三十七話 問答

「アルクス様を渡せ……だと?」


 音も無く気配も無く突然現れた男に、普段は滅多なことでは動じることも無いフレイメルも少しばかり目を疑った。

 そこに居るのに全く生気が感じられない人なのかも不確かな存在。

 そう印象付けられるのは、男の肌が血色の悪い青白く不気味な色をしているせいなのか。

 それとも、何か得体のしれない生き物を彷彿とさせる、血走った目を向けられているせいなのか。


 いずれにせよ、これまで従司教として数多の修羅場を乗り越えて来たフレイメルが感じたものは、形容しがたい底知れない圧だった。思わず柄に掛けた右手が震える程に。


「そうとも。我々の計画には聖女の血筋を引く末裔が必要さね。せっかく教皇候補の殺害予告まで送ったというのに、頭の固い坊主共はコンクラーヴェを決行した。全く度しがたい生臭坊主共よ。教義とは名ばかりの己の欲と富と保身しか考えていない下等生物共。そりゃ精霊から愛想尽かされても文句は言えんさね、今の教会は」


 思わせ振りに機密情報らしき内容をさも口が滑ったという体で語る気味の悪い男に、フレイメルは嫌悪感を抱いた。

 何がとはっきりとした確信が在るわけでは無い。

 ただ、ただ、気持ち悪い。

 生き様なのか。在りようなのか。それとも————。

 どこまでも理解しがたい己の身内と、似たような匂いを感じ取ったからか。


「よく口が回る奴だ。差し詰め、聖地に潜り込んでいた根源原理主義派アルケーの手の内のものか?」

 

 男の動向を注視しながらも、フレイメルは後方に下がらせたアルクスに常に気を配っていた。

 この男の要求は次期教皇候補であるアルクスの身柄の引き渡しだ。

 道化を演じてはいるが、フレイメルを煙に巻くような言動をしているように見せかけて、奴の注意は後方に控えるアルクスに向いている。

 少しでもフレイメルが隙を見せたが最後。一足飛びに距離を詰め、アルクスを攫っていくつもりだろう。

 

「……フン。あの連換術師は無事だろうな」


 らしくも無い不安と心配が思わず口から零れ落ちた。

 霊山に足を踏み入れてから感じていた正体不明の違和感。

 理性を失った聖獣の暴走。

 

 全ての状況証拠が最悪の事態を示唆していた。

 突如、五百年前に根絶したと思われていた、とある病を発症したクロイツ教皇猊下。

 誰も望まない形で執り行うことになった大聖別の試練。

 レイ枢機卿宛に届けられた次期教皇候補の暗殺予告。

 

 そして、ここ半年の間に引き起こされた二つの異変、その顛末。


「エーテル変質事件のレポートにて、現地で事件の最前線で対処に当たっていたとある連関術師の記述に、こんな一文が残されていた」

「……」

「マグノリアの地下聖堂。そこで遭遇した肌が異様に青白い男は、死の匂いと触れれば体内エーテルを汚染する赤黒いエーテルを纏っていたと。————貴様のことだな? 道化」


 推測でも無く、問い糾すでも無く、はっきりと己が辿り着いた答えをフレイメルは剣の切っ先と共に男に突きつけた。


 いけ好かないあの連換術師は、己の仕事はその実きっちりとやり遂げる者だ。

 予期せぬ護衛の依頼に四苦八苦しながらも、連関術師という対極の立場でありながら精霊教会の現状と、聖地に生きる人々と等身大で向き合うあの姿勢だけは認めていた。

 そして、誰よりも大切な人を失う恐怖にだけは呑まれまいと、必死に抗っていたことさえも、フレイメルにはお見通しだった。

 目の前で薄ら寒い笑みを浮かべている男は、眩しい程に正義感の強い男が唯一取り逃がした怪人だ。

 異変のどさくさに紛れてとはいえ、優秀な連換術師である彼らしくない失態。

 詰まるところ、一人では到底手に負えないほどの実力者だった。ということだろう。


「お前、随分と察しが良すぎるのでは?」

「フン。悪事千里を走るという訓示を知らんか。どれだけ秘密裏に事を運ぼうが綻びは必ず見つかるということだ。ましてや、教会に仇為す危険思想集団の動向など注目されるに決まっているだろうに。我々がただ手をこまねいていたと、たかを括っていたのであれば、その認識は早急に改めたほうがよかろう」

 

 連換術協会が独自に秘密結社を調べていたように、教会側でも秘密裏に情報は収集されていた。

 主に指示及び監督していたのはレイ枢機卿を中心とした失楽園のお歴々ではあるものの、フレイメルを始めとする教会の中でも特別な役職に就いているものは、あの手この手で秘密結社を丸裸にすべく動いていた。

 

 二度も人知を超越した異変が立て続けに引き起こされたのだ。

 故に三度目が無いなんて、それこそあり得ない。

 そして、異変が起きた二つの都市の共通項に着目すれば、おのずと次に標的となる地の候補も予測がつく。


 マグノリアと皇都エルシュガルド。

 一つは聖女生誕の地、一つは水の精霊の加護を受けた土地。

 帝国広しといえども、聖女そして精霊と繋がりが深い地はこの二つだけ。


 異変が聖女の伝承になぞらえたものならば、次の標的は聖地グリグエル。

 簡単に予測が着く。ただ、それだけのことだった。


「いつまでも貴様らの好き勝手にはさせぬということだ。この点に置いては帝国皇室、連換術協会、そして我ら精霊教会も利害は一致している。観念することだ、道化!」


 フレイメルは巨大水晶の上で、さも立場を現すようにこちらを睥睨する男に向かって吠えた。

 それは従順な番犬の遠吠えか。それとも狂犬が犬歯をむき出しにして、雄叫びを上げるようなものか。 


 どちらにせよ、ここで逃がすつもりは毛頭無い。

 生け捕りにして洗いざらい吐かせるまで。らしくも無くそんな気負いをしていたことに、しかしフレイメルは気づくことは無かった。


「——面白い。面白い。面白い。実に面白いさね。名を告げよ。枢機卿の飼い犬」

「……フレイメル。フレイメル・トライシオンだ。覚えなくとも構わん。どうせこの場限りの付き合いだ」

「いーや? それはどうかねぇ? クク……トライシオン。それにしてもトライシオンか。——災厄に立ち向かった七聖人。その中で裏切り者として語り継がれている、かの者と同じ姓とはさねぇ?」



「何が言いたい?」


 油断無く剣を構えるフレイメルに男は苛立ちを呷るようにケタケタと嗤う。

 時折、男の口から吹き出るのは血が混じった唾液や痰。

 顎周りの筋肉が生まれつき弱いのだろう。

 半開きになった口、歯の隙間からだらだらとそれらが流れ落ち、足場にしている水晶に降りかかる。

 

 染み一つ無かった碧い水晶に黒い斑点がたちまち浮かび上がった。

 まるで、人体に侵入する菌のようだと、アルクスは身を潜めながら遠目でその様子に見入っていた。


「いーや。何も? しかし参ったねぇ。苦渋を舐めさせられた連換術師にばかり気を取られていたら、まさか灼炎殿の身内と鉢合わせするとはねぇ」

「……何?」


 予期せぬ人物の通称が男の口から発されたことに、フレイメルは動揺を隠せない。

 

 灼炎。それはとある血脈の一族が代々受け継ぐ忌名。

 由来は災厄の持つ力に魅入られたかっての聖人の行いだ。

 

 苦楽を共にした仲間を裏切った烙印の証。

 それが、聖人の座から外された者が起点となる血脈に定められた呪いなのだから。

 

「貴様……。何処まで知っている」

「この世の全て、さね?」


 道化は本性を隠すことは止めたようだ。

 その証拠に、むき出しの殺意と呼応するように男の周囲に赤黒いエーテルの渦が巻き起こる。

 死の匂いを醸し出す忌むべき風。

 かっての帝国で猛威を振るったとある感染症の源となるそれを、道化はあろうことか得物としていた。


「今更だが名乗らせてもらおうさね。我が名はジュデール。根源原理主義派に属する使徒。ああ、教会の汚れ仕事を請け負う時は聖葬人と名乗らせてもらってるさね?」

「聖葬人……だと」


 忌まわしき教会の汚点を持ち出されて、流石のフレイメルも苦虫を噛みつぶす。

 どこまで、どこまで腐っているのかと。

 それでも、己は清濁併せ呑んだ上で教会の敵を掃討するのが宿命だと、幼少のみぎりから叩き込まれてきた身だ。

 眼前のこの恐ろしき道化だけは逃すまいと、フレイメルは心に決めた。


「大人しく従えば良し。さもなくば——」

「野暮なことは言いっこなしさね? どうせこの後、死体が転がるのだから」

「——問うまでも無し……か。ならば、覚悟を決めるがいい」


 交わした視線は一瞬。

 瞬きの内に、地面と水晶を蹴った従司教と道化は、刃と死を持って続きを語ることにした。

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