四十六話 雷が止む時
「ぬぅぅぅぅああああああああ!」
唸りを上げた鉄塊が稲光を纏いアイゼンに迫る。元々銘などなかったその巨剣に師は餞別の際「雷霆」と名付けた。
その意味は古き神話に語られる全能の神が振るった権能に由来する。
鉄塊の表面に浮き出た電気の回路は擬似的に雷の元素を発生させていた。それも連換術において科学現象の複合において再現する電気ではなく、自然現象たる
空想元素の一つ、くしくも同じ名である「雷霆」の元素と同じ性質。
迸る電気が流れ落ちる水に伝導し、急流に生息する生物がたまらず水面に浮かび上がる。
「——ッ!? めんどくせぇ……。雷を発生させる巨剣だぁ? ジジィ感電したいのか!?」
「カカッ! 電気風呂と大して変わらん! この程度の電気にビビるとは最近の若造にしては軟弱じゃのう?」
「……ジジィ。死にてぇらしいな」
アイゼンは意思持つ鎖、フェッルムを打ち付けて鉄塊の軌道をすんででずらした。もう一本の鎖を山肌に生えた木に縛り付けて避雷針の代わりにしながら距離を取る。
対する春雷卿はバチバチと火花が飛び散る巨剣「雷霆」を両手で握った。半ば水に浸かった両脚で川底を蹴り、一足飛びに跳躍する。
上段に構えた鉄塊を天に掲げ裂帛の気合いと共にアイゼンを標的に振り下ろす。
「ぜぇああああああっ!」
その瞬間、滝が消失した。滝となって流れ落ちる水量がその一振りで巻き上がる。わずかの間、川底が覗くほどの一撃をすれすれで躱したアイゼンはたまらず大きく跳び退く。
「——!! ふざけろ!? ジジィ!?」
「カカッ! 脳天かち割るつもりで振るったんじゃ! まさか若造如きに我が乾坤一擲を避けられるとは思わなんだが」
激高するアイゼンに対し春雷卿は雷霆を担ぎ上げて余裕を見せつける。
荒野のアウトローは想定外の事態にぷっと咥えていた煙草を吐き出した。
「……めんどくせぇ。ただでさえ後が詰まってるてのによぉ」
「罪なき信徒達を襲っておる不埒共風情の思うようにはさせんよ。——下で暴れまわっとるあの人もどきのような異形はなんじゃ? どこからあんなもの持ち込んだ?」
眼下を睨みながら春雷卿が問う。
巡礼に訪れていた大勢の信徒達が異形に襲われ逃げ惑っている様に、鋭い視線を向けながら。
アイゼンは懐から煙草を取り出すと、鎖に擦りつけて火を付ける。ふーっと煙を吐き出しながら、気怠げに口を開いた。
「詳しいことは俺も知らねぇ。ただ、あの異形どもは完全なる人間の二歩、三歩手前の存在……だそうだ。な? 意味わからねぇだろ?」
ぎゃははっと耳障りな笑い声を上げた後、げほごほと咳でむせ込む初老の男の言葉は当てにならなさすぎる。耳をつんざく人々の様々な感情が入り乱れた叫び声が怒号のように木霊する中、春雷卿は視線を無理矢理アイゼンに戻した。
「では、どうやってアレを止められる? 人同様、心臓や頭を狙えば殺せるのか?」
「さぁ? やってみりゃわかんじゃねぇのか? もっとも、俺様の足止めを掻い潜ることができればの話だが」
ひゅんっと鎖を投げ縄のように空で回転し始めたアイゼンは不敵にニヤリと嗤う。
致命傷こそ避けてはいるものの、何度か雷霆による一撃はたたき込んだ。常人なら骨がひしゃげる程の衝撃を受けて尚、まだ立ちはだかるアイゼンに違和感を覚えていた。
(然程、鍛えておるとも思えぬ。それにあの異常な喫煙量で肺も相当弱っておるはず? が、息を切らせる無様は晒しておらぬ。なんじゃ? この男は? 本当に人……か?)
「なにぼけーっと突っ立ってやがる? ジジィ。耄碌でも始まったか?」
「ハッ! 生憎じゃが耄碌もしとらんしボケてもおらぬよ。年寄りを敬わぬお前みたいな若造に心配されとうないわ!」
「なら、よう。ちょっとばかしその寿命縮めさせてもらおうか」
「——何を言い出す?」
「フェッルム。めんどくせぇが本気だすぞ。——元素溶鉱」
鍔広のテンガロンハットに紐で雑に括り付けられた鼠色の連換玉が鈍い輝きを放つ。連換術を発動するイメージする掛け声を皮切りに、アイゼンが握る鎖がドロリと液状に変化した。
「——連換術じゃと」
「コレをやると体力消耗するから超だりいんだが、たまには真面目に仕事するかね」
ただ、ただ、全てにおいて怠惰な男の皮膚に液状化した鉄が纏わり付く。
溶鉱炉の高温で溶け赤熱したその状態の鉄は低めに見積もっても1500℃以上。
常人なら皮膚がただれるどころか火葬よろしく消し炭になる温度の鉄を纏った男は、しかし平然と煙草の煙を吹かしていた。
「面妖な……」
「あー目が覚める熱さだぜ。もっとも俺にとっちゃこんなのぬるま湯と同じだがな。そいじゃあ仕上げと……——元素同化」
全身に巡った鉄が男の身体を包みこむ。さながら蝶が羽化する前の繭のような球体に膨れ上がった鉄の塊は恐ろしい程の高温を発していた。
「何をしでかすつもりか知らんが、悠長に待ってやる義理など持ち合わせてはおらぬぞ」
無防備を晒すアイゼンだった鉄の塊に紫電を纏った雷霆を上段から叩きつける。
堅い金属といえど、圧力を掛けた重撃を何度も加えれば、ひび割れ壊れる。それが道理。
が、春雷卿は目の前で起きた現象に目を見張った。
「なんじゃ……? この鉄、柔らかい? ——ぐふっ!?」
鉄の球体を真っ二つにするつもりで振り下ろした雷霆の一撃は、なぜかゴムのように弾力のある鉄に弾かれる。
その間隙の隙を狙っていたのか、球体から鋭い鉄の鏃がいくつも形成されバキバキに割れた腹筋ごと腹を貫いた。
「ガハッ……。姑息な手を……」
「おいおいジジイ? こういう時は変身を見届けるのが通の楽しみだろうがよ。とくとその老いぼれた
鉄の球体がみるみる内に何かの形を成していく。
それは人の形を基底にし、肉体そのものを鋼の身体と化した現実ではあり得ないもの。均整の取れたその肉体……否、
希代の彫刻家が端正込めて彫り上げた人の現し身——それがもし鉄で作られたのならばこのようなモノが出来上がるものだろうかと、らしくもないことを頭に浮かべながら。
「——製鉄完了。なんだなんだジジイ? 急に腑抜けやがって。そんなに俺様の
「……たわけが。比喩である鋼の肉体ではなく、本物の鋼の肉体に成れる人間がいてたまるか。——いいじゃろう。それが真の鋼か、偽りか、我が剣にて確かめてやろうではないか」
「抜かせ、ジジィ。その大層な呼び名ごと錆びさせてやるよ」
互いに放つ剣気と闘気が交差し混じり合い、見えない激しい渦を形成する。
正眼に雷霆を構える春雷卿に対するは、前屈みになり人間ではあり得ない角度で背骨が曲がった鉄の身体と化したアイゼン。
一触即発の空気がちりちりと不可視の熱で互いの皮膚を焼く。
激しい戦いで水の流れもまだらに歪んだ川底に、両者の領域を分かつように左右から水流が流れてくる。
交差した水流が飛沫を上げた瞬間、示し合わせたように二人が動いた。
大きく振りかぶり胴体ごと真っ二つにするつもりで放たれた雷霆の剣閃。
が、それはすげなく鉄の手で、しかも片手で止められた。
「ほう——。中々やりおる——」
「本気だしゃこんなもんだ。が、いくら決闘とはいえ、そのぶっとい剣は些か場違いすぎる。——元素腐食」
「何を——?」
アイゼンが開いた口から覗く奥歯に格納された連換玉が鈍い輝きを放つ。
光が収まったのち、春雷卿は握り締めていた雷霆の変わり果てた姿に目を見開いた。
「一瞬で……錆びたじゃと」
「ついでに強度も半減だ。無論、錆びたからには電気も通りが悪くなる。雷どころか静電気すらおこせやしねぇよ」
鋼の肉体のアイゼンはしてやったりとばかりに嗤うと、錆びた鉄の塊と化した巨剣を素手で握りしめる。
バキリと雷霆の表面に罅が生まれた。
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