三十六話 最後の欠片の在処

「これで六つ目……」


 アルクスが安堵すると共に、七色のロザリオにまた一つ緑の微細な光が取り込まれた。

 グラナとカインが順調に試練を突破していく最中、アルクスとフレイメルが行っていたのはシナイ山に散らばった聖女の魂の欠片集めだった。


 聖地に向かう途中、荒野の干ばつをなんとかしようと限界を超えた連換術を行使した結果、今代の聖女の体は深刻なエーテル欠乏症を引き起こした。

 体内を巡るエーテルの循環と排出のサイクルが崩れ、生命活動に必要なエーテルの取り込みが出来なくなる禁断症状である。

 連換術とは術者の体内で循環するエーテルを、連換玉を介して触媒にすることにより、元素の力を引き出す術。

 故に連関術を行使する者は常人より寿命が短いとされている。

 それはその通りだろう。命の源たるエーテルを意のままに行使する。人の領分から外れた異能。人には過ぎたる力であるそれを扱うにあたって、代償無しで済むはずが無い。

 

 聖女の献身的な行為により、荒野の干ばつ被害は大量の雨を降らせることで解消した。

 しかし、結果がこの様だ。

 己の意識どころか人を人たらしめる魂までが禁断症状により、肉体との繋がりを失った。

 今際の際の無念が強かった為、地上に留まっていた魂をロザリオが取り込んだのは、継承者たる今代の聖女の存在を維持させる為の緊急措置だったのだろう。

 肉体に定着出来なくなった魂を、霊山に今も残る太古の生命力に溢れたエーテルに触れさせることによって再生を図り、抜け殻となった肉体に代わりの魂を一時的に宿すことによって肉体を維持する。余りにも出来すぎていた。

 

「……フン。よく出来た聖遺物だ。忌々しいほどに」


 己の考察にフレイメルは嫌悪感を募らせた。

 実のところ、聖女の血筋が完全に追えるものかと聞かれれば、彼は否と答えるだろう。

 伝承によれば、聖女は蘇った災厄を封じる為に己を犠牲にした。

 それはマグノリアで新たに発見された八枚の壁画が示すもので、同じ内容は極秘ではあるが聖地でも一部の教会関係者が知るところにある。

 

 そこで、生じる当然の疑問。

  

 本当に聖女は血筋を残していたのか————。

 聖女に関して数多くの伝承は残されているが、誰かと契りを結んだという言い伝えは残されていない。

 

 が、そんなことは信仰の継続に取ってはどうでもいいことだ。

 つまるところ聖女の存在すらも、宗教弾圧に喘いでいた教会存続の薪にされたのだから。


 フレイメルは聖地に来る直前に、レイ枢機卿から命じられた指令を思い起こす。


 ————万が一、聖女が命を落とした場合。今回のコンクラーヴェ及び、大聖別の試練を強行しようとした保守派に責任を取らせると。その為に、できる限り証拠を集めよ、と。


 胸くそが悪くなる指令だが、己の目的を果たす為にも今は従順な振りを続けなければならない。最も聡い主のことだ。フレイメルのそんな胸の内も承知の上、何食わぬ顔で従えているのだろう。


 そう考えると、己の存在意義とはなんであるのか。

 レイ枢機卿の側付きとなって以来、己というものを殺し続けてきたフレイメルに取って本来の目的すらも、いつの間にか見失いかけているかもしれなかった。 


「フレイメル。フレイメル!」

「……む。お呼びでしょうか。アルクス様」


 珍しく自分の思考に集中していたフレイメルは、普段より語気の強い教皇候補の一声で現実に戻る。自分らしくないと思わず自嘲した。

 

「どうしたのですか? 何か考えことでも?」

「いえ、つまらぬことです。それよりも回収の方も大詰めでしょう。残る一つの反応は?」


 仮初めの主ではあるが、今の自分に取って守り抜くべきお方に心配を掛けるとは。

 ————武人として情けなし。

 

 どこまでも己に厳しいフレイメルは、そんな己の未熟を恥じる。

 普段なら火の連関術で一つ過ちを犯した分だけ、責め苦を自ら課すところだ。

 今は大聖別の試練の最中の為、控えてはいるが。

 そんな従者を訝しみながらも見目麗しき主は、ロザリオを握りしめ両目を閉じた。


「————見えました。今居る上層より遙か下層です。……変ですね。先ほど立ち寄った地底湖よりも深い場所に反応があります」

「場所さえ分かればそれで良いでしょう。保守派の候補と護衛もそろそろ山頂に到達する頃合い。形だけでも試練に挑む候補が揃わないと、最後の試練が始められませぬ」

「……そうですね。ここは行動あるのみなのは同意です。さっき登ってきた下層に通じる道の外れに、一際傾斜がキツい坂があったはず。あれを降れば一気に下層まで降りられるはずです」

「時間も惜しい。————失礼、アルクス様」


 フレイメルは一切表情を変えず、極めて自然にアルクスを抱き上げた。

 ひらひらとした僧兵服を下地にあつらえられた試練着は、中性的なアルクスが纏えばより柔らかで淑やかな女性用衣装と見分けがつかない。

 突然の護衛の行動に「はわわっ……」と、アルクスは恥ずかしげに頬を朱に染めた。


「フ……レイメル? いくらなんでもこの体勢は……」

「何か問題でも?」

「も、問題というか、なんというか……。その重くないのですか?」

「鍛錬を積んだ身です。貴方ほどの体重なら軽い薪を抱えているようなもの。動作に支障はありません」

「そういうことを聞いたのでは無いのですが……」

「では、どういう意味で尋ねられたのか」

「……いえ、なんでも無いです。それより急ぎましょう。反応がどんどん薄くなっています」


 主の気恥ずかしげな態度の真意に、無骨な護衛は気づかない。

 アルクスはこの唐変木に何を言っても無駄だと悟り、為されるがままとすることにした。

 それに、身体能力では圧倒的に劣っているのだ。

 元より時間も残されていない。

 今代の聖女の魂の欠片が完全にシナイ山のエーテルに溶ける前に、回収出来なければ何もかもが終わりなのだから。


「一気に坂を下ります。しっかりとしがみついていてください」

「しがみ……つくですか」

「はい。振り落とされないようにしっかりと」


 空気の読めないフレイメルのその一言に、アルクスは色々諦めて言うとおりにする。

 首を圧迫することのないよう、たくましい二の腕を支えのようにぎゅっと握りしめた。


(……これじゃあ、お姫様扱いだよぅ)


 あくまでも自分は男であると言い聞かせながらも、胸の内では複雑な心境を現す声なき叫びがあがる。当然、朴念仁のフレイメルに主の心情は伝わらない。


「はあっ!」


 踏ん張りを効かせ足下が滑らないよう細心の注意を払いながら、ほぼ垂直に近い坂道というより崖を落下するようにフレイメルは駆け下りる。

 高所からの高速落下に等しい移動に、アルクスの耳は気圧の急激な変化を受けてキーン……と耳鳴りがした。


「ほ……本当に大丈夫ですか!? この速度で」

「問題ありません。修行ではネズミ返しの如き崖を頂上から降りる訓練もさせられましたから」


 さらりととんでもないことを言い出す護衛に、アルクスは最早何も口を挟めない。

 やがて、傾斜も角度が徐々に緩やかになり、ようやく落ち着いて周囲を見回す余裕が出てきた。シナイ山の基底近くと思われる広大な鍾乳洞には、色とりどりの鮮やかな色彩を放つ水晶が地面から壁から天井からと、まるで生命力が強い植物のように所狭しと生えていた。

 その内の一色、翡翠を思わせる鮮やかな緑の水晶にアルクスの目が止まる。


「これ、元素の塊……なのでしょうか」

「ふむ、どうやら風の元素が石英と結合したもののようです。水晶そのものがエーテルと反応し、そよ風が発生しています」

「本当だ。————洞窟の中とは思えないほど爽やかな風……です」


 ようやくお姫様抱っこから解放されたアルクスは、緑の水晶が起こす心地よい風を浴びる。

 木漏れ日の香り漂う柔らかな風に、思わず洞窟の中に居るということを忘れかけた。


「それで、欠片の反応は何処に」

「えーと……。この水晶群の奥のようですね。——いけない、もうロザリオでも微かにしか分からないほど反応が小さくなってる!」


 欠片が洞窟内のエーテルと溶け切ってしまったら例え精霊の御業であっても完全に抽出することは不可能だと、オリワスから受けた忠告がアルクスを駆り立てる。

 制止を呼びかける前に、反応がある地点へと急ぎ向かうアルクスの後ろをフレイメルが続く。

 確かな足取りで迷うこと無く天然の洞穴を進む二人の従者は、水晶群を抜けた先で信じがたいものを視界に捉えた。


「これは……水晶に人? が埋まってる?」

「アルクス様、不用意に近づかれませぬよう。————私の後ろにお下がりください」


 地面から突き出る巨大な水晶から浮き出るのは紛れも無い人影。

 外見だけで判断するなら聖職者服を纏った少女のようだ。

 だが、フレイメルが危機感を抱いたのは、水晶の周囲に漂う尋常では無いエーテルの濃度。

 不用意に吸い込めば、肺をやられ地上に戻るのは困難を極めるほどの。


「でも、あそこから感じるのです。最後の魂の欠片の存在感を」

「しかし、このエーテル濃度は危険です。距離を取っていても御身の安全を保証することなど——」

「僕が命を落としたから、此度の歪極まるコンクラーヴェが催されることになったのです。聖女様……いやシエラだって僕がヘマさえしなければ、聖地に戻る必要も無かった。死したからには命の循環に戻らなければなりません。その為にも、シエラになんとしても体を返さなければ。じゃないと、死んでも死にきれません————」

「……御意」


 アルクスの悲壮な覚悟にフレイメルは腹を決めた。

 長剣を抜き、聖句と共に体内のエーテルを練り上げる。

 剣の柄に埋め込まれた赤銅色の連関玉が鈍い光を放ち、二人を薄い赤い幕で覆った。


「これは?」

「熱によりエーテルを燃やし、濃度を中和するその場凌ぎです。長くは持ちませぬぞ」 

「わかりました。——七色のロザリオよ。我が意思に応えよ」


 熱の幕で毒素と化したエーテルから身を守りつつ巨大水晶にギリギリまで接近したアルクスがロザリオを頭上高く掲げる。

 仮の持ち主の呼びかけに呼応するように、象牙色をしたその表面が淡い虹色を放った。


 水晶の中から、最後の魂の欠片が抽出される。

 これまでのものより一際眩しい輝きを放つ魂の欠片は、するりとロザリオに取り込まれた。

 無事に大役を成し遂げた事に、胸を抑えて安堵するアルクスを直後、目眩が襲った。


「アルクス様!?」

「……大丈夫。こんなところで倒れやしないよ。色々と気になるけど、今はとにかく山の頂上に向かおう。一刻も早くオリワス様にロザリオを渡さないと」

「そんなに急がなくてもいいじゃないさね。世にも珍しいこの光景、しっかりと堪能しないと勿体ないことこの上無しさね」


 ふらつく主の体を支えるフレイメルの耳に、癪に障る声が響く。

 何奴……と周囲を警戒し、遙か頭上、巨大水晶の天辺に腰掛ける異様な出で立ちの男を補足した。漆黒のトレンチコートを身に纏い腕と足の肌を隠し、異様に顔肌が青白い気味が悪い男がぎょろりと血走った瞳を眼下に向けていた。


「貴様……何者だ」

「名乗ってやってもいいけどねぇ? 生憎とそう悠長にもしてられないのさ。とりあえず、ここまでのご足労ご苦労。では、お前が大事に抱えている教皇候補の身柄を、こちらに渡してもらおうじゃないかさね?」

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