二十七話 不器用な優しさ

 山道を登った先、霊洞前に建てられた山小屋にて。俺たちは試練に挑む最後の準備をしていた。祭司服を纏ってここまで上がってきた教皇候補二人は、更衣室で着替えている最中。


 その間、俺は山小屋の外で待機だ。隣にはアルクスの護衛であるフレイメルが目を瞑り風に身を任せていた。シナイ山の清浄な空気の匂いを嗅ぎつつ、俺もしばし何も考えず空を見上げる。


 聖地の奥に聳える霊山は中腹あたりから、急に傾斜がきつくなり頂上は雲の上だ。

 言い伝えによれば雲海に覆われたシナイ山の天辺に、原初の精霊は降臨したのだという。


 思えば随分と遠くまできたものだ。第二の故郷であるマグノリアから帝国の中心、皇都。そして、精霊教会の総本山たる聖地までの長い旅路。


 マグノリアで燻っていた頃には想像も出来なかった帝国の姿を知った。

 そして、自分の見識が如何に薄っぺらだったかと気づかされた。

 旅は人を成長させるとエリル師匠からもよく聞かされた。師匠も東方体術を修める為に清栄まで長い旅をしたというし、もしかしたら聖女と師匠の旅路を追うように流れているのかとふと思う。


 鳥のさえずり以外、何も聞こえない静かな山の中で、そんなことをつらつらと考えていると、山小屋のドアが遠慮がちに開いた。


「お待たせしました。フレイメル従司教。準備は万全です」


 さっきまでのおどおどとした様子は何処へやら。短くした銀髪に古式に則った僧兵衣装がよく似合っている。振ればシャンと不思議な音色を奏でる白銀の錫杖を持つ姿は、遠い東国からその偉業がおとぎ話として伝わり、経典を求めて数多の旅と、立ち塞がる困難とを、人ならざる従者と乗り越え成し遂げた高名な僧のようですらある。

 

 勇ましい姿に目を奪われている俺を一瞥した当人は、目を伏せてすぐ隣を横切った。

 ————そっと俺の手に何かを握らせて。


「行きましょう。もう一人の候補は着替えに手間取っているようです。早さを競い合う試練では無いですが、待つ義理も無い筈です」

「承知。では参ろう。いざ試練の霊洞へ」


 山肌をくりぬくようにぽっかりと穴を開けた鍾乳洞の中へ、アルクスとフレイメルは消えていった。先行された形にはなるが、アルクスの言うとおり、試練は早さを競うものではない。


 何を持って試練とするのかは、正直よく分かっていないが、恐らく霊洞内に何かが待ち構えていると考えて間違いないだろう。


 二人が吸い込まれていった洞窟の入り口から目を離し、渡された紙片を開こうとすると再び山小屋のドアが勢いよく開いた。


「お待たせ。じゃーん。どうかな? 僕の勝負服」

「勝負服というか、それただの修行着じゃ?」


 アルクスが纏っていたものとは対象的に、所々薄い網シースルーのような材質であつらえられた改造僧兵服と呼ぶべき代物は、神聖な儀式に挑むには余りに場違いな感が否めない。

 

「そんなことより、どうどう? この服? 可愛いでしょ?」

「しるか! 遊びじゃないんだから真面目にやれ!」

「もうノリが悪いなぁグラナは。そんなんじゃ女の子にモテないよ?」

「余計なお世話だ! 遊んでないでさっさと準備しろ!」 


 アルクスとフレイメルはとっくに出立してるってのに。

 業を煮やしてその手を荒っぽく取ると震えていた。 


「お前……」

「————バレちゃった。さっきの開闢の儀だって手の震えが止まらなかったんだ」


 初めて聞くカインの弱気な発言に呆気に取られる。周囲からの重圧を跳ねのける為に敢えて演じていた仮面を脱ぎ去った後は、気弱でいまにもへし折れそうな男の子がそこにいた。


 どいつもこいつも。なんで好きに自由に生きられないのか。

 この世は余りにも窮屈な思いを抱えて、日々を生きている奴が多すぎる。

 ————俺も含めて。


「……今なら二人きりだ。誰にも聞かれない。弱音ならここで全部さらけ出してくれ。俺が受け止める」

「グラナ————」


 こいつは男だ。だがアルクスから聞かされた話が真実であるのなら、物心ついた時から、生まれもった性別で振る舞うことは許されず、代々教会に精霊からの意思を告げるお役目であるプロフィティスの士師として、女性としての生き方を余儀なくされてきたのだろう。


 誰よりも教会の在り方を変えたいと本人が宣言したことが、何より現状を変えたいとあがき続けていることの証左なのだから。


「その代わり、言いたいこと全部言って、すっきりしたら元のカインに戻ってくれ。お前が塩らしいとこっちの調子が狂う」

「あのさぁ……そこはもうちょっと気遣ってよ。乙女心が分からないかなぁ」


 脹れっ面でそんなことをぼやいてるが、手の震えが止まったあたり緊張は僅かばかりほぐれたのだろう。憎まれ口でもなんでもいい。今は思ってることを全て吐き出させるのが何よりも大切。

 以前もクラネス相手に似たようなことをしたなと唐突に思い出し、黒歴史が蓋を開きかけるが、いや状況がまるっきり違うしと忘れることにする。


「しるか。それだけ元気なら気遣う必要もないだろ。それに、お前が緊張程度で駄目になる奴だなんて想像も出来ないからな」

「不器用な励ましかただね……。グラナってもしかして、女の子の気持ちがわからないタイプ?」

「大きなお世話だ。ほらさっさと行くぞ」

「あ!? こらー!? 主の僕を置いていくなー!?」


 後ろからやかましく後を追いかけてくるカインを尻目に、霊洞内部に足を踏みいれる。太古の昔からこの地に在り続ける天然の鍾乳洞。

 内部はひんやりとはしているものの、外の突き刺すような寒さとは違って、幾分かは過ごしやすい。

 大人が十人くらい手を繋いでも通れる広さの洞窟内は、鍾乳石の青白い輝きと、外よりかは幾分濃度が濃いエーテルが漂っているようだ。

 恐らくだが、自然界に存在する最古のエーテルが。


 俺は無意識に翡翠の籠手を錬成し左腕に装着する。

 連換玉無しでの連換術の行使にも大分慣れてきたが、それにしても余りにも淀みなく遅滞なく術が発動したことに驚く。

 体内エーテルと大気中に含まれるエーテル同調率が異常に高まっている。

 それも普段の半分ほどのエーテル量で……だ。

 薄緑色の風を僅かに纏う籠手を眺めて今更ながら思い出したが、聖地に来てから一度もあの生意気な風の精霊の気配を感じない。


 精霊であるあいつなら何か知っていそうだが、肝心な時にいないんじゃどうしようもない。


「どうしたのさ。ぼーっと突っ立って」

「いや……なんでもない。そんなことより、いい加減教えてくれないか? 試練の内容」

「そうだね。試練も始まったことだし、歩きながら話そうか」


 ようやく追いついてきたカインが何を考えているのか流し目ウインクしながらこちらを振り返る。


 頼むから女の子と見紛う容姿でそういう仕草を取らないで欲しい。

 と、言ったところで聞く耳持たないのだから、まぁ諦めるしかない。


「で、結局、何をやるんだよ? 試練というのは」

「そうだね。……僕もそこまで詳しくは知らないのだけど、霊洞内に太古の昔から存在しているらしい守護獣様と、試練に挑む教皇候補の一対一の対話だって聞いてる」

「対話? 獣と会話なんて成立するものなのか?」

「ま、それも行けばわかるんじゃない? ほら見えてきたよ。第一の試練」


 カインが指さす方に目を向ける。

 徐々に道幅が狭まってきた鍾乳洞の先に、洞窟内にあるまじき光景が広がっていた。


「これは……羊か?」


 青々と茂る草木が天井から差し込む日光を浴びて、天露が陽光を反射している牧歌的な景色の中。ふわふわもこもこの毛を生やした羊達が「めぇー」と、なんとも気の抜ける鳴き声を上げていた。

 

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