五十話 小休止

「主……なにをしおった」

「見りゃわかんだろ? 罅入れてやったんだよ」


 鉄の人型、否、化け物は耳障りな金属音の如き不快な声を張り上げる。

 分厚い鉄塊の表面にまごうことなき亀裂が走っている。

 厚さにして成人男性の手二つ分ほどの分厚い鉄塊。人の手どころか熟練の武器職人でも傷どころか凹ませることすら不可能な雷霆の想像もしなかった姿に、春雷卿は驚愕を隠せなかった。


 咄嗟に引き戻した雷霆は明らかに据わりが悪い。

 愛妻より長く連れ添った頼りになる相棒のはずなのに。先ほどまでのしっくりとくる握り心地は既に無く、まるで不格好な鉄の塊に乱暴に刺した棒を握っているかのようだった。


 油断なく身構えながら相棒の無残な姿に目をやれば、亀裂から鉄くずがばらばらと落ちている。そしてあるものが埋め込まれていることに今更ながら気がつき……不意打ち気味に放たれたアイゼンの鉄拳を剣で弾き損ねて大きく吹き飛んだ。


「ぐっ……なんと重い——」

「どんな原理で連換術師でもねぇジジィが雷宿した鉄塊を振り回してんのかと思えば……こいつは傑作だ。まさか、こんなものが仕込まれていたなんてよ」


 金属の喉が発する声に鼓膜を揺さぶられながら前を向く。全身鉄の化け物はケタケタと狂ったように嗤いながら、片手で球状の何かを放り上げて弄んでいた。


「なんじゃ? その玉は」

「おめぇの鉄塊に仕込まれていたブツだよ。只の連換玉……じゃねぇな。こいつに秘められた属性は四大、金属のどれも当てはまらねぇ。——空想元素、か。震えるねぇ」


 ぽーん、ぽーんと鮮やかな紫の玉を弄ぶアイゼンは、宙高くそれを放り投げる。大きく口を開け一息に呑み込んだ。鉄で覆われた皮膚のはずなのに、喉を通り過ぎるその音はまさに人のそれ。

 一体、何をするつもりなのかと今にも崩れてバラバラになってしまいそうな雷霆を構えた春雷卿は、ピリリと肌に痺れる感覚を覚えた。

 ——おかしい。常に微弱な電流を常時垂れ流している相棒を長年振るってきたのだ。

 とうにこの体は電気への耐性が付いている。

 いかづちがなんたるものかも、身をもって体験したことだってある。

 流石の無謀ぶりに当時、まだ契りを結ぶ前だった妻から顔が腫れ上がるほど平手をくらったものだが。

 しかし、聞き慣れない元素の名とそんな得体のしれない物が己の相棒に仕込まれていたなんて、想像出来るはずもない。


「おいおい、武人ともあろうもんがなーにだらしなく呆けてやがる?」

「……若造が。目上の儂に説教か?」


 挑発とわかってはいても、つい語気が強くなる。

 そんな焦燥もお見通しなのか、 アイゼンはヒュゥーっとあからさまな口笛を吹いた。


「まぁこちらの目的はほぼほぼ達成だ。秘密裏に掘った地下で培養した実験体共もいい働きしてくれたもんだぜ。聖地は完全にぶっ壊してやった。ガキババァも喜ぶだろうよ」

「——解せぬ。おんしら何故聖地をこうまで目の敵にする?」


 この場でこんな問いをしたところで既に意味は無い。けれども聞かずにはいられなかった。何故、精霊教会の聖地を完膚なきまで破壊する必要があったのか、と。

 返答は元より期待していない。

 アイゼンはそんな春雷卿をつまらなさそうに眺め、何処からか取り出した葉巻を口に咥えた。


「問いに問いを返すがよ。それ俺が教えて納得すんのか? それとも冥土の土産に知りたいだけか?」

「——他意は無い、ただ知りたいだけよ」

「……」


 果たしてアイゼンは答えに満足したかどうかは春雷卿には知る由も無い。

 意図せずして生まれた膠着状況に僅かに緊張が解けつつある中、春雷卿はアイゼンが取った行動に目を疑った。


「……なんのつもりじゃ、若造」

「ただの気まぐれってやつだ。まぁ一本吸えや」


 鉄の手に握られているのは、場違いにも程がある高級葉巻。肺活量を落とさぬよう生涯禁煙を貫いていた春雷卿は戸惑いながらもそれを受け取る。

 巻かれたラベルを見れば新大陸産のもののようだ。

 航海術を編みだし、大陸から更なる新天地を目指した祖先達が発見した未開の土地。

 伝え聞くところによれば、帝国からも船団が派遣され植民地にすべく原住民を迫害したとも。

 

「どうしたジジィ。葉巻がそんなに珍しいか?」

「いや。折角の施しじゃ。——火を貰えるか」


 アイゼンは何も言わずガチンと拳と拳をかち合わせて、両手を赤熱させた。

 失礼と一言断り老兵は葉巻に火を付けて……ひと思いに煙を吸い込んだ。


「……苦い」

「あーん? 俺より年喰ってる癖に葉巻も吸ったことねぇのかよジジィ?」

「生涯現役を貫く誓いを立てた以上、喫煙など微塵も考えんかったわ。ふむ……これが葉巻か」


 ドカッと水飛沫を上げながら春雷卿は小川に腰を降ろす。

 戦闘で火照った体が冷やされて、思考が澄み渡ってゆくのを如実に感じた。

 それに最初は苦みしかなかった葉巻も、存外悪くない。

 子供の頃、祖父がパイプからぷかぷか丸い煙を吹かせていた姿に憧れを抱いたことを今更ながら思い出し……、忍び笑いをつい漏らした。


「何か楽しいことでもあったのかよ?」

「なんでもないわい。長話は好かん。——語るなら手短に頼む」

「奇遇だなぁ。俺もだよ。そいじゃ一服がてら話してやるか。——俺らアルケーが聖地を襲った理由について」

 

 鉄の化け物は語りだす。如何なる理由でもって聖地を襲ったかを。

 満身創痍の老兵は、葉巻から煙をくゆらせながら静かに耳を傾けた。

 

 



 

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