四十四話 黒点

「精霊外装……だと」


 道化の驚く様を炎の揺らぎの隙間からフレイメルは何も感慨を抱かずに眺めていた。触れたものを焦がすどころか燃やし尽くす身体と化した今、術者が平気かと問われれば否。


 体表を覆う炎の温度は鉄が融けるほど。

 燃え盛る業火による直接燃焼を連換術で和らげてはいるものの、訓練された術者でも悲鳴を上げるほどの熱だ。


 およそ人どころか生物が耐えられるものではない蝕む炎をその身に纏う炎の魔人。

 しかし、フレイメルは苦悶の声を上げることもなく、静かに冷静に道化から目を離さなかった。


「お前……正気さね?」

「東方伝来の説法では、心頭滅却さすれば火もまた涼し——と聞く。我が一族の教えも似たようなもの。元より幼少のみぎりより火に炙られ続けたこの身体。——熱による痛覚などとうに失っている」


 人型の業火の顔の箇所、口と思しき炎の部位が揺らいだ。常人ならば発狂するであろう責苦を、さもそれが当然のように淡々と告げる。

 それはまるで道化の生き様と全くの真逆で鏡写しかと錯覚を覚えるほど。


 道化は珍しく感情が昂っていることを今更ながら自覚する。それは、マグノリアで英雄と呼ばれる前の若き連換術師と対峙した時とは毛色が異なるもの。——憎悪だった。


「異常、異常、異常、異常、異常、異常——異常さね! 狂った修行とやらで人からも逸脱したのか!」

「狂っているのはお互い様だろう、たわけが。それとも同類愛憐れむというやつか。なら結構。要らぬ心配だ」


 道化の取り乱しぶりに心揺れることもなく、フレイメルは身構えた。手を前に突き出し腰を深く落とした掌打の姿勢を取る。

 狙うは無論、堅い骨の盾に守られた道化の心の臓、ただ一つ。

 深く吸って吐いた息の代わりに、炎で象った口から薄い煙が漏れる。

 対するジュデールは石英から連換した骨を更に密にし硬度を強化。先端を骨同士で削り槍の如く鋭くした。


「調子に乗るのも大概にするさね。飼い犬。如何に炎を纏おうと身体が不死身というわけでもないだろう!」

「だから、なんだ? 我が命は一族の使命に捧げたもの。惜しくなどない。ここが死地であるとするならば、我は全力を持って貴様を燃やしつくすだけだ。——道化」

「……っ。いいさね、そこまで言うならすり潰してやろうじゃないか!」


 ステュクスの船を構成する幾つもの骨が異常な速度で発達し、肥大化する。

 鈍器でありながら先端が幾つも鋭利に尖り、潰すという用途よりも削るに特化した形状はまさに掘削機。

 大質量の骨塊が間髪入れずに振り下ろされて、基底洞窟が大きく揺れた。


「そらそらそらそら! どうした!? 飼い犬!? 大口叩いておいて手も足も出ないか!!」


 道化の絶叫が響き渡り木霊する中、フレイメルは微動だにせず迫り来る骨の塊に目を向ける。大振りな攻撃であり、一度軌道を見切れば避けるのは容易い。

 

「——集点上昇」


 構えた掌に意識を集中。炎の外装の密度が変化を始め、手の箇所の炎の色が変わる。

 眩くばかりに真っ白な白炎が示すのは2000℃を超えた超高熱だった。

 

「—黒纒掌こくてんしょう


 掌底を迫り来る骨塊に向けて放つ。

 炎の掌底と骨が触れた瞬間、それまで焦げ痕一つ付かなかった骨は、白炎に包まれて文字通り消し炭となった。


 「なん……だと」


 道化の攻撃の手が止まる。

 掌底に撃ち抜かれた直後、瞬きの間に乳白色の骨が黒く染まった。

 ふと道化の脳裏にとある記憶がチラつく。

 まだ暗いものも怖いものも知らなかったあの頃、先生と呼び慕った牧師から教えてもらったとある知識を。



——よーくごらん、ジュリアス。明るいはずの太陽に黒い斑点のようなものがあるだろう。あれが黒点と呼ばれる現象だ。太陽は想像を絶する高温の天体。しかし温度はどこも一定というわけではない。周囲の温度より低い箇所はあのように黒ずむのだよ



「馬鹿な……連換術で黒点現象を再現した……だと」


 道化の背にひやりと汗が滴り落ちる。

 黒点とは6000℃以上の太陽の表面において、ガスの流動などによりある一点だけ僅かに温度が下がり黒く目視出来る現象だ。

 先ほどフレイメルが放った掌底も恐らくは燃焼ではなく対象物の温度の変化を誘発する術式。とすれば、起点となる温度は術者本人ということになる。

 

 太陽の表面の温度を人が瞬間的に身に纏う——。

 そんなことが例え連換術を用いたとしても可能なのか……? とジュデールは目を疑った。


「呆ける余裕があるとは、舐められたものだ。——道化」

 

 思考していたのはほんの数秒。しかし、その隙を見逃すほど甘い相手ではない。

 襲い来る骨の塊を次々と炎の掌底で爆散させ、あっという間に距離を詰める。

 死者の船に肉薄したフレイメルは迷わず躊躇わず、拳を突き出した。

 

 熱した石を水を張った鍋に投入すれば一瞬で沸騰する水の如く、精霊外装を纏った拳は飴細工を溶かすように強靱な骨で構成された外殻を穿った。

 尚も深く伸ばされた炎の腕は船の支柱である竜骨にあたる箇所を掴む。

 そして、勢いのままそれを引き抜いた。


「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッッッッ!?」

「骨で構成された船といえど、構造自体は木造船と同じ、か。であるならば竜骨を破壊すれば船は沈む。その上、貴様の肉体から生やした骨だ。生きながらにして骨を抜かれる痛みにさて、道化。貴様はどこまで耐えられる?」


 道化は……否、ジュデールは耐え難い苦痛に全身が文字通り悲鳴を上げた。

 引き抜かれた竜骨は骨どころか人体を維持することにおいても重要な部位である骨髄。蝕玉による再生でもかなりの時間を要する。


 眼前には太陽と見紛うほどの焔の光点と化した一人の男。

 相性が悪いなんて話では済まされない。

 このままでは確実に燃やし尽くされる——


「ゲホッ……ガハッ……。枢機卿の飼い犬……ここまでやるとは」


 下半身不随となり支柱を失った身体がどさりと崩れる。

 両手も満足に動かない。

 絶対絶命の危機の最中、道化は最後の掛けに出た。


 震える手で胸に嵌められた蝕玉を掴み、それをあらん限りの力で引き抜く。

 ブチブチと血管と接合した管が千切れて、遅れて再び気絶しそうな程の痛みに襲われた。


「……この後に及んで悪足掻きか?」

「……くくっ。次期教皇候補を攫うだけだったのに計算外にも程がある。まさか、こちらも奥の手を切らざるを得ないとは」


 道化の顔に笑みが戻る。それは先刻までの相手を侮っていたものではなく、ことここに至って生を実感出来たから。


 あんぐりと大きく開けた口に蝕玉を放り込み、ひと思いに呑み込んだ。

 大きさにして掌大のそれを飲み込む様に虚を突かれたフレイメルは警戒しつつ距離を取る。


 そして、続く道化の変化に目を疑った。


「なんだ……貴様、その身体は。骨が皮膚に浮き出ている……?」

「やれやれ、ここまでの醜態を晒すハメになるとは。だが、セレスト博士の実験の成果を試すにはこれ以上ない好機……さね。じゃれる時間は終わりだ、飼い犬。当初の目的通りアルクス様は我々が丁重におもてなしさせてもらうさね!」


 さっきまで満身創痍だった道化があり得ないことにすくっと立ち上がる。

 骨どころか筋繊維まで浮かび上がった両脚で目にも止まらぬ速さでその場から離脱。距離を取って戦いを見守っていたアルクスに迫った。


「——え」

「しまった——。アルクス様!?」


 振り返るも時既に遅し。異様な姿に変貌した道化はアルクスを抱えて、基底洞穴と地上を結ぶ縦穴を疾風のように登り切った後だった。


 

 

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