的を成す為に、使徒と呼ばれる手練れ達を使いマグノリア、そして皇都をこれ以上ない混乱に陥れた。決して野放しには出来ない危険な存在だ。


「だが……信じられぬ。聖地であるこの地にそんなものが封じられていた……? だと?」

「知らなくても無理ないわ。災厄に関しての情報は、教会の中でも知る者は限られている。精霊への信仰を維持することで、奴らの復活と存在証明を抑えつけられる……はずだったけど、やっぱりそんなに上手くはいかなかった——。そういうことでしょ?」

『……ああ。あの後も色々あったからな。精霊もあの頃のように強大な力を持つ奴らは、殆どいなくなるか現世に顕現出来ないほど希薄になっちまった』

「信仰の失墜——、いや……教会自体が腐敗した……か。ある意味で予想出来たことだけど、教皇猊下様の頑張りが実らなかったことだけは、許せない……かな」


 エステルは悔しそうに俯いた。

 これまで強気な言動が目立っていただけに、まるで別人かのように塩らしくなる。

 偶然にも下から覗き込むような形になってしまったフレイメルは、少女の瞳から一筋の滴が頬を流れ伝ってゆくのを黙って見届けた。


「……とにかく、これ以上災厄を野放しには出来ない。今からでも間に合わせる。シルヴァ、山頂までひとっ飛びお願い」

『それは別にいいけどよ、こいつはどうする?』

「二人くらい担いでいけるでしょ? ——死にかけたってのに、あたし達についてくるつもりらしいし」

「……あたりまえだ。護衛の任を全う出来なかった。アルクス様は……絶対に助け出さねば……ならぬ」


 いくらか血色の戻ってきた両腕を動かせるか確認しながら、フレイメルは上半身を起こした。頭はまだくらっとするものの、こんなところで事態を静観するなど出来るはずもない。

 エステルはそんな往生際の悪いかっての仲間の遠い子孫に、呆れを隠さなかった。


「……まったく。無茶したがるのは先祖共々変わらないわね……。本当、往生際の悪い奴……。死人に愚痴っても仕方ない……けど、一発ぶん殴りたくなってきた」

『マジでやるなよ……? そいつ蘇生したばかりなんだからよ』

「わかってるわよ。フレイメル——手、握りなさい」


 ずいっと乱暴に差し出された細くきめの細かい手を、言われた通りにフレイメルは握る。血潮が通い命の鼓動を直に肌で感じ取って、目の前の……五百年前に生きた少女が現実にそこにいることに、奇妙で信じがたい奇跡を感じながら。


「——仲間達の中で誰よりも思慮深い癖に、トルスと同じくらい無茶ばかりして、最後の最後で裏切ったあんたが何考えていたかは知らない、知りたくもない。でも、今だけは力を貸して——トライシオン」

「————」


 祈りか、はたまた懺悔か。

 聖女の切なる叫びに胸を打たれたフレイメルの体が突如、淡く七色に輝き始めた。

 


 



 


 

 

 


 

 

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