二十八話 第一の試練

「どんな無理難題が待ち構えているかと思ったら……」

「道、間違えたか……?」


 天蓋から降り注ぐ眩しい陽光を手で遮りながら、試練とは? と疑いたくなる牧歌的な光景に気が抜ける。天然の洞窟とは思えないほど広々とした空間。生い茂る高山植物。もしゃもしゃと草を食む少し黄ばんだ白色の体毛で覆われた沢山の羊達。


 ここ最近の気の抜けない日々が嘘だったかのような錯覚すら覚える。

 ある意味で異質な空間そのものが試練なのだろうか。


「って、こら!? 羊とじゃれてんじゃねぇ!?」

「えー?? 別にいいじゃない。この子達、ふわふわもこもこで可愛いよ??」

「お前な……。頼むから本番くらい真面目にやれ!!」

「失礼だね。僕はいつも全力で真面目にやってるつもりだけど」


 本当に次期教皇候補の自覚があるかもわからないカインは、羊達と無邪気に戯れている。俺の苦言にもどこ吹く風で、霊洞入り口での塩らしい態度はなんだったのかと、頭が痛くなった。


「にしても羊……ね。もしかして」

「何か思い当たることでもあるのか?」

「確証は無いけど、試練自体が精霊信仰を広めて、精霊教会の礎を作られたジュデッサ様と関係してるんじゃないかな」

「じゅ……ジュデッサ様??」

 

 長い歴史を誇る精霊教会ではあるが、その始まりなんて気に掛けたこともない。ましてや創設者なんて今まで聞いたことも無かった。


「教会の祖たるかのお方は、原初の精霊の導きにより、聖獣を従えて救世主として迷える民を聖地へと導いた——。という伝説が教会には伝わっているんだよ」

「聖獣? もしかしてその内の一つに羊がいると?」

「その通り。役目を終えた聖獣達は天に昇り星座となって、今でも僕たちを見守っているんだ。一年を十二ヶ月に分けて、いくつかの月に聖獣達の名を当て嵌めたのも、ジュデッサ様の偉業を後世に残す為……なんだって」


 思わぬところで十二分された暦月れきげつの由来を知り、俺は思わず天を仰いだ。

 

 天蓋にぽっかり空いた穴から覗く狭い空。今は昼間で星も見えないが、標高が高く空気も澄んだシナイ山の夜空には、綺麗な星座が瞬くに違いない。


「まあ知らなくても無理は無いよ。聖女信仰に取って変わられてからは、教会でも存在感が薄くなり続けている始祖様だから」

「そう……なのか」

「そんなことより、この子達の可愛さを堪能してから先に進むよー」

「……勝手にしろ」

 

 肝が据わってるというか、神経が図太いというか。なんにせよ、思い詰めてがっちがっちに緊張したまま臨むよりは遙かにマシかと、好意的に受け止めることにする。

 今まで謎だらけだった試練の内容が少しだけ明らかになったのだ。数日前、アルクスと一緒に大聖堂の隠し書庫で読んだ書物に書かれた内容を思い返す。


 試練の領域は全部で七つ

 心正しい人々の魂が納められる第一階層

 罪人達の魂が納められる第二階層

 罪人に命を絶たれた魂が納められる第三階層

 不義な罪人の魂が納められる第四階層

 選ばれし魂が最初の試練として挑む第五階層

 精霊からの洗礼を受けていない魂が集められる第六階層

 天と地の狭間 辿り着いた魂が聖別される第七階層

 七つの領域全てを制覇した者に原初の精霊は微笑むだろう


 未だにこの古文書の内容が何を示すのかは不明だ。最低限読み取れる情報としては、試練の領域は全部で七つあるということだけ。

 昨晩、アルクスはこの古文書は教会に伝わる浄罪の概念、煉獄山になぞらえているのかもという推測を述べていた。

 だとすれば、大聖別の試練とは単に次期教皇を決めるだけのものではなく、もっと大きな意味合いが込められていてもおかしくはない。


「どうしたの? 難しい顔して」

「なんでもない。とにかく小休止は終わり。ほら、とっとと試練の領域にむかうぞ」

「えーやだー。もうちょっと癒やされたい!!」


 子供みたいなことを言い出したカインはひしっと羊に抱きついた。

 ……本当にコイツは試練をやり遂げる気があるのだろうか。

 ため息を呑み込んで警戒だけは怠らず周囲を見回す。見渡す限りの羊の群れの最奥。小山のような体格と、羊にあるまじき雄々しい角を生やした明らかに普通とは違う個体だった。何より目を引くのは——


「黄金……の羊??」

「本当だ。この子の毛皮、真っ黄色〜」


 制止も間に合わず、カインは黄金の羊に一目散に駆け寄っていく。

 それも周りの羊と比べて、異様に三倍くらい体格が大きいのにも関わらずだ。

 よく怖くないな……と思いつつ眺めていると。


「うぇ!?」

「な!?」


 突然、黄金の羊が牧羊犬に追い立てられたかのように走り出した。


「ちょっと!? 止まってぇーー!? 助けてーー!!」

「試練そっちのけで遊んでるからだろ!! 今、行くからじっとしてろ!! 振り落とされるなよ!!」


 暴走した汽車の如く、進路を塞ぐ草木だろうが羊だろうが蹴散らし驀進ばくしんする大羊。妙に既視感のあるその光景に、皇都に出現した変異体の姿が重なる。


「まさか……この羊も変異体?」


 あり得ないことじゃない。シナイ山、特にこの霊洞内には異常なほど人体と同調するエーテルが充満している。連換術が淀みなく発動したことこそが、その事実を裏付ける何よりの証明。ならば、この異常な環境下に生息している動植物に影響を及ぼしていても何もおかしくはない。


 走りながら意識を集中して、両足に風を纏う。

 足に掛かる負担を極力減らし、文字通り飛ぶように駈ける。

 風圧で前髪が後ろに靡き、前傾姿勢を保てなければ転倒しそうな速度を殺さず跳躍。必死に大羊にしがみついているカインを抱きかかえると、足裏から風を噴出して素早く離脱した。


「た……助かった?」

「頼むからこれに懲りたら真面目に取り組んでくれ。……心臓に悪い」

「……うん。わかった」


 しゅんと項垂れるカインはそそくさと壁際に退避する。流石にハメを外しすぎたと反省したのか、いつものような憎まれ口もなりを潜めている。

 少し言い過ぎたかもしれないが、安全には代えられない。

 大きく迂回して進路を変えた大羊が杭のように図太い角を突き出して迫ってきているのだから。


「お前が聖獣だろうが知ったことか。やるってんなら、その立派な角へし折ってやる」


 挑発に応じるように大羊は血走った目をこちらに向ける。

 どうやら奴は俺に狙いを絞ったらしい。

 羊と戦うなんて夢にも思わなかったが、売られた喧嘩は買うのが俺の信条だ。

 明らかに気が立っている獣相手に油断は禁物。子供の頃、ミルツァ村の近郊でルーゼと一緒に迷子になり、森でオオカミに追われた苦い記憶が頭を過る。


 あの時はエリル師匠と出会う前だったから、二人してガタガタ震えながら木の上に待避したっけな……。


 人に注意しておいて自分が気を散らしてどうすると、緩んだ気を引き締める。

 目前に迫った大角を引きつけて躱し、むんずと黄金に輝く体毛を掴んだ。


「っと。……かなり揺れるなこれ」


 さて、これからどうやってこいつを止めるか。

 暴走する大羊の側面にへばりつきながら、俺は振り落とされないように気をつけながら思考を巡らした。

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