四十八話 伝説が伝説で無くなる時
「……しくじった。ぐっ!?」
フレイメルの身を覆っていた精霊外装が苦悶の呻きと共に剥がれ落ちる。
焔の連換術と精密なエーテル操作で直接肌を焼くことは無い術式ではあるが、その代償として体力を非常に消耗する。
故に術を保てるのは五分が限度。それを過ぎればやがて高熱は皮膚を蝕み、最悪死に至る。
想像以上に体力、気力を消耗したフレイメルはその場にどさりと倒れ伏した。
奥の手を解放したにも関わらず、賊を仕留め損なった。
それだけでも腕に熱した焼きごてを故郷でなら容赦なく師父から押しつけられる失態なのに、あろうことか護衛役としての任さえ全うすることが出来なかった。
針のむしろに包まれるだけではまだ足りない。
火を付けられた小屋の中、燃え尽きるまでその場に座し、熱い煤を被り灰塗れになるまで身を清めねばとてもではないが己を許せそうにない。
(アルクス様……いや、こともあろうか教皇猊下のご息女を賊に奪われるなど、なんたる不届き……、死罪を命じられても致し方なし……)
朦朧とする思考の中で、フレイメルは聖地で起きた異常事態に対して思考を巡らせた。
事の起こりはふたつき程前、天秤の月に遡る。
深夜、警備が手薄の時間を狙った突然の凶行。クロイツ教皇の寝所で惨劇が起きた。
護衛の従者が次々と凶刃の手に落ち、教皇は命こそ助かったものの、現場に向かった聖十字騎士団に救出された時には既に病に掛かり衰弱していた。
一向に回復の兆しが現れない教皇の容態は日に日に悪化するばかりで、このままでは精霊教会の存続に関わる。
事態を重く見た失楽園の枢機卿達は直ぐに次期教皇候補の選定を開始。
数ある候補の中から、候補として上げられたのは半数以上の枢機卿達から支持を得た由緒ある士師の家系であるカイン・プロフィティス。
と、レイ枢機卿が擁立した対立候補として教皇の息女であるシエラ・プルゥエル。
レイ枢機卿の慣例を無視した女人の候補擁立に枢機卿達は俄に浮き足立った。
世襲制の時代もあった歴代教皇の系図が残っている以上、決して間違いではない候補の立て方ではあるが、何故今この時に……? という疑念の目が向けられたのは当然のことと云えよう。
異例のことではあったものの、以前より体調の思わしく無かった教皇の後見人としてシエラは聖地に戻ることになっていた。最近帝国各地で起こった異変の解決に尽力した功績と、今代の聖女として風格をも備えつつある彼女の聖地への帰還は、崩れつつある教義の中興役として大いに期待されていたからだ。
全てのお膳立てが整い異例尽くしの大聖別の儀が行われることが決まった矢先。シエラが聖地に向かっている最中にまたも想定外の事態が起こる。
干ばつにより井戸の水すらも枯れてしまった荒野に潤いを取り戻す為に、異端の術で三日三晩にも渡り雨を降らせ続けたシエラは、昏睡状態に陥ってしまった。
聖地に運ばれた彼女の意識は戻らず、もはや命の灯火も尽きたかと思われたその時、奇跡が起きた。
先の教皇暗殺未遂の際に、犠牲者となってしまった名代アルクスの精神がシエラの身体に宿ったのだ。
聖地に時折、ふらりと現れる原初の精霊が語るには、聖女の
壊れかけたシエラの精神は生命が還るとされるシナイ山に散り散りになっており、山の清浄なエーテルに触れることにより再生を図っているとも。
だが、そのままにしておけばやがて精神もエーテルに溶けて命の循環に戻ってしまう。
よって、精神が十分に回復しきった頃合い……すなわち大聖別の儀に乗じて、回収する手筈になった。
様々な要因が重なり本来ならシエラの護衛を務めることになっていたフレイメルは、アルクスの護衛役として大聖別の儀に関わることになる——。
これが、今回の異変が起きる前の経緯。
狡猾にも既に聖地で活動を開始していた
奴らの思惑通り、大聖別の儀はそれどころでは無くなり、アルクスまで連れ去られた。
考えうる限りの最悪の事態。
一刻も早く、アルクスを救出しなければ更に事態は深刻化するだろう。
もしや、聖地は……精霊教会は今日、滅ぶ……のか? とすらも思えてくる。
「いつまで……呆けている」
いつもなら青二才に過ぎる連換術師に掛ける叱咤を己に向けて発する。
生命エーテルの操作によって四肢の血流を止め血液の沸騰を抑えていたこともあり、まだ血液が行き渡っておらず、まるでぶよぶよとした神経の通わない肉の重石と化した腕と脚の感触が不快に過ぎる。
十二分に体を動かせるようになるまでまだ時間が掛かりすぎる。
こんなところで悠長にしていられる間など無いのに、時間ばかりが過ぎていくことにこれ以上耐えられそうもない。
かくなる上は、師父から堅く禁じられている精霊外装の連続発動のみ。
無論、十分な冷却時間を置かなければ、外装の効果時間を待たずしてその身は熱に焦がされ消し炭となるのは知った上で。
「我が一族の宿願……この目で見届けるまで死ぬつもりは無かったが、ままならんもの……よ」
呼吸と共に火のエーテルを身体に取り込む。
血液を行き渡らせる心臓をエーテル操作で無理矢理動かして、術の発動体制を整える。
命燃やす時は今を置いて他に無し——
諦観とは違う覚悟も決まり精霊外装を再び纏おうとしたその時、緑色の光が突如基底洞穴内に溢れた。
何事かと思わず構成しかけていた術を止め周囲を見渡す。
そして驚くべき光景に目を疑った。
「……巨大緑水晶に……亀裂が走っている??」
先ほどまでの戦いの余波を受けてか、それとも別の要因か。
悠久の年月が造り上げた自然の美しい造形。それが見る見る内に崩れてゆくのを目の当たりにする。
碌に身動きも取れないこの状況下、身を守るものは何もなく水晶の細かい欠片がばらばらと降り注ぐのは恐怖でしかない。
更に不運が重なるように基底洞穴全体が地響きを立てて揺れている。
どちらにせよ、このまま座して待てば死を迎えるは必定——
そして、連換術を行使する体力も残されていなかったことを今更ながら自覚した。
(いや、それもまた定めか……)
死の直前には走馬灯が浮かぶとされているらしい。が、生憎とフレイメルには何も思い浮かばない。その代わり、行方知れずの兄の顔をふと思い出した。
(兄者……、なぜあのようなことをした? 今……どこにいる。いや、その前にまだ生きておるのだろうな……?)
灼火の一族の禁を犯し、一族から追放された唯一の肉親。
風の噂では一時、聖十字騎士団に身を寄せていたらしいが、噂を聞きつけ兄の所属を尋ねに聖地に赴いた時には、既にかの地を去った後だった。
その後、紆余曲折を経てレイ枢機卿の従者となり、なし崩しに精霊教会の為に働いてきたが、片時も兄のことを忘れたことは無い。
故に、死の淵に立っているまさに今、兄の安否を思う気持ちがしこりのように心に残る。
が、もはやどうすることも出来ない。
使命に突き動かされていた体の熱が緩やかに冷えていくのを感じる。
このまま目を閉じて全てを受け入れようとしたその時、
「何、諦めようとしているの。それでも義に厚かったトライシオンの末裔なの?」
薄れ行く意識の中、記憶の彼方か、はたまた先祖の記憶が蘇ったのか、どこか懐かしい少女の声を耳にした。
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