四十二話 聖獣の羽と連換術
『山頂だ。降りろ、術士』
「言われなくても降りるっての。そんなことより、カインはお前が守ってくれるんだろうな?」
『原初の精霊よりの頼みだ。本意ではないが次期教皇候補は我が責任を持って預かろう』
天翼の聖獣は俺を山頂に一人残すと再び大空へと舞い上がった。鷲の頭に獅子の体の異様な生物の姿は、いつしか分厚くなり始めた雲に隠れて見えなくなる。
山の天気は変わりやすいとは聞くが、今にも一雨降ってきそうなその変貌ぶりは、混沌とし始めた状況を象徴しているかのようだった。
「さてと……」
嘆いていても事態は打開しない。
ベルトに括り付けたポーチから応急処置用の包帯と、聖獣から預かった一枚の羽を取り出す。
純白のように瞳に映るそれは、陰りつつある陽に透かすと薄らと緑色を帯びている。
鳥についてはそこまで詳しいわけではないが以前、アルタイルとじゃれていた……もとい本気で啄まれていたアルから鳥の羽の構造について、教わったことをふと思い出した。
『いいかい? グラナ。鳥の羽は大空を翔る為に様々な機能を備えているんだ。堅い湾曲した部位の羽軸。そこから上から眺めて内と外、内弁と外弁に別れる。内弁の上部は羽枝と、その下は小羽枝と呼ぶんだ。三つの部位で構成されるシンプルな形状ながら、飛行や保温といった役割に応じて部位ごとに形状は様々に変化していてね——』
詳しい話は割愛するとして、中でも特に飛行能力に長けた大型の鳥の羽にはある特徴があるという。
その特徴とは集羽枝と呼ばれる特殊な形状を持つ羽を生やしていることだ。
羽枝と小羽枝の中間には切れ込みが入ったように隙間がある。
鳥は風切り羽から風を受け、推進力と揚力を得ることによって重力の影響を受けながらも空を飛ぶことが出来る。大型の鳥の場合は自重による重力の影響を緩和する為に、捉えた風を羽毛全体に行き渡らせる集羽枝と呼ばれる部位が羽枝と小羽枝の中間に作られているのだとか。
聖獣から預かった風切り羽も見た目はアルタイルの羽とそう違いは見られない。
だが、明らかに異質な現象が目の前で起こっていた。
「羽が微風を発している……?」
連換術を使えない今の俺にはエーテルの知覚もいつもより感覚が鈍っている。
だが、そんな状態にあっても聖獣の異様に長い集羽枝にあたる箇所から風が発生していることははっきりと知覚することが出来た。
まさかとは思うが、この羽は風を連換——しているのか?
だとすれば、連換玉とは比べものにならない連換術の触媒ということになるが、俄には信じられなかった。
「だけど、これなら——」
左腕に包帯を巻き付け聖獣の羽の羽軸を包帯と包帯の隙間に差し込む。羽軸の先は鋭利な針のように尖っているので、怪我しないよう布で巻き付けてしっかりと固定。
最後に手の甲まで包帯を巻き付けてバンテージのように整えれば即席の可動式籠手が出来上がった。
手の動きが阻害されないか握りを確かめる。少し違和感は残るが直に慣れるだろう。
「よし、それじゃ——元素収束」
天翼の聖獣の話では、この羽で連換術を使えるようになるらしい。
これも半信半疑ではあったが、かの聖女のお墨付きであるならば、今の俺に取っては藁でも縋りたいこれ以上ない最高の援助。
連換玉に元素を集めるように意識を強く、強く腕に巻き付けた羽に集中する——
普段ならすぐに感じる元素の流れが掴めないのがもどかしい。
どうやらガキ精霊……もとい風の精霊から借りていた翡翠の籠手を使い慣れたせいか、感覚が狂っているようだ。
鋭敏になりすぎていた知覚を微調整しながら、改めて連換術の発動工程を頭の中でおさらいする。
連換術とは、元素とエーテルを連換玉を介して融合させて超常の力を引き起こす異能の力だ。術士一人一人の属性は生まれついての体質に迎合したエーテルと適応する元素のみを扱えることが原則。ゆえに、二つ以上の属性を同時に使いこなす術士はそもそも存在しない。
俺が扱える属性は風。
雲海が眼下に広がる山頂には溢れるほどの風の元素がそこかしこに漂っている。
元素とエーテルを取り込み元素の力を解放するのが、触媒である連換玉だ。
それを今は、聖獣の羽で代用する。
「フーッ……」
深く息を吸って雑念を払う。
師匠から連換術を習いたての頃、イメージするだけでは難しい元素の収束のコツとして、呼吸から体内に取り込むようなものだと教わった。
正確には周囲の大気から元素を引き寄せ、それを体内の生命エーテルの流れを操作することによって連換玉に元素を集中させる。
そして、玉を触媒にして元素の働きを活性化させ、連換術を完成させるのが一連の工程なのだが。
「……あの獅子鷲。嘘ついたんじゃねぇだろうな……」
元素の取り込みとエーテルの融合までは羽を介して完成させることは出来た。
が、まてどくらせど術が解放されない。
更にまずいことに、連換術発動に必要な分量の元素とエーテルを取り込んで尚、聖獣の羽はまだ周囲の元素を取り込み続けている。
このままでは過剰に取り込んだ風の元素が触媒の中で飽和して、術が暴走しかねない——。
「な……なんで発動しないんだよ。ぐっ!?」
はちきれんばかりの風の元素がとうとう許容量を超えて羽からあふれ出る。
瞬く間に嵐のように吹き荒れる暴風が俺の周囲に展開した。
触れるだけで身を切り裂かれる竜巻の中央に取り残された。
「しゃれにならないっての!? くそ、止まれよ!?」
尚も元素を連換し続ける聖獣の羽が応えるわけもなく、暴風は再現なく吹き荒れる。万事休す——だ。竜巻の中は空気の流れが速すぎて酸素が薄い。
そして今俺がいるのはシナイ山の山頂。
ただでさえ高山の薄い空気が竜巻によってかき混ぜられている状況は、最悪窒息しかねない緊急事態だった。
「……くそ、呼吸が……はぁはぁ。あら……く……なってきた」
息が、苦しい。
そもそもだ。連換術ってどうやって発動するものだっけ?
と、なんとも危機感の無い思考が脳裏をよぎる。
こうしている間にも、周囲の酸素が刻一刻と失われていってるというのに。
まずい、このままでは……意識が途切れ……。
《師匠! 連換術はどうやって発動するものなのですか?》
「——し、し……しえら?」
幻聴か。それとも幻覚の類いか。
どこからか、あの子の声が耳朶を打つ。
もう随分と長いこと聞いていないものだから、妙に懐かしい。
「そ……うだ。確か……あの時、げほっゲホッ……」
酸欠による血中酸素濃度の低下で今にも意識が途切れかけた時、懐かしい光景が走馬灯のように広がった。
★ ☆ ★
「やった! 出来ました師匠!」
あれは確か、シエラが俺に弟子入りすることが決まってしばらく経った頃。
マグノリアの雑貨屋兼自宅の庭でシエラに連換術の手解きをしていた時だった。
エーテル変質事件後の後始末がようやく一段落し、束の間の平穏な時間。
日常が戻りつつある中、シエラは連換術の勉強を始めた。
その熱心ぶりたるもの、支部再開の準備で多忙を極めていたはずのロレンツさんを始め、幾人か戻ってきたマグノリア支部所属の連換術士達も唸らせるほど。
後に、皇都で巻き込まれたとある事件においても弟子は大活躍するわけだが、それは別の話として。
「おー。水溜まりから水の元素を収束させたのか。となると、シエラの連換術属性は水なのかもしれないな」
「お水ですか? それなら飲み水を連換出来たり?」
「真水の連換は……どうだろう? 飲み水を作ることは不可能じゃないかもだけど」
「では、出来るんですね! それなら砂漠に放り出されても平気ですね!」
「どんな状況だよ、それ? それより術をずっと保持してるけど、発動しないのか?」
「あ……えーと、どうやって元素を解放すればいいのです??」
シエラはそれまでの和やかな笑顔から一変、少し困ったように小首を傾げている。
その視線の先は、先ほどまで水溜まりがあった地面だ。
既に泥混じりの水は蒸発したかのように消え失せて、半乾きの凹みがそこにはあった。
「どうやってって……。単純に元素を留めていた連換玉から引き離すだけだ。ふっと力を抜く感じで」
「……できれば、もうちょっと理論的にお願いします」
心なしか呆れたようにも聞こえる声色でシエラはぽそりと小声で呟く。
り、理論的にか。そもそも連換術自体をエリル師匠から教わった時も、そこまで詳しく教わった覚えはない。
師匠ほど、理論という言葉からかけ離れた人もいないだろう。なので、俺自身も師匠の連換術を見様見真似で会得したわけだが。
術の発動の仕組み……か。そういえばそんなこと考えたこともなかった。
「あの師匠? そろそろ腕がきつくなってきたのですが……」
「へ? ——! ……連換玉が過剰に元素とエーテルを取り込んで膨張しはじめてる!?」
術者の生体エーテルと同調する性質を持つ連換玉は、一度励起しはじめるとまるで砂鉄を集める磁石のように、周囲の元素とエーテルを取り込む性質を持っている。
連換玉の原料、自然界で生まれる天然の連換石もそれは同じで、例えば動物などがうっかり触れると、それを皮切りに元素とエーテルを際限なく取り込んで結果、破裂する。
連換石が人の手によって加工されたのが連換玉であり、まさに自然の神秘を自在に扱うのが連換術だ。
……と、こんな呑気に解説してる場合じゃない!
「師匠! これ……どうなっちゃうんですか!」
「っ……。と、とにかく術が暴走する前に連換玉を空高く放り投げてくれ! 後は俺がなんとかする!」
「わ、わかりました! えーい!」
厚いミトンを模したグローブに嵌められた連換玉ごと、シエラは力の限りぶんなげた。タイミングはギリギリといったところか。
中高く舞う連換玉は見るからに膨張を始めて、あっという間に人の頭ほどの大きさに膨れ上がった。
「間に合え! 元素解放!」
咄嗟に装着した可動式籠手から天へと打ち上げる上昇気流を連換。
火薬と共に打ち上げられた花火のように空を突き破る勢いで吹っ飛んでいった連換玉は、遙か上空でばぁんと大きな音と共に破裂した。
あっけに取られて上を見上げる俺とシエラの顔に天気雨がぼたぼたと落ちてくる。
どうやら発動した術は水蒸気のようで、上空の空気で急速に冷却されて雨に変わったようだった。
「はー……間一発」
「生きた心地がしませんでした……がくり」
尚も振り続ける雨から逃れるように屋根の下に移動した俺達はそろって息を吐いた。これは……真剣に術の発動の仕組みについて再度教わるべきなのかもしれない。
「師匠……もしかして今まで感覚で連換術を扱っていたんです?」
「ああ……。理論や体系があることは後で知ったけど、どれも俺には合わなくてさ。支部の先輩達からも随分と呆れられたなぁ」
「でしたら、感覚の話でもいいので教えてください。術を手放すとはどうすれば?」
「連換玉に元素を取り込む時にエーテルを媒介にするだろ。紐のように元素にくくりつけたエーテルを解く、ってエリル師匠は言ってたけど」
「紐を解く……ですか。なるほど、ではそのイメージで次はやってみます」
その後、何事かとルーゼにこっぴどく叱られるというオチがついたのは言うまでもない。
★ ☆ ★
「紐……を、解く……感じで」
ぼーっとしはじめてきた思考に鞭を打って、意識を羽に集中する。
くしくも状況はあの時と同じ。
あの後も色々あったおかげで術発動の仕組みをきちんと理解することを怠った。
今の状況も自らの怠慢が招いたこと。
けれど。けれど。今、こんなところでくたばるつもりは毛頭ない。
これも俺に課せられた試練……なのだろう。
人には到底御せないはずの自然の力。それをこれまで自在に扱い続けた代償を今、払わされているのだと。
指先に力が伝わらなくなってきた。気づけば視界もぼやけかけている。
あの時の連換玉のように聖獣の羽が膨張することはないが、その代わりにとんでもない質量の元素が集羽枝で渦巻いてるのが感覚でわかる。
圧縮された風は直に溢れ出して壊風となって俺の腕、体を切り刻む……だろう。
今更になって風の精霊の加護がどれだけ有難いものだったのかを噛み締めた。
「……まだ」
唸りを上げる風がまるで獣の吠え声のように、鼓膜を震わせる。
こうなっては五感は邪魔だ。俺は静かに両目を閉じた。
光を遮ったことで、より鮮明にエーテルの流れを感じ取れるようになった。
再度、羽をくくりつけた左腕に意識を集中する。
「紐……これのことか」
エリル師匠がたどたどしい言葉で教えてくれた感覚としての連換術の仕組み。
体から放たれた生命エーテルが集めた元素を逃さないように、幾重も巻き付いて固定していることを初めて知覚することが出来た——。
であるならば結び目を解くことさえ出来れば、自ずと術は発動する——!
「元素……解放!」
いつもの掛け声と共にエーテルの紐を……解く。
羽に取り込まれる元素とエーテルの流れが逆向きのベクトルに切り替わった直後。
「な……なんだよ、これ!?」
包帯越しからでもわかるほど、激しく緑色に発光した聖獣の羽からぶぉんという耳慣れない擬音と共に、翡翠の輪を模した元素が円形に放出されて——音が、消えた。
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