三十九話 火と骨

 従司教と道化の戦いは熾烈を極めていた。

 互いに卓越した火の連換術と腐食エーテルの使い手。焔の赤と、どす黒い赤が激しく入り乱れる様は、まるで狂想曲カプリチオ。目の前で命のやり取りが繰り広げられているというのに、アルクスは逃げることも忘れて見入ってしまっていた。


「ッハァ。いやぁ楽しいさね。これほどの獲物と踊るのは久方ぶりさねぇ」

「口の減らない道化だ。視界に入るだけで忌々しい」


 焔を纏った刃を横薙ぎに切り返しながら、フレイメルは心底嫌そうな顔をした。

 ジュデールは後方に高く宙返りしながら難なく一撃を避けると、お返しとばかりに腐食エーテルの塊を上段から叩き降ろす。


「蝕まれるがいいさね!」

「……元素溶融!」


 小細工無しの腐食エーテルによる叩きつけを、高熱で拡散することは不可能だと瞬時に判断。

 火の連換術で鉄ですら熔解する温度の空気断層をコンマ二秒で展開。

 擬似的な大気圏に取り込まれた腐食エーテルの塊は、隕石すらも熱する大気の層に阻まれ掻き消える。


 舞い散るは残火。

 陽炎のように視界が歪む熱気に本能的に危険と判断したのか、ジュデールは大きく飛び退いた。

 

「おお、おっかないおっかない。消し炭にするつもりさね?」

「……フン。勘の良い奴だ」


 周囲の元素残量を感覚で把握しながら、フレイメルは油断なく道化を見据える。

 四大元素の中でも特に威力が高い火属性の連換術は、その火力と引き換えにすこぶる燃費は悪い。

 通常、連換術を発動するには大気中の元素とエーテルを取り込む必要があるが、他の属性元素が本来の元素の属性と異なる属性のエーテルを取り込んでも術が発動するのに対して、火属性の元素は同じく火属性のエーテルとしか反応しない特性を持っている。


 汎用性を犠牲にした威力は他属性の連換術の比では無い。

 それゆえに使い手も限られ、更に実戦で用いることが可能な程の燃焼を自在に行使することが出来る連換術師とくれば、五指にも満たない。


 教会に属する身でありながら、一つの属性に関して理解を極限にまで極めたフレイメルは、異端と呼ばれる連換術師の中でも一際特異な存在でもある。

 周囲の反対を押し切ってレイ枢機卿が側付きに任命したのも、それだけこの男が連換術のみならず、武術に精通し、それでいて模範となるべき敬虔な信徒だったから。


けようがけようが同じことだ。火からは逃れられん。何度でも煉獄の業火で焼き尽くしてみせよう」

「教会関係者が言うと重みが違うさねぇ? とはいえ、燃やされるのは勘弁願いたいさねぇ」


 形成的には不利であるにも関わらず、ジュデールは尚薄ら寒くなる妖しい微笑を浮かべていた。

 人体を蝕む腐食エーテルはいわば死骸に沈殿したエーテルが変成したようなものだ。

 生物の死骸が火でよく燃えるように、熱にはすこぶる弱い。


 正に天敵であり、相克の相性であり、属性の優劣だけで測るのであればおよそ分の悪い相手だと認めざるを得ない。————そのはずだった。


「————なら、こちらも奥の手を使おうとしようかねぇ」

「……!」


 従司教が優勢に進めていたはずの状況に一石が投じられる。

 何を血迷ったのか上半身をはだけたジュデールの胸には、脈打つ赤い玉がはめ込まれていた。


「道化。その胸の玉はなんだ?」

「おやおや? おやおやおやおや? あれだけこちらの動きを看破していたのなら、直ぐに察することぐらい出来そうなものなのにねぇ?」


 嘲るような奴の口調に徐々に呑まれかけていると、悟ったフレイメルは口を閉ざす。

 この道化の危険姓は何も腐食エーテルだけでは無い。

 相手のペースをいつの間にか、かき乱す戯けたおしゃべりこそが、真に警戒しなければならぬと気づいたところで遅すぎた。

 

 忌々しい奴の余計な一言から考察するのであれば、マグノリア、皇都と、聖女縁の地で異変を巻き起こした用途不明の玉と同系列のものなのだろう。 

 聖女生誕の地で正体不明の病を齎した黒い玉二グレド。皇都にて水の精霊を長き眠りから目覚めさせた白い玉アルベド。紅い玉もおそらく呼称があるのだろうが、悠長に考察している場合では無い。


「フン。何を企んでいようが火は敗れぬ。元素溶融」


 いかなる攻撃が来ようとも備えだけは怠らない従司教は、自身から半径5M程を覆う炎の防護壁を展開する。あぶれた揺れる焔が激しく燃え尽きて、表面に高温のガス層を発生させる様は、さながら太陽の表面に浮かび上がるコロナを彷彿とさせる。


「道化。貴様が口走った我が一族の忌名の意味を教えてやろう。災厄に魅入られ聖人の座を追われた愚かな始祖トライシオン。その始祖より代々受け継がれし呪われた焔を」

 胸に両手を当て何かを仕掛けようとしているジュデールから片時も目を離さず、フレイメルは鋭い双眸を向けた。

 

「おおーぅ怖い怖い。だけどねぇ、こちらもやられっぱなっしというわけにはいかなくてねぇ? ————起きろ、蝕玉」


 ブゥンと嫌に耳に残る何かの起動音が、鍾乳洞内に反響する。

 何事かと周囲を警戒するフレイメルは信じられない光景を直視した。


「なん……だ? その禍々しい姿は?」

「くっひゃっひゃっ! 我が肉体は生ける屍のようなものでねぇ。その代わり、脆弱な肉体を維持するべく骨だけはやたら頑強なのさ。胸に嵌められた玉はいわば生命維持装置を兼ねて、放っておけば肉を突き出して生えてくる骨の成長を抑制する機能を持っていてね。そいつを応用すれば骨で出来た羽なんて芸当も可能なのさねぇ」


 不死者が堕天使に昇華した姿————。あり得ざる光景に目を奪われた。

 肩甲骨から突き出し生えたばかりの骨翼をはためかせながら、ジュデールは狂い嗤う。


 真っ白な鳥の羽を思わせるそれは、骨で出来ているとは思えない程精密な動作を可能としており、呆気に取られる従司教の前で、道化の両脚がふわりと宙に浮いた。

 信じられないことに、骨翼は確かに重力に逆らう浮力を生み出している。


「さて、どこぞの神話の再現をしてもいいが、生憎と予定が詰まってるさね。というわけで教皇候補の身柄はこちらで預からせていただくよ」

「させると思うか? 元素溶融!」


 呆けたのはほんの一時。直ぐに冷静さを取り戻したフレイメルは、容赦ない連換術の追撃を浴びせる為に深紅の連換玉に意識を集中した。

 骨すら溶かす高熱の熱波を絶えず吹き出す焔の球体を連換。

 単純かつ最も攻撃に適した火球をいくつも連換し、宙に漂う獲物に向けて射出する。


「大道芸も見飽きた。さっさと舞台の袖に引っ込むがいい」

「————護れ、ステュクスの渡し船」


 火球が迫るその刹那。

 ジュデールは骨翼で自らの体を覆った。

 その最中にも急成長する骨は、更にいくつも枝分かれして、ある形状に変化する。


「船……だと?」

「シナイ山の別名、教会に属しているお前なら当然知ってるさね?」


 いかなる手品を用いたのか鉄すらも溶かす高熱の火球を浴びても、焦げ跡一つ付かない骨で出来た小舟の上から道化が問いかけた。


「煉獄山……。よもや、冥府への渡し守を自称する気か?」

「言ったろう? この身は生きる屍のようなものだと。死後の世界なんてものは迷信だとばかり思ってたさね。これが本当にあるのだから人生は面白い……!」


 聖地に聳える霊山にはこんな言い伝えがある。

 天上に通ずる山。

 古き神話と共に、人々から忘れ去られた神達が天へと還ってゆくきざはしが今も残ると。

 そして、神を忘れた人々の死後、天上の道を指し示すのではなく、等しく土に帰る場所として冥府をその地底深くに造ったのだと。


 ステュクスとは冥府に降る魂達が必ず通る、あの世とこの世を隔てる境界の大河。

 その渡し守を自称するのは、自身が生者ではなく死者だと宣言しているようなものだろう。


 生きているのか、死んでいるのか。

 そんな違いはこの男の場合、些末に過ぎないのかもしれない。


 余りにも隔絶した死生観。

 精霊教会の教義に属する身としては、到底理解出来ない感覚で、ぞわりと鳥肌が立つ程だった。


「お逃げください。アルクス様」

「フレイメル……? どうしてですか……」

「申し訳ありません。私の力量不足です。あの道化を舐めすぎた————」


 勝てないと思わされたのは初めてだった。

 あの連換術師がどうやって、この道化を撃退したのか、何故聞き出さなかったと己の怠慢を責めても遅すぎた。


 業火にも耐える死者の骨。

 そんな出鱈目なものに、どうやって対抗出来るというのか。

 死を纏い、火など歯牙にもかけない不死者を相手に、連換術がどれだけ役に立つというのか。


「さて、そろそろ遊びも仕舞いとしようか。それとも————二人まとめて冥府にご招待してもいいのかさね?」

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