四十九話 一角の聖獣

 何処からともなく聞こえた声に警戒を緩めず周囲を見渡した。晴れてゆく霧が薄まりこちらに近づく何かの影を目視する。

 蹄の音を響かせるその音の正体は馬……なのだろうか。

 徐々に薄まる霧から姿を現したその神々しい姿に俺は目を見張った。


「額に……角?」


 本来なら平たいその部位から突き出すように生えているのは、紛れもない見事な白銀の角。その体毛は信じられない程に白く、陽光に照らされる様は神々しさに満ちていた。美しさと異質さがないまぜになった信じがたい存在に気圧されていると、再び声が頭の中で響いた。

 

『ようやく、会えましたね。オリワスが認めた元素術師よ』

「……お前も聖獣……なのか?」

『ええ。私は一角の聖獣。かの者と原初の精霊より、ここシナイ山の見守り役を仰せつかったものです』

「見守り……かの者?」


 一角の聖獣が意味深に告げたことは当然ながら心当たりは無い。人語を介せるということはあのいけ好かない巨大鷹と同じような生き物? なのだろう。口調からしてあいつほど威丈高ではないようだが。


『首を傾げているところから察するに、全て知らされているわけでも無さそうですね?』

「あ、ああ……。危うく死にかけたところをあのハゲた……じゃなくて、天翼の聖獣に救われて有無を言わさずここに降ろされただけだから」

『……空の王者を自称してる癖に。人にあたりが強いのは今も変わらずですか。わかりました。では天翼に代わり私が元素術師殿の疑問を解消いたしましょう。——その交換条件ではないですが、貴方に行っていただきたいことがあります』

「やってもらいたいこと?」

『はい。——山頂に封じられし、災厄を封じ込めた聖杯。その淀みを浄化の風で清めていただきたいのです』

「さ……災厄……だと!?」


 不意打ちにもほどがあるお願いに思わず声が出る。が、これでようやく合点がいった。聖地に蔓延っていた奴らの影とその狙い。全ては禁足地たるこのシナイ山に封じられた聖杯とやらが目的であるなら、全て辻褄が合う。


「事を急いた感が否めないコンクラーヴェの強行は、全てアルケーが災厄を解放する為の一芝居だったってことか……?」

『アルケー……禍々しい響きです。それが災厄の使徒達が今の世で名乗っている忌名なのですね?』

「災厄の使徒……? 初めて訊く名だけど、そいつらもアルケーと関係が?」

『——どうやら私達は互いに知っている情報を交換する必要がありそうです。こちらへ元素術師殿。聖杯の元に案内いたします』


 一角の聖獣は踵を返すと顔だけこちらに向けてついてくるように促す。俺は躊躇わずその後ろ姿を追いかけた。


★ ★ ★


「あれが聖杯——」


 文字通りの獣道を聖獣の後について歩くことしばらく。山頂から突き出した岩山をくり抜いたように空洞がぽかりと大きな口を開けていた。岩を削って作られたと思しき自然の回廊を下った先に、それは有った。

 青銅か真鍮か。材質は見た目では判断出来ないが年代物の古びた大きな杯。

 装飾として掘られているのはおそらく、一年を十二の星座の獣に例えた『黄道十二獣』のレリーフ浮き彫り細工なのだろうか。 

 見事な聖遺物の造形に目を奪われていると、一角の聖獣がいつの間にか俺の横に立っていた。


『あれなるは精霊教会の開祖である初代教皇ジュデッサが残した軌跡の一つ。太陽と星の聖杯——です』

「太陽と……星の聖杯?」

『はい。今より遙か昔のこと。まだ人々が精霊という存在を当たり前の存在だと思っていた頃。羊飼いの青年だったジュデッサは、偶然出会った原初の精霊からこの世界の真理について学びました。——やがて訪れる世界の終わりを回避する為に』

「世界の……終わり? なんだよ、それ」


 余りにも不吉極まるその言葉に、思わず身震いした。

 一体、この美しい獣は俺に何を伝えるつもりなのかと。


『世界の始まりと終わり。いかなる世界に置いても変えることの出来ない不文律。これをジュデッサはある方法を用いて、回避を試みました。——一ナル元素を用いて』

「それって……確かあのマセガキじゃなくて、クピドゥス強欲が言ってた……」


 脳裏に蘇るのは帝都の地下に囚われたあの時のこと。奴らの首魁たる何故か幼女の姿で顕現した災厄が求めていたものを思い出す。

 

 一ナル元素——


 確かにあの人の姿をした化け物は言った。一ナル元素を手に入れる為に精霊の落とし子の力が必要なのだと。それが何を示すのかは、全くもって見当もつかない。けれど、これだけは考えなくてもわかる。


「人どころか……災厄にも決して渡してはいけない危険な力ってことか?」

『如何にも。この星に生きる全ての命の源流たる元素のことです。元素術師殿なら元素の持つ力とその危険性、十分理解されているのでは?』

「ああ。だけど、ジュデッサは使ったんだな?」

『……はい。そうしなければこの星は滅びていたでしょうから』


 一角の聖獣は険しくも物悲しい眼差しを聖杯に向けてそのまま黙ってしまった。どうやら、過ぎ去りし過去を偲んでいるようだ。詳細を聞き出したいところではあるが、黙祷しているかのように静かに頭を垂れる獣の祈りを邪魔するわけにもいかない。


 視線を獣から聖杯に移す。

 意識を集中して凝視すると、僅かにだが聖杯の周囲の空気が揺らいでいるのがわかる。紫の薄い霧のようなものが聖杯から滲み出ているようだが、あれが淀みなのだろうか。

 何はともあれ、あれを放置すれば第二の災厄が解き放たれてまうのは明白。

 利き腕に巻き付けた聖獣の羽も危険を知らせるかのように淡く光っているところを見るに、聖獣達にとっても看過出来ない状態なのは察せられた。


「とりあえず、やるか浄化。元素集中——」


 すっかりコツを掴んだ聖獣の羽と生命エーテルを繋げて、いつも通りに風を連換しようとして……思いとどまった。

 対象は台座の上に載せられた特に固定もされていない古びた杯だ。

 間違っても強風で落としたり壊したりは出来ない。

 よって連換するのは風では無く空気の流れ。

 空洞内に流れる気流を阻害しないように、浄化の力を加えた空気を静かに聖杯に向けて送り込んだ。


『……見事。素晴らしき才能と力の行使です』

「褒めるのは一仕事終えてからにしてくれ。……こりゃ時間掛かりそうだな」


 絶え間なく空気を流し込みながら、聖杯を浸蝕している淀みが想像以上に大質量であることに今更ながら気づく。これまで遭遇した汚染されたエーテルとも、皇都を覆い尽くした高濃度のエーテルともまた違う異質な感覚に肌がぞわっとした。

 現物を素手で触れることなく作業出来るのが唯一の救いかもしれない。


「紫の淀みが晴れるまで浄化を続ければいいのか?」

『はい。聖杯に溜まってしまった淀みはかなりの濃度ですので、少し時間はかかるかと思いますが』

「それは……具体的にどれくらいなんだよ?」

『そうですね——。おおよそ半日くらいかと』

「……は、半日!?』


 思わず手元が狂いかける。状況が差し迫って一刻一秒を争うこの事態に、そんな悠長にしている暇なんてあるわけがないのに。


「……麓の聖地が今どうなっているのか把握した上でのお願いなのか?」

『理解しがたいことであることは承知の上。しかし、災厄の復活の兆しを無視するにも出来ません』

「それは……そうだろうけど」


 こんなところで板挟みになるなんて思いもしなかった。今すぐにでも試練を中断して、麓の聖地に駆けつけなければならない。けれど、このシナイ山で行うべきことは何一つ達成出来ていない。

 雁字搦めになりつつある思考に、更に事態を悪化させる要因が加わり正常な判断力は徐々に失いつつある。

 今、一番優先すべきことは何か——?

 焦燥でどうにかなりそうな感情は今にも爆発しそうで、呼吸の間隔が段々と短くなり視界が僅かにぼやけかけて……


「その聖杯はお前如きが触れていいものじゃないさね」

「なっ……がはっ!?」


 背後から迫る気配に気づけなかったといえば自業自得。

 強烈な激痛に下を向けば血塗れの青白い手が俺の脇腹を貫いていた。


 

 

 


 

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