幕間 暗躍する者達
「相変わらず、うじゃうじゃと蟻のような行列だね」
切り立った崖の上から望遠鏡を眼下に向けるデボラはそう毒づいた。
寒ざらしの冷風が容赦なく吹きすさぶシナイ山の八合目。今すぐにでも忌々しい精霊教会の信徒共の首を根こそぎ刈りたい衝動を堪えつつ、毒々しい蛇の入れ墨を顔に入れた魔性の女は振り返る。
「あんたもそう思うだろ? 新入り」
「……」
顔まですっぽりと覆い隠すフーデッドローブを着こみ、荒ぶる
エレニウム帝国のみならず、大陸全土にその信徒を抱える精霊教会。
今は暦で言うところの
黒山の人だかりならぬ、有象無象の信仰のうねり。
その歴史もさることながら、よくもまあここまで信徒を騙くらかせるものだと、呆れた面持ちで新入りは、波の如きひとだかりを飲み込み続ける大聖堂をただ眺めていた。
「合図が上がるまで待機するように言われたけど、アイゼンの奴は何を手間取っているんだか」
「聖十字騎士団の見張りが増員されたと報告があった。恐らく、私達が聖地に潜入していることがバレた可能性が高い」
新入りは殊更に抑揚を抑えた声でぽつりと呟いた。その声音はくぐもって聞き取りづらく性別の判断も着きづらい。
先ほど潜り込ませていた諜報員から届いた情報によると、指揮を執っているのは帝国最強と名高い春雷卿が率いる精鋭騎士部隊、百雷遊撃隊。
先の皇都における異変に置いても、都を襲ったエーテル変異体を危なげなく撃破した強者共。既に内部から腐っている教会が保有するには桁外れの切り札であり、間違い無く聖地における空想元素抽出を阻む最強の防衛戦力と断定せざるを得ない。
「ふーん? なんだ喋れるじゃないか? なら今まで黙ってのはなんだったの?」
「特に理由は無い。無駄なおしゃべりに付き合う必要も無いと判断したまで」
「可愛げの無い新入りだねぇ。まぁいいさ。仕事さえしっかりやってくれればこちらとしては何も言うことは無い」
デボラは意地悪い笑みを浮かべながら、舌舐めずりする。
既に壊れた彼女に取ってかっての拠り所をズタズタに切り裂き、生臭坊主共を血祭りに上げるのは造作もないこと。
それも出来るだけ酷たらしく壊したい。泣いて許しを乞われることに慣れたエセ坊主共の首を、恐怖の表情に染め上げてから刈る————。
愉悦に塗れた女の願望を新入りは、何の感慨も抱かずただ聞き流していた。
「にしても、どういう風の吹き回しで、故郷を滅ぼした連中に加担しようなんて思ったのか、とても気になるじゃないか?」
「……」
突如、話の矛先が新入りに向かう。新入りは、警戒するように訝しげな眼光をデボラに向けた。
「それを聞いて、どうするつもり?」
「どうもしやしないよ。ただ気になっただけ」
デボラはそう言って視線を外す。新入りがどんな心境で自ら地獄に飛び込むような決意をしたかなど、彼女にとっては微塵も興味の無いことなのだから。
わざわざ平穏を捨てて、闇に染まろうとする者など、今の政情不安定な帝国ではさして珍しくも無い。
膨れ上がった大国の終わりなんて、風船が萎むように存外あっけないものだ。それはこれまでの人間の歴史が証明している。
「はー全く暇で仕方が無い。こうなったら試練用に放った変異体の最終調整も兼ねて、一狩り行ってこようか」
「合図が上がり次第、聖地に攻め込まないといけないんじゃないの」
「それまでに戻ってくりゃいいだけの話。腕が鈍ってないかだけ確かめてくるだけよ。それじゃ、留守番よろしく」
新入りが止める暇も無く、女はあっというまに急峻な山肌を縫うように飛び上がって行ってしまった。見習ってはいけない使徒の勝手な振る舞いに、思わず頭が痛くなった。
が、これは自ら選んだ道だ。例えこれから加担することが、大多数の罪なき人の命を奪うことになろうとも、腐りきった教会という大樹は切り倒さなければならないのだから。
そう思い直したところで手首に違和感を感じた。ふと見やれば両手が小刻みに震えている。
「……今更、怖じ気づいてどうするの」
手の震えを抑えるべく堅く握りしめる。爪が掌に食い込み血が滲むまで。
もう後戻りは出来ない。未練も後悔もとうにし尽くした。
最後に残ったのは、故郷を焼き払った者達への復讐心と、教会が異端狩りを行う直接の原因となった『精霊の落とし子』への憎悪。
全ては腐った信仰が暴走した果てに起きた惨劇と知った今、新入りに取って聖地と落とし子は、焼き払い清めなければならない忌むべき地と存在となったのだから。
————だから、恨まないでね。
と声には出さず、風に向かってそう念じた。
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