四十話 空での邂逅

 死を覚悟して目を瞑ったはずだった。

 しかし、いつまで経ってもその瞬間は訪れない。

 感じるのは風だ。

 まるで鳥になって空を飛んでいるような……。今まで体験したことが無く、奇妙で、それでいて嫌に現実感のある強い風。

 

 シナイ山の断崖から錐もみしながら落下していた時に感じた、冷たい死へと誘う風とは違い、雄大で世界を巡るかのような風で心地よさすら感じる。

 

 ここは一体何処なのか。

 俺は生きてるのか死んでるのか。

 それすらも曖昧ではっきりとしない。


 徐々にはっきりとしてきた五感を研ぎ澄ませば、寝かせられているのは空中を浮遊する大きな生き物の背のようだ。ふわふわとした寝心地の良い羽毛の下から、左右に伸びる筋が絶えず上下に動いている。


 人を乗せて飛ぶことが出来る大きな鳥類など聞いたことも無い。

 が、アルが連れている伝承に語られるルフのアルタイルが存在するくらいだ。

 人里離れた高い山々には、今もおとぎ話でしか語られない想像上の生物がひっそりと営みを送っていても、おかしくないのかもしれない。


「って、悠長に寝てる場合じゃねぇだろ俺! 巣に運ばれて食われるかも知れないってのに!」

『食わん。我は人の肉など啄まぬ』


 突如、やけに重低音でいぶし銀のような男の声が聞こえた。

 見渡す限りは蒼天と雲で、地上からどれだけ高い位置にいるのかも把握出来ないが、こんな何もない空の上で人の声が聞こえること自体がまずおかしい。


 幻聴か? それとも——。


『やれやれ。我を呼ぶ声が聞こえたと思えば、矮小な人の子だったとはな。それも霊山の断崖から不注意で足を滑らせてとは、このまま見殺しにしたほうが良かったか?』

「……助けて貰ったことには感謝するが、そこまで言われる筋合いはねぇ!? ……って、なんだよ!? お前!?」


 いくらか怠い体をなんとか起こして、何に運ばれているのかを確認すれば、開いた口が塞がらない。大きな羽ばたきの度に揺れる背の上は、俺とカインが乗っかっても尚余裕のある大きさの鷲? だった。


 いや、鷲というのは正確な表現では無い。

 頭は確かに鋭い嘴を生やす鷲のそれだが、体は獅子のようで意味が分からない。

 奇妙奇天烈な生物にも程があるが、もしかして聖獣の一体なのだろうか。


「と、鷲と言い争いしてる場合じゃない。カインは!? あいつは無事なのか!?」

『……隣を見たまえ。我がうっかり落としてなければ、気絶したままの少女もそこにいるであろう』

 

 若干呆れを感じなくもない感情を滲ませながら、鷲が人語を話す。

 これまでも喋る精霊などにも邂逅してきたし、喋る鷲がいても特段珍しくもない。

 なんて思うのは流石に感覚が麻痺しすぎているだろうか。


「良かった……。生きててくれて」


 擦り傷だらけになりながらもカインは穏やかな寝顔を浮かべていた。

 試練の最中も気丈な振る舞いで決して弱音を吐かなかったんだ。

 

 そりゃ、緊張の糸が切れれば疲労の反動でこうなるのもやむなしだろう。

 俺の今の立場は、大聖別の試練に挑むカインの護衛のはずなのに。

 

 自分のこと、アルクスのこと、シエラのことで頭が一杯で、カインのことを気遣う余裕も無かった。


 何やってんだ俺は。……護衛の役目、全然果たせていないじゃないか。

 それもあまつさえ、命の危機にさえ遭わせてしまって————。


『さて……色々と状況を説明したいところだが、我を喚んだ対価をまずは払って貰わねばな』

「た……対価?」

『忘れたか? 今際の際にお前が願った願いと代償。————命を差し出すと』

「……え゛」


 いきなり命を差し出せと言われて、驚かない人はいるのだろうか。

 もうここでお終いだと確信して、あんなことを柄にも無く願ったのは、本当に助けて貰えるなんて夢にも思わなかったからなのに。


「命って……どうやって差し出すんだよ?」

『……そこからか。身に宿すエーテルの特別な輝きから察するに、お前は元素術師であろう?』

「元素術師じゃなくて、連換術師だ」

『呼び名など、どうでもよい。人が定めた理に我らを縛る効力は無い。元素術師に取って元素を繰る源を失うのは死と同義だ。対価はお前が身に宿す神気溢れるエーテル。それで手を打ってやろう』

「————それって」


 対価を渡せば、連換術が使えなくなるということだろうか。

 それに神気溢れるエーテルとは? 普通のエーテルとどう違うのか?


『どうやら、己が何者かも理解してなさそうだ。風の精霊からお前達に何かあれば助けてやってくれと頼まれてはいたが、よもや何も知らぬとはな』

「ガキ精霊があんたに頼みだって?」

『今度は落ちぬように眼下を覗くがいい。聖地は


 鋭い嘴を水平から少し地に向けて傾けながら鷲? は顎でしゃくるような仕草を取る。

 おそらく首元の近くまで這って来い、というサインだろう。

 眠ったままのカインを比較的水平な羽毛の位置に移してから、恐る恐る首筋にまで辿り着く。

 鷲? は丁度シナイ山と聖地の目と鼻の先の上空を飛行しているようだ。

 

 大聖堂の方角を臨めば、そこかしこから火の手が上がっていた。


「なんで聖地が……」

『帝国の南と東より察知した悪しき気配が、とうとう聖地を平らげたのだ。離れていても尚、おぞましい災厄の気配によって、だ』

「災厄の気配……だと。まさか、クピドゥスが聖地に!?」

『ほう? 強欲を知っているとは。それなりに場数を踏んできた術師のようであるな』

「意味深なことばかり言ってないで、詳しく教えてくれ! 聖地を潰したのは奴なのか?」

『わからぬ。ただ、今も尚、聖地で蠢く有象無象の影から災厄の気配を感じるということだけだ。それはシナイ山にも同じことが言えるがな』


 崖から二人揃って転落する直前。

 霊洞から山頂へ続く出口へと抜ける地点の遙か下層から感じ取った、鳥肌が立つ不気味な気配は気のせいでは無かった。


「————アルケーの使徒。やはり、試練に介入してやがったな」

 

 大聖別の試練を巡るゴタゴタで、皇都親衛隊程の戦力は無くても盤石の守りを固めていた聖十字騎士団の統率も今思えば乱れていた。

 要である春雷卿率いる百雷騎士達は少数精鋭だし、突然の襲撃を受けた聖地の混乱を鎮める程の働きは望めない。


「どうすりゃいいんだよ。こんなの————」

『こうなっては手遅れだ。聖地から逃げてきた風の微精霊達のざわめきに耳を傾けるに、既に地上は地獄絵図のようだと。術師一人が出向いたところで、何も状況は覆せぬ。最悪、命を落とすことになるぞ』

「んなこと、言われなくてわかってる。けど、けど!」


 こうなってはもう試練どころの話では無い。

 眼下では今も、聖地の四方八方から火の手が上がっている。

 燃え盛る焔のかいなが、人を建物を片っ端から飲み込んでゆくのを、ただ眺めることしか出来ない絶望。

 あの日、炎に包まれる故郷を目の当たりにして何も出来なかった無力感を思い出す。


 もう、あんな惨めな思いは二度としたくないと強く心に誓ったからこそ、俺は必死に連換術を磨き上げて、師匠から教わった体術の腕を高めてきた。

 もう誰にも、大切な場所を、大切な人を奪わせないと、血が滲む努力を積み上げてきた。


 けれど、いつだって現実ってやつは俺をあざ笑うかのように、奈落へと突き落とそうとする。

 生まれながらの不幸体質————。

 今までは運が悪いからと、諦めてきた。

 だけど、ことここに至って運の悪さだけでは到底納得出来ないことに遭遇するのは、俺自身も知らない何か得体の知れない原因があると考えざるを得ない。


『全くこれだから人の子は。ジュデッサが聖地まで導いた迷い子達と、なんら変化が無いとは。これでは聖者の役目をかってでた彼奴も浮かばれぬな』

「オイコラ。喧嘩売ってんのか?」

『呆れておるだけだ。風の精霊が何を考えてお前に目をかけていたのかは知らぬが、災厄の気配に立ち向かった英雄にしては、心が弱すぎる。英雄の器とはとても思えぬ』

「……悪かったな。想像した通りの英雄様じゃなくて」


 鷲頭の怪鳥の首にしがみつきながら、力なく項垂れる。

 一介の連換術師にこれ以上何をさせようというのか。

 見えざる運命ってやつは。


 俺のやさぐれた感情をいかなる方法で察知したのかは預かり知らないが、鷲頭の怪鳥はしばし沈黙した後、こんな提案を持ち出した。


『一つ頼みたいことがある。お前達が山頂に到達する道中までに遭遇した聖獣達を、正気に戻してはくれぬか?』

「……どういうことだよ。人をあれだけ馬鹿にしておいて」

『なに、金毛の聖獣を鎮めたお前達の手腕を買ってのことよ。我は聖者ジュデッサの命により、シナイ山を守護せし天翼の聖獣。しかし、正気を保っているのは今や我のみ。神々の世界たる天上へと続く階の守護者である一角の聖獣すら、災厄の気配を身に纏う者達により紅い玉を植えつけられて、自我を乗っ取られてしまった。このまま放置すれば、間違いなく人界に被害を齎す災いの獣となろう。そうなる前に助けてもらいたいのだ』


 天翼の聖獣は重々しい声音で切羽詰まる状況を明かした。

 やはり聖獣達の様子がおかしかったのも、奴らの仕業のようだ。

 聖地は既に奴らの手に落ちた。

 ここで聖獣の正気を戻したところで、状況は変わらない。

 が、見て見ぬ振りも出来ない。


「わかった。その依頼引き受けてやるよ。といっても俺は今、連換術を使えない一般人だけどな」

『ふむ、しょぼくれていた割には切り替えが早い。よかろう、ならばシナイ山から悪しき者共を追い払うまでの間、我の羽を一つ持ち運ぶがいい。術師達が肌身離さず持ち歩く、玉よりかは役に立とうぞ』

「は……羽で連換術が使えるようになる??」


 一体、どういうことだろうか。

 連換術を発動するには、術者が身に宿すエーテルと、大気中に存在する元素の反応が必要で、その触媒が連換玉のはず……だ。


『ふむ、何を驚いているのかは知らぬが。その昔、聖女からは、我の羽に込められた力は術師共が触媒に用いる玉を遙かに凌駕すると、言われたことがあるのだがな』

「——な……聖女だって??」


 次から次へと明かされる新事実に、そろそろ理解が追い付かない。

 そんな俺の困惑を知ってか知らずか、天翼の聖獣はシナイ山の山頂に向かって滑空を始めた。


『さて、楽しい空中散歩もこれにて仕舞いだ。では、働いてもらおうか元素術師よ』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る