四十七話 連換術の秘奥

 複雑に絡み合った連換術式を分解の工程で解く——

 山頂を覆うほどの暴風がぱたりと勢いを弱めて、凪が訪れた。


『なん……だよ、これ!? おい本物!! 何をしやがった』

「はっ……。俺の複製だかなんだか知らねぇが、連換術の基礎ぐらい学んでおけよ」


 歯ぎしりしながら唾を飛ばすそいつに俺は表向きは冷静に相対する。

 連換術の発動工程の一つである元素分解とは、大気に点在する元素を連換術に適した性質に変化させる為の工程だ。

 自然のままの元素から連換術発動に必要な純元素を抽出し、術の効果を何倍にも高める。

 元素の構造を超常現象に造り換えることこそ連換術の真髄と云ってもいい。


 俺が無意識で行ったことは、その応用。

 既に完成された術を紐解き、元の元素の形に戻しただけ。

 口で云うのは簡単。

 しかし、成功したのもこれが初めてだった。


 不思議と頭が割れそうなほどの頭痛は消え失せて、いやに思考がはっきりとしている。さっきまで際限無しに風を連換していた聖獣の羽は何事も無かったように沈黙していた。


 変化といえばこれくらいだが、妙に何かが馴染んでいる実感がある。

 連換玉と接続している時以上に、通りがいいというか上手い表現が思い浮かばないが。


『——はっ! どんな手品か知らねぇがそんな大道芸、そう何度も出来るはずがねぇ! 元素解放!』


 苛立ちを隠そうともしないそいつは再び風の連換術を発動する。

 連換した風を四肢に纏うその術式は、俺が最も得意とする身体強化。

 

 先ほどまでの攻防で大きく離された距離を一気に詰めてきた奴は、次の瞬間、唸りを上げた拳を振りかぶり殴りかかってきた。


「——っ」


 喧嘩慣れした子供が振るうような単純な拳。

 けれど、風の連換術で何倍も身体能力を強化されたその一撃はまともに受ければ、まず腕の骨は砕ける。


 咄嗟に構えた玄武の型で地に足を深く落とし、風圧を伴ったその一撃をすんででいなす。絡め取った奴の腕を起点に弧を描くように衝撃を流し、一本背負いの如く地面に叩きつける。

 みしっ……と静かに骨が軋む音が耳朶に響いた。


『がはっ!? 本物……てんめぇ』

「動きが単調すぎるんだよ! 俺の偽物騙るには役者不足にもほどがあんだろうが!」

『……なら、もっと地獄を見せてやるよ』


 形成逆転……と決め込みたいところだが、さして効いてはいないらしい。

 俺の手を乱暴に振りほどき脱臼した右腕を揺らしながら、奴は再び突撃の構えを取る。先ほどと同じ身体強化の連換術を、今度は両脚を覆うように纏い地面を蹴りとばし一気に距離を詰めてきた。


 自分の得意技を身を持って体感するなんてことが現実にあり得るか? という常識は今この場で綺麗に消え失せる。


 相対しているのは認めたくもないがアルケーが作りだした俺の複製。

 お互いの基礎能力には多少の差異があるようだが、それでも決して油断出来る相手ではない。


「……仕方なし。徹底的にわからせるか」


 玄武の型を解き、捌きに特化した青龍の型に切り替える。

 空が近いせいか水属性のエーテルも地上のそれと比べると密度が濃い。

 呼吸と共に取り込んだエーテルを全身に行き渡らせて、打ち込まれた蹴りを衝撃を殺しながら受け流す。


 やみくもに放たれた素人同然の蹴りでも風によって威力は何倍にも増幅されている。

 が、聖獣の羽と同調したせいか、それともさっきから普段と違う澄んだエーテルを取り込んでいるからなのか、信じがたいことに奴の動作が手に取るようにわかる。


 首を狙った上段蹴りを下から掬い上げるように弾き、鳩尾を狙ったひざ蹴りを体捌きで軸をずらしギリギリで躱す。


 がら空きになった背中に両足を滑らすように重心を下から上に流して、背中から体当たりの衝撃と共に打ち出す。きりもみしながら吹っ飛んだ偽物は、岩壁にめり込むように激突しうつ伏せに倒れた。

 

『がはっ……、んだよ、それ」

貼山靠てつざんこう。内で練った勁を衝撃と共に繰り出す技だ。——厳しい修行を乗り越えて、身体で体得した東方体術の技までは真似出来ないようだな?」


 滾った感覚を鎮める為に、ゆっくりと呼吸をしながら警戒しつつ距離を詰める。

 よほど綺麗に衝撃が身体に行き渡ったのだろう。

 偽物はまるで足をもがれた蟻のように、起き上がろうとしては倒れ伏すを繰り返している。

 さっきまでの人を見下すようなことばかり言っていた奴が、完膚なきまでに打ちのめされた様は見ていて気持ちにいいものでは無かった。


『ゲホッガハッ……なぜだ。なぜ立ち上がれない!?』


 支えを得ようとして爪を地面に何度も立て、空しく力が抜けるを繰り返す奴の両手は血塗れだった。衣服の端々から血液なのかそうで無いのか判別つかない液体が滲み出て染みを作っていた。


 荒い呼吸を繰り返す奴は既に虫の息だ。

 仕留める絶好の機会であるというのに、何故か手が震える。気づけば自らの手で命を奪うことに……耐え難い重圧を感じていた。


『——どうした、本物。やらないのかよ」

「……うるせぇ。そんなにくたばりたいなら今すぐ——」

『ハッ! お前なんぞに出来るわけねぇだろ。それにてめぇみてぇな情けない奴にやられるくらいなら、自ら命を絶った方がマシだ』

「何……言ってやがる?」

『見てろ。これが作られた命の意地ってやつだ!」


 にぃっと悍ましい嗤いを見せつける奴の顔から目が離せない。

 この後に及んで何をするつもりなのか、咄嗟に身構えるとカチッと何かが押されたような音を耳にした。


「お前……?」

『道連れってやつだよ。これが造物主から命じられた最重要命令……だからな』


 奴の身体から明らかに異常なエーテルが放出された。

 恐ろしく濃度の高いそれを吸い込む前に本能的な危機感が働き、咄嗟に浄化の風を連換。周囲を覆うように展開した。


『お前が英雄? ハッ! 教会の小娘がいなけりゃ何も出来ないじゃねぇか。そんな中途半端なエーテル浄化風でこいつは防げねぇよ!』


 汚染エーテルは瞬く間に偽物を覆い尽くし、ガス溜まりかのようにその場に留まり続ける。このまま放置すればシナイ山どころか、麓の聖地まで風に乗って運ばれ尋常ではない被害が発生する。


 そんなこと、連換術師として見逃せるはずがない。


「アルケーの思い通りにさせてたまるかってんだ。吹き荒れろ! 浄化の風!」


 聖獣の羽を連換玉に見立て浄化の風を大量に連換。

 渦を巻き始めた汚染エーテルの拡散を風力、向きをエーテル操作で調節した浄化風で繭のように包み込む。

 翡翠の籠手……偽物の云うことを鵜呑みにするなら精霊装具を介して発動する連換術に全く劣らず、それどころか出力はむしろ上がっている。

 その証拠に連換した浄化風は瞬く間に汚染エーテルを浄化し、濃度がみるみる下がっていく。


 風に飛ばされないよう両脚で踏ん張り続けているのと、眼圧を緩和すべく目は半開きの為、全てを見届けたわけではない。

 風の強さが少し弱まってから目を開けると、汚染エーテルは跡形もなく無くなっていた。


 張り詰めていた呼気を吐き出し、緊張を解く。

 偽物が倒れ伏していた地点に亡骸は無かった。ただ、べっとりとした血のようなものが残っていた。


「……結局なんだったんだ? アイツは?」


 奴の自我を無意識で揺さぶるように俺の複製だと決めつけたわけだが、果たしてその判断は正しかったのか……いや済んだことだ。


 色々あったが聖獣の羽との同調は完了している。

 これならシナイ山に潜む聖獣達を正気に戻すことも可能なはず……だ。


「けど、冷静に考えて今から山の中にいる全ての聖獣を正気に戻している時間なんて」

『心配不要です元素術師。その浄化の風があればここから皆の正気を取り戻せます』


 囁くような綺麗な声が俺の呟きに応えて、いつのまにか山頂を覆う霧が晴れていた。

 

 

 


 

 

 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る