四十一話 霹靂神(はたたかみ)

 飛沫を上げて激しく流れ落ちる滝の瀬戸際から雷光が迸る。

 急流の川幅を広げるかの如く岩盤を削る勢いの鉄塊がうなりを上げて、アイゼンに迫った。


「あー……かったりい」


 やる気も無ければ覇気も無い呟きを戦いの最中に漏らしたアルケーの使徒は、ただ皺が目立ち始めた手を無造作に突き出す。

 

「フェッルム……任せた。俺は避けるのも怠い」


 アイゼンの腰に巻き付けられた鎖がやや間を置いて、不承不承といった体で春雷卿が振るう巨剣に巻き付いた。ギリギリと刀身を締め付ける鎖はまるで意思を持っているかのようだ。

 予想だにしない手段で、渾身の一撃を防がれた春雷卿は目を見開いた。


「面妖な。鎖如きで儂の剣を……止めたじゃと」

「おいおい爺さん? 鉄の塊に持ち手を取って着けたような武器を剣とは呼ばねぇだろうよ。————そりゃあ只の鉄塊だ」


 いかなる法則によるものか、絡め取られた自慢の大剣はびくとも動かない。

 訝しむ春雷卿は、巻き付いた鎖を外そうと手を伸ばす。が、触れようとした瞬間——


「ほう? 今度は棘を生やすか。ますます奇っ怪な鎖じゃのう」


 持ち主以外には触れることすら許さないのか、フェッルムと呼ばれた鎖から一斉に鋭利な突起が伸びる。掌に何本が針のように刺さるが、老獪の肉体にそぐわない厚い皮膚に覆われた春雷卿にとっては、蚊に刺されたのと同じ痛みにしか感じなかった。


「迂闊に手を触れるなよ、爺さん。そいつは俺以外には懐かない『暴れ鎖』だからよ」

「……聞いたことないのう。そんな鎖は」


 春雷卿は戦いの最中だというのに、今にも一服始めかねない、やる気が皆無のアルケーの使徒を見下ろした。テンガロンハットに、腰から吊り下げた銃機専用のホルスターを覗かせる姿から連想するのは、荒野を駆ける相棒の馬と共に、新大陸を自由気ままに生きる無法者達の噂。


 帝国の遙か西、海洋に面した国々では、数十年前に発見された新大陸への移民が盛んに行われており、中には未開の土地を開拓して金鉱を発見し巨万の富を得た者もいるのだという。

 そんな自由を象徴する男は何故、教会を帝国を脅かす秘密結社に降ったのか春雷卿には皆目見当もつかない。


「つかぬことを訊くが」

「あ?」

「主は何を考えて、この聖地に牙を向ける?」

「あー……説明するのもかったりい。生きてりゃ色々あるだろ? ジジイの癖に察しがわりいなぁ? アンタ」

「残念じゃが、年寄りほど察しが悪い者もおらんよ。他人の腹の内など、いくら歳を重ねようが、知る術など無いわ」


 己への自戒も込めて、春雷卿は苦い胸の内を飲み下した。

 若い頃はひたすら剣の道に邁進し、剣としか語らう相手がいなかった。

 聖十字騎士団の筆頭騎士として、教会と信徒の安寧を護ることだけが生き甲斐だったのだ。


 そんないつ終わるともしれない代わり映えのしない毎日が変わったのは、先立たれた妻のお陰だ。思えば、自ら他人に思いを伝えるなんてこと、彼女に心奪われなければ一生そんな機会は訪れ無かったことだろう。


 ——面倒くさい。怠惰を一言で表す言葉を何も考えず、人前で口に出すそろそろ中年からジジイの域に片足を突っ込みかけている男に、春雷卿は何故か若かりし己の姿を重ねた。


「己を打ち破らねば剣を極めること在らず————か。この歳になって師の教えを思い出すことになろうとはの」


 春雷卿は鎖に絡め取られたままの大剣の持ち手を握りしめた。

 


 当時から規格外の体格と膂力を持ち合わせ剣の腕も極みに達していた春雷卿は、しかし精神だけが成熟せぬまま師から破門を言い渡された。

 聖地に古の時代から伝わる流派を修めることは叶わなかったが、餞別として師はとある言葉を春雷卿に告げた。


 我は汝、汝は我。


 いつか己と力量釣り合う者と巡りあった時に、思い出すがよい。

 その時こそ、お前に叩き込んだ雷霆の教えの真の意味がわかるであろう、と。


「……ジジイ。まだやる気かよ?」

「呵々ッ。生憎じゃが、こんなところで立ち往生しとる場合ではないのでな。……聖地が落ちようと、聖十字騎士団には民の避難という大仕事が残っておるのよ」


 流れ落ちる水の音から先、絶え間なく煙が立ち上る眼下の宿場に目を向ける。

 逃げ惑う人の群れと、異様な殺気を放つ姿形の似通った人らしき異形の大群。

 

 避難誘導に当たっている聖十字騎士団にも容赦なく襲いかかる奴らから、苦渋の思いで視線を逸らす。眼前に立つ男こそが、今超えるべき過去の己。


 ならば片時も目を逸らすわけにはいかない。


「まじかよ、本気か。————こりゃあ面倒くせぇとか言ってらんねぇな。フェッルム」


 男の呼びかけに鎖が応える。

 大剣を絡め取っていた鎖が蛇のように蠢くとあっという間に、無法者の元へと戻っていく。


「やれやれ、全くおっかねぇジジイだ。ま、老い先短い身だろ? ちょっとばかし先立てるよう、手助けしてあげますかね」

「心配無用。死に場所は当の昔に決めておる。それに孫娘に我が剣の真髄を全て伝えるまでは、死んでも死にきれぬのでなぁ!」


 バチバチと空気から紫電が迸る。

 例えるなら、それは宙に浮かぶ電気の回路。

 複雑に絡みあった稲妻の回路が、春雷卿が握る大剣の表面に伝導し、さながら機械が動力を得たように火花を散らした。


「ジジイ? なんだよ? その奇っ怪な大剣は?」

「ようやく巡り会えた好敵手よ。しかとその目に焼き付けるがよい。我が師から餞別に賜った巨剣『雷霆』の真の力をな」


 紫電を纏う巨剣を春雷卿が片手で無造作に振るう。

 重々しい鉄塊が風を薙ぐと同時に、天より一条の雷が激しく大気を震わせてアイゼンの頭上に迫った。

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