三十二話 赤い石


「うおっ!? ……なんだこの音?」


 第一の試練を終え、目を回して動かなくなった大羊を枝でつついていたところに、空を裂く轟音が響いた。


「……雷かな? まぁ山の天気は変わりやすいから気にしなくてもいいんじゃない?」


 洞窟の天井にぽっかり空いた割れ目から空を覗いていたカインは、眩しそうに目を細める。

 狭い空には厚い雲がかかり始めていて、今にも雨が振りだしてきそうだ。

 変わり始めた空模様はさておき、俺は追い回されて目を回している大羊に目を向ける。

 

「いまいち試練の内容がまだ把握しきれてないが、これで第一の試練は完了したことになるのか?」

「そのはずだけど。ん?」


 ころんと大羊の口から何かが地面に転がり落ちた。唾液まみれのそれはどうやら赤い石のようだ。もったいないとは思いつつ、水筒の水で汚れを落としハンカチで包むように拾い上げる。

 深紅の色合いをした人工加工されたと思しき石。

 複雑にカットされた正二十面体のそれをまじまじと凝視する。


「なんだ? これ? もしかして、試練を完了した証とかそういうのか?」

「そんな話は聞いたことも無いけど。……聖獣の様子といい、何かおかしいね」


 そもそもとして、大聖別の試練は何をどのように進めていくべきものなのか、皆目見当もついていないことが問題だ。次期教皇を選出する重要な儀礼で、こんなことがまかり通っていること自体が異常ともいえる。


 候補者の護衛である俺はともかく、挑戦する当人達ですら詳細について把握していないのは、何か理由があるとしか思えない。


 それとも試練の内容自体に意味はなく、霊洞を抜け、霊山を頭頂することに意味があるのか。

 

「しかたない。この石は持っていくか。もしかしたら、こいつが聖獣をおかしくしていたかもしれないしな」

「え? 大丈夫? そんな危険なもの持ち歩いて」

「こういう危険物を持ち運ぶ為に、連換術協会ではエーテル遮断容器っていう便利な代物が常備されてるからな。これくらいの大きさなら、こいつで十分保管できる」


 腰に吊り下げたウエストポーチから、正方形の透明な特殊素材で作られた容器を取り出す。

 無晶石むしょうせきと呼ばれるエーテルを全く含まない特殊な鉱石を素材にして作られたこの容器は、エーテルに触れて反応する物質の働きを抑制する機能がある。

 とりあえず、この中に入れておけば悪さを働くことも無いだろう。

 アルケーの工作員が各地でばら撒いていた、ニグレド、アルベドといった用途不明の連換玉もこの容器の中では機能しないことは確認済みだ。


「ふーん? 連換術協会って凄いもの作ってるんだね」

「協会の理念からして、連換術の技術で生活をもっと豊かにできないか、という創立者の意思がずっと受け継がれているからな」

「そう……だったんだ」


 カインは得心がいったような、納得しきれないような複雑な表情を浮かべていた。

 無理も無い。聖地とはいえ、荒野に囲まれたこの地は外界と余りにも隔絶しすぎている。

 帝国の中だけでも、生活水準は日進月歩の勢いで向上しつつあるのに対し、教えを守り昔ながらの慣習を大事にしている聖地の生活様式と余りにも違いがあり過ぎる。


 精霊が作り上げた自然と共生して生きていくことを厳守する宗教と、連換術という限られた人間だけが使うことが可能である異能を探求する民間組織。

 

 相入れないのは当然だし、お互いをよく知る為の機会も今まで無かった。

 確執が起こるのは必然だったのだ。


「なんにせよ、これでようやく奥に進めるね」

「……そうだな。そういえば、アルクス達も同じ試練を突破したのかな」

「あー……説明し忘れてた。試練の内容とあてがわれる領域は、候補者それぞれ違うみたいなんだよね」

「どういうこと……だよ?」

「試練はそれぞれの候補が無理難題と遭遇したとき、どのようにそれを乗り越えるかを見られているって聞いたことがある。誰がどのように采配しているかに関しては、よく分かっていないというのが実情……なの」


 カインの説明はどうも要領を得ない。

 いや、思えば大聖別の試練とは最初から訳がわからないものだった。

 突然、原因不明の病に倒れたクロイツ教皇猊下。教皇不在の穴を埋めるべく、選出された二人の教皇候補。


「嘘だろ……。こんな偶然あり得るのか?」


 つい最近も似たような事態に遭遇したばかりだと、遅まきながら気づく。

 次期皇帝となるべく皇太女となることを決意したセシル。それを遮るかのように立て続けに起こされた異変。


 最悪の想像が頭をよぎる。あの時も奴らアルケーは、とんでもない方法で皇都を混乱に陥れた。二度あることは三度ある————。とは、古い言葉だが、大聖別の試練を行わざるを得ない事態を作り出した奴らの思惑。これだけは絶対に阻止せねばならないだろう。


「グラナ? 怖い顔してどうしたのさ」

「……いや、なんでもない」

「ぼーっとしないでよ。ほら、次の試練の領域に向かうよ」

「お、おう」


 カインに促されながら、俺は慌ててその後に続く。

 皇都の時と違い、万が一聖地で奴らがことを起こそうと企んでいたとしても、だ。

 ここには精霊教会を守り続けてきた聖十字騎士達に、帝国最強と名高い春雷卿が詰めている。

 アルケーがどんな奇策をぶつけてこようが、そう簡単には落とせないはず……と信じたい。


 とにかく、一刻も早く試練を終わらせて、早急に霊山を降りなければ。

 俺は逸る気持ちを抑えて、出来るだけ平常心で第一の領域を抜け出した。


 ☆ ☆ ☆


 「——慈悲は無し。ただ燃えるがいい」


 巨大魚を紅蓮の腕が包み込む。水中から上手いこと獲物を誘き出したフレイメルは連換術を発動し、巨大魚の全身を炙る。

 規格外の大きさの魚といえど熱には弱い。

 恐る恐る岩陰に隠れていたアルクスの瞳には、エラから湯気が噴き出し、鱗が赤熱した聖獣の変わり果てた姿が映し出されていた。


「……凄い。これが火の連換術————」


 水面を睨むように立つ従司教の背に釘付けになる。

 精霊教会に属しながら、異端の術と忌み嫌われる連換術を使いこなす信徒。

 はたからすれば矛盾した生き様に疑問を覚えなくも無いが、敢えてそれに触れることもまた躊躇われた。


「フン。試練というから多少は期待していたが、この程度————か。……む」


 火山灰がそのまま固まったかと見紛う灰色の連換玉。それが柄に嵌められた黒い刀身の剣を鞘に納めた従司教は、巨大魚の口から何かが吐き出されたのを見逃さなかった。

 水面に浮いたそれを手を伸ばして掴み取ると、まじまじと眺める。


「……あ」


 炎で猛り狂っていた巨大魚が大人しくなると同時に、水中からアルクスの胸へと淡い緑の光の塊が飛び込んできた。

 呼応するように、虹色の光を放ったロザリオに塊が吸い込まれていく。


「これで一つ目の魂の欠片の回収完了……っと」

「ふむ……複雑な意匠を施された連換玉のようにも思えるが」

「何か見つけたのですか?」


 教皇のお子の散らばった魂の一部を取り戻し、一つ肩の荷が降りたアルクスはその背に声を掛けた。

 従司教はちらりと後ろを振り向くと、無言でそれを岩の地面に置いた。

 どうやら、直接触れないようにと暗に警告してくれているらしい。試練の護衛を引き受けてくれた頼もしいレイ枢機卿の従者ではあるが、彼の口数は少なく会話は必要最低限のみで、いまいち人となりはわからない。


 アルクス自身もこれ限りの関係と弁えているので、特に不便は感じていない。

 が、やはりもう一人の候補の護衛の彼と比べると……とは口が裂けても言えないことだった。


「これは赤い連換玉ですか?」

「さて、私にはわかりかねます。が、わざわざ聖獣の体内に仕掛けられていたという事実からして、碌でも無いものというのは想像に難く無いかと」


 いつのまにか着替えを済ませていたフレイメルは、懐からなにか箱のようなものを取り出した。

 透明な何か特殊な素材で作られたらしい器具に、アルクスは何処かで見覚えがあるように思えてならなかった。


「それは?」

「古巣の連換術協会から送り付けられてきたエーテル遮断容器と呼ばれる代物だそうです。ひとまず、この中に保管して持ち帰るとしましょう」


 皮の手袋を両手に嵌めた従司教は慎重に赤い石を容器に移し蓋を固く閉めた。

 七つ用意された試練の領域は、試練に挑む候補者それぞれに別々のものが振り分けられるという。


 アルクス達に襲い掛かってきたのは、教祖ジュデッサが海を渡る際に姿を見せたという、水の精霊の眷属たる巨大魚の生き残りだろう。海より遠く離れた荒地にどうやって移動してきたかまでは知る由も無いが、原初の精霊が降臨したと伝わるシナイ山なら何が起きてもおかしくは無い。


「カインとグラナさん。二人とも大丈夫かな」

「……第二の試練はこれにて仕舞いでしょう。先を急ぎますぞ」

「——そうだね。急ごうフレイメル」


 立ち止まっている時間は無い。教皇のお子の魂の欠片の気配は時間が経つほどに弱まってきている。胸元から覗くロザリオを握りしめ、アルクスは前を向いて走り出した。

 前方には霊山の中腹へと繋がる急勾配の坂。それが二人の行く道を示すように上へ上へと誘っていた。

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