二十五話 試練前夜

 聖地に到着してから一月が経過した。明日はいよいよ次期教皇を決める大聖別の試練が執り行われる大切な日。

 春雷卿が睨みを効かせたお陰か、その後、聖地で不穏な影は見られない。

 このまま諦めてくれれば少しは肩の荷が降りるのだが、十中八九仕掛けてくるなら試練の真っ最中であることは少し考えれば分かることだ。

 そして、奴らが暗躍しているということは聖地の何処かに、封じられた空想元素が存在するという証明に他ならない。


「うーん、めぼしい資料はやっぱり見つからないね」


 大聖堂地下、書庫の隠し部屋で俺とアルクスは埃塗れになりながら、空想元素について書かれた書物を探していた。が、原初の精霊が降り立ったシナイ山について触れている資料はごく僅かの書物のみ。空想元素については一言も触れられておらず、このままでは重い書物をせっせと運んだのがただの徒労で終わりそうだ。


「教会の秘密主義もここまで徹底してると、いっそすがすがしいな……」

「同感。まさかオリワス様についての書物すら無いなんてね……」


 アルクスもまさかの結果に動揺を隠せないでいる。これでは教会が掲げている教義はなんだったのかと疑わざるを得ない。


「こうなったら直接、オリワスの婆さんに聞くしかないのかな」

「それは控えたほうがいいんじゃないかな。水の精霊様をあんな強引な方法で目覚めさせようとした連中が、原初の精霊様が未だ健在と知ったなら何をするか分かったものじゃないよ」

「それも……そうだな。当たり前っちゃ、当たり前だけどやっぱり知ってたんだな。皇都で起きたこと」


 脳裏に浮かぶのは夏の頃の記憶。汚染されたエーテルが染みこんだ水路の水により、禍々しい姿に変貌した水の精霊の御神体。あの時は取り残された人達も沢山いたし、風の噂が聖地まで届いていてもおかしくはない。

 のはずなのだが、アルクスは少し気まずそうに顔を背けると、済まなさそうにうつむいた。


「体を……間借りさせて貰っているからね。彼女の記憶も共有している状態なんだ」

「あ……。そう……だったのか」


 ここ最近色々ありすぎてすっかり忘れていたし、そういえばこのことについては踏み込むのも不躾だよなと思い、深く追求することも無かった。

 どうしてアルクスは命を落としたのか。聖地に向かったはずのシエラの身に一体何が起きたのか。オリワスの婆さんから一通り説明されたこととはいえ、完全に理解するのは余りにも情報が不足している。


 一つだけ確かなことは、シエラを助け出すには大聖別の試練に挑まなければならないということだけだ。アルクスの胸元から下げられた七色石のロザリオに目を向けながら、突きつけられた現状に改めて気を引き締める。


「そ……それより、この本の記述を読んでもらえる?」


 これ以上、この話題に触れられるのは嫌だったのだろう。話題を切り替えるようにアルクスが見開いた本をこちらに向ける。そこにはこう書かれていた。


 ————地は天に、天は地に。善行を為した者も、悪逆非道を尽くした者も、皆等しく審判が下される。全ては魂の循環の為なり、と。


「どういう意味だ? これ?」

「ここに在るということは、少なくとも試練、いやシナイ山に関係のある記述なんじゃないかな。それか煉獄山を指しているのかも」

「煉獄山?」

「人の魂が死後、地獄を経て辿り着く浄罪の山のこと。ここで生前犯した罪を清め悔い改めた魂のみが天に昇ることを許される————。という言い伝えが教会には伝わっていてね。これを『大聖別』と呼ぶんだ」


 聞き慣れない宗教用語をアルクスが丁寧に解説してくれた。

 

 ——大聖別。それはこれから俺たちが挑む試練と全く同じ名。

 偶然の一致か、それとも人の身で、善悪の所業を裁く審判者たる資格を持っていると教会が誇示する為なのか。


「気に入らないな。本来なら高次の存在によって行われる裁きを、まるで教会がその存在からぶんどったみたいじゃないか」

「……やっぱり、そう思うよね。公の場では口が裂けても言えないけど、僕も教会の驕りには呆れている。次代の教皇を選出する試練を浄罪の山になぞらえるなんて。バチ当たりにも程がある」


 言葉の端々から次期教皇候補が悔しい思いを滲ませていた。

 正直、一番当たって欲しくなった推測が、また一つ現実実を帯びてくる。


 今の教会に取って次代の教皇を選出する儀式ですら、そこにはそれぞれの保身と野望が渦巻いているのではないのかと。


 考えてみればおかしな話だ。何故、わざわざ危険を侵してまで、教皇候補が試練に挑まなければならないのか。


 カインはこれまでの試練で危険なことは無かったと断言した。

 それは裏返せば、途中で命を落とした者もいるが、結果的に次代の教皇は生き残ったから、存在自体が抹消されたのではないかとも。


 聖別の意味を知った以上、それは決してあり得ないことではないかもしれない。


「責任……重大だな。今回の護衛依頼は」

「グラナさん?」

「なんでも無い。考え事してたら、思ってたことが口に出ただけだよ」


 今の俺が守らなければならないのはカインでもあり、アルクスでもある。

 一人は次期教皇として相応しい心構えを備えている者。

 もう一人は、無理しすぎたシエラの体と魂を死して尚、現世に繋ぎ止めてくれる決して失ってはいけない者。


 試練で待ち構える障害がなんであろうと、この二人だけは何がなんでも守りきらなきゃいけない。それが、この聖地で俺がなすべき使命なのだから。

 皇都の時のような失態は二度と繰り返さない、と堅く心に誓う。


「おっと、もうそろそろいい時間だ。僕はもう少し調べものがあるから、グラナさんは先に戻って休んで」

「アルクスも無理するなよ。明日は大事な試練なんだから」

「心配性だね、グラナさんは。言われずとも睡眠時間はしっかり確保するよ。じゃないと、フレイメル従司教に怒られるからね」

 

 そう言ってアルクスは屈託の無い笑顔を見せてくれた。つられて俺もくすりと笑う。聖地に来てから、俺の視野は深いところまで目が届くようになった。

 それもこれも、教会に抱いていた偏見を捨て去り、聖地に生きる彼らと共に過ごすことが出来たからだろう。

 ならばせめて、沢山のことを教えてくれた恩を返さないと、申し訳なくなる。


 明日の試練は本当に何が起きるか分からない。それでも、俺に課せられた護衛という役割を文字通り体を命を張って遂行しなければ。

 調べものがあるというアルクスを残し、俺は書庫を後にした。


☆ ★ ☆


「それで……そちらの準備は? 万端?」

「問題ありません。抜かりなく」


 カインの私室。燭台の灯りだけが灯る薄暗い中、年若き枢機卿と赤髪の従司教は含みを持たせた言葉を交わす。


「状況は最悪過ぎるけど、なんとかここまでこぎ着けることは出来た。後は試練を無事に終わらせて、僕が次期教皇候補になることが出来れば最初の目標は達成される」

「カイン様が大願を成就されること、レイ枢機卿もそれを望んでおられます。教会の古き因習を捨て去り、新たな信仰の形を確立する。それが出来るのはカイン様しかおられません」

「フレイメル従司教? そういうことは例え二人きりでも口に出さないで。誰が聞き耳を立てているか、分かったものじゃないのだから」


 カインはここに至るまでの経緯を思い返す。既に形だけの信仰を惰性で続けている精霊教会にかっての威光は失われて久しい。

 血にまみれた帝国の歴史と共に歩んできた教会は、いつしか教義を見失っていた。

 幾多の弾圧を経て確固たる地盤を築いた信仰は、いつしか教会に巨万の富を齎すまでになっていた。国教と認められずとも、この世界の創造主たる精霊への祈りを捧げることを是とする教会。その在りように救われた者が大勢いて、結果的に多くの人々から慕われることになろうとは、教会の立ち上げに尽力した初代の教皇様も予想外に違いない。

 

「だけど、これだけは、はっきりと言っておくよ。僕は彼のやり方を決して認めてはいない。————神聖エレ二ウム帝国構想なんて馬鹿げているにも程がある」

「……レイ枢機卿もカイン様と相容れないことは承知の上だと仰っておりました」

「解せないのは貴方もだ従司教。————トライシオンの家名を継ぎながら、何故危険な思想を持つ彼に付き従う」

「申し訳ありませんが、それだけはカイン様といえどもお答えすることはできません。平にご容赦を」


 語気を強めるカインの追求をフレイメルは揺らぐ焔のように受け流した。

 カインは従司教の燃える紅曜石の瞳を射竦めるも、彼は憎いほど落ち着きを保っていた。


「では一つ伝言を頼むとしよう。僕が次期教皇になった暁には、教会の膿である『失楽園』は切除すると」

「——御意」


 燭台の灯りが心なしか影を帯びた。 


 

 

 

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