二十六話 開闢の儀
「これより開闢の儀を始める。試練に挑む二名は前へ」
早朝。大聖堂の裏手。ダルマティカを纏った聖職者達が群れを成している。
堂々とした佇まいで力強く歩を進めるカインと、緊張を隠せないアルクスの姿が対照的に映る。
かくいう俺も慣れない場の空気に飲まれそうになっていた。しっくりこない
「あまり視線を揺らがせるな。儀の最中だ」
隣で石像のように微動だにしないフレイメルから小声で注意される。そんなことを言われても緊張するものはするものだから、少しくらい大目に見て欲しい。
「というかなんであんたは、そんなに落ち着きはらってられるんだよ」
「レイ様の側仕えとして求められる技能だからだ。主が堂々と振る舞っているのに、御付きが痴態を晒してどうする」
さも当然のように言ってのけるフレイメルは再び彫像のように口を閉ざす。
確かに今の俺はカインの護衛なのだから、主の顔に泥を塗るようなことは避けるべきだろう。
周囲の聖職者達に気づかれないよう深呼吸して、フレイメルの姿勢を真似る。
背筋をぴっと伸ばし、雑念を捨て、心を無に。
するとどうだろう。
不思議と緊張は収まり、厳粛な場の雰囲気に相応しい振る舞いが出来ていた。
「次に各候補の従騎士役二名。前へ」
何処かで見覚えのある
教会の作法通りに拝礼し、すっとその場で跪く。
するとさっきまで静かだった聖職者達の群れから、明らかに侮蔑を含んだ小声が耳に届いた。
(神聖なる試練に同行する異端の輩など、前代未聞だ)
(ギュンターヴ聖司祭は何を考えておられるのやら。それと、カイン次期教皇候補は何故連換術士などを側仕えに?)
(おお……精霊よ。我らの過ちを許したまへ)
どいつもこいつも好き勝手に本人の前で言いたい放題。これが聖職者のやることかよ……と呆れて何も言えない。批難の矛先はカインにも向けられているが、当人は目を瞑って静かに風にそよぐ柳の木のように聞き流していた。
「————静粛に。偉大なる原初の精霊様が降臨なされた御山の御前であり、教会の中興の祖であるかの聖女も挑んだ神聖なる儀の最中ですぞ」
壇上で進行を任されている白髭のギュンターヴ聖司祭は、低く、それでいて雷のように轟く声で、俄に騒がしくなった場を一喝した。
どうやら俺たちがこれから挑もうとしている試練は、聖女とも深い関わりがあるらしい。聖地に到着して直ぐに見たあの夢は、このことを示唆するものだったようだ。
オリワスの婆さんも聖女と関わりがあるようだったし、シエラと出会ったことといい、つくずく俺は聖女に縁があるらしい。
その後はつつがなく開闢の儀は終了し、大勢の教会関係者の様々な思惑が込められた目に見送られながら、ようやく大聖堂の裏手から山道入り口へと移動を開始する。
先導するのは先ほどまで進行役を務めていたギュンターヴ聖司祭。
老人には登るのもキツいだろう山道を確かな足取りで進んでゆくその姿は、実に堂にいったものだ。
護衛役として主たるカインの前を行く俺に、「すまなかったの」と聖司祭からぽつりと謝罪の言葉が発せられた。
「すまないって何がですか?」
「レイ枢機卿から提案のあった其方へ今回の儀の護衛役を任せる依頼内容は、大聖堂に勤める者でも一部しか知らぬ。知っての通り、教会は連換術士を快く思ってはおらぬのでな。我らの不敬を許されよ、英雄殿」
「いや……無理ないことだと思いますよ。お招きいただいたのは光栄ですが、俺……いや私はこの聖地に置いて異端の存在ですから」
「……歪曲された歴史の罪よ。いや、今になって思えばケビンの主張こそが教会が正常に戻る最後の機会だったのかもしれんの」
「え————。ケビンってケビン牧師のことですか?」
驚愕を隠せない。両親を流行病で亡くした俺が世話になった恩人で、ルーゼの祖父で、確か今は連換術協会で協会長代理を務めているグレゴリオ元司祭の恩師でもるという。聞けば聞くほど経歴が凄すぎるあの隠居爺さんの名がここで出てくるとはと。
「左様。色々あってケビンは教会と袂を分かっての。あやつが聖地から出て行ってしまったこと。今、思い返しても悔いが残っておるよ」
ゆっくりと歩きながらギュンターヴ聖司祭は昔を懐かしむように、加齢で濁り始めた眼を細める。豪奢な法衣に縫い付けられた金の刺繍も、心なしか輝きが霞むほどに、老人は山道の静けさと同化しているようだった。
「風の便りであやつが南部地方の辺境の村で牧師をしていると耳にし、会いに行ったこともあるのでな。孫娘と引き取ったという孤児の男の子と一緒に元気にやっておった。儂も務めを終えたらのどかで、世俗を忘れることができるあの心洗われる景色の中、妻と一緒に過ごしたいと思っておったのじゃがな。……あいや、済まぬ。英雄殿にとって故郷の話は辛かろう」
「いえ、過ぎたことですし。今となっては悪いのは本当に教会だったのかと、疑ってもいますから」
「そう言ってもらえると少しは胸のつかえも取れる。全く……今の教会はどうしてこうなってしまったのじゃろうな」
聖司祭からの気遣いに申し訳なくなる。異端狩りの執行部隊に村を滅茶苦茶にされた恨みは生涯忘れることは無い。
あの時、俺がもっと上手く連換術を使いこなせていたらと、思ったことは数え得きれない程ある。
そして俺以上に悔しい思いを抱いているのは孫娘であるルーゼに他ならない。
ふと脳裏を過るのは秋の頃に一緒に行った墓参りの時のことだ。
久方ぶりに会った幼馴染みの様子は今思い返すと違和感があった。
「大切な儀の前に年寄りの昔話に付き合ってくれてありがとうよ。大聖別の試練は久しく行われておらず、霊洞内がどうなっているかも分からぬ。英雄殿よ、護衛のお役目、しかとお頼みしますぞ」
「は……はい」
それきり口を閉ざした聖司祭は険しい表情で歩みを速くする。気づけば少し霧が出てきたらしい。湿り気を帯びた空気はひんやりとしていて、しっとりして柔らかな薄絹に触れているようだ。
「ギュンターヴ様と何を話してたの?」
後ろから追いついてきたカインが隣から話かけてきた。
霊洞入り口までは儀の作法に従い、教会の法衣に袖を通すのが倣わし。なのでカインは山道を歩くには適さないダルマティカの裾をたくし上げ、素足を露わにしていた。
「まぁ色々と。それよりも、まさかとは思うがその動きづらい格好で試練に臨むわけじゃないよな?」
「それは無いから安心して。霊洞の入り口前に山小屋があってね。そこで小休止と着替えを済ませる手筈になってる。グラナの為に、思いっきり可愛い服装を用意してきたから、期待して待ってて」
「……ハイキングに行くんじゃないんだぞ。頼むから真面目にやってくれ」
「むー……意地悪。それとも、アルクスの普段着の方が気になるのかな?」
緊張感の無い護衛対象からのからかいをやりすごしつつ、俺は心を無にして山道を登り続けた。
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