十八話 そこに在って、無い存在

 その後、アルクスと一緒に素知らぬ顔で書庫を後にした。試練の概要が分かったことで、護衛としての役目は理解した。解せないことはカインがどうして教えてくれなかったのかだけ。カインとアルクスは云わば教皇という座を巡って争う競争相手。


 むざむざ勝機を捨てるような行動を取るカインの行動は、おかしいと言わざるを得ない。考えられる理由があるとすれば————。


「気難しい顔をしているな、連換術師」


 お前も連換術師だろうが……、と言い返したいのをぐっと堪える。

 曲りなりにもフレイメルはアルクスの護衛。ここで関係を損ねるのは試練にも悪影響を与えかねない。なら、俺もそろそろ態度を改めるべきだろう。


「最近は考えることが多くてさ。それより、俺に何か用でも?」


 フレイメルから声をかけてくることは、これまで無かった。世間話をする為に呼び止めた訳じゃないだろう。灼髪の従司教は表情を崩さず口を開く。


「渡り鳥のとまり木亭から連絡があってな。マーサ殿から急ぎの用件があるそうだ」


「シスターから? 分かった。直ぐに向かう」


 シスター・マーサからの呼び出し? いったいなんの用件なのか。訝しみながらも、俺は裏口から出て宿場が集う『冬の小川』へと向かった。


 ★ ★ ★


 巡礼の信徒達で賑わう通りを抜けて、渡り鳥のとまり木亭に到着したのは日も暮れかけた頃だった。シナイ山から流れ落ちる滝を、夕焼けの光が赤く染めている。

 幻想的な景観に目を奪われつつ、とまり木亭のドアに手をかけたその時。


「————ロザリオと聖女が選んだ者とは、お前のことだね。風の元素術師」


「え」


 いつからそこに居たのかすらも分からない。振り返った俺の前には、どこにでもいる普通の老婆……のような人物が立っていた。頭巾を深く被り顔は分からない。

 曲がった腰で杖をつき、雑踏に紛れてしまえば印象にすらも残らない在り方。

 けれど、俺は何故か目を離すことが出来なかった。


「……俺に何か用か? 婆さん」


「なに。少しばかり気になっただけよ。聖女の力を覚醒しつつある、あの子が認めた者。どんな男子おのこか確かめたくてね」


 姿も凡庸なら声も平坦で印象に残りにくいしゃがれ声だ。だが、不思議と耳に馴染む。聞いていて心地よい声音。周囲の喧騒は何処か遠くから聞こえるようで、その場にいるにも関わらず現実感が乏しい。


 重要な何かを言われたはずなのに、それが上手く認識出来ない。


 まるで外界から切り離されたかのような時間。どれだけそうしていただろう。

 不意に老婆が背を向けた。


「おい? それだけかよ?」


「言っただろう。気になったから会いに来たと。用件は済んだ。お前もその宿に用があるのだろう。————人を待たせるものでは無いよ」


 呼び止める間も無く、老婆は雑踏の人混みに紛れた。耳栓を外したように、音の奔流が耳朶を打つ。普段とは違う聞こえ方の喧騒に耳が驚いてキーンと耳鳴りがする。その状態は長続きすることなく鼓膜に異常は無い。聴覚も直ぐに正常に戻った。


「なんだったんだ? 一体……」


「遅いねぇ……。どーこほっつき歩いてるんだか。あんれま、グラナさん? 宿屋の前で固まってどうしたんだい?」


 宿の軒先で固まっている俺を見かねたシスターの声で、はっと現実に引き戻される。いつの間に老婆の姿は無く、通りは日も暮れたとあって人の流れもまばらだった。


「いや、なんでも。それより、シスター。俺に用事って?」


 怪訝そうな表情のシスターに努めて明るく尋ねる。さっき見たのは幻か何か……だろう。夢見の悪い聖女とそのお供らしき優男の夢といい、最近不可思議なことばかり遭遇していたから俺も疲れが溜まっているのかもしれない。


「と、とにかくあたしの部屋に来ておくれ! グラナさんの知り合いだっていうラサスムの商人さんが怪我で担ぎ込まれてね!」


「ラサスムの商人?」


 そんな知り合いはいないはずだ。せいぜい知り合いと呼べるのは、身分と素性を初対面の時から偽った放蕩王子くらいしか————

 まさか……な。精霊教会の総本山にラサスム人であるアイツが来てる訳ないと思うけど。しかし、俺の予想は意外な人物の登場によりあっけなく覆された。


「若のご親友殿。急なお呼び出し申し訳ございませぬ」


「あんたは……アルのお付きのジャイル?」


 ぬっと、大柄な図体を窮屈そうに屈めてドアをくぐったのは、主より頼りになる従者のジャイルだった。どうやら、あの放蕩王子……もとい、連換術協会本部長殿は、本当にはるばる聖地までお越しになったようだ。


 帝国との国交は回復したとはいえ、随分と不用心だなと嘆息しつつジャイルに促されてとまり木亭の中へ。二階の客間に到着すると、包帯で片足をぐるぐる巻にされたアルがベッドの上に臥せっていた。


「……やあ。こんな格好での出迎え許してくれたまえ」


「許してくれも何も、まず一体何があったんだよ!?」


「いやぁ。久々の喧嘩で派手にやられてね……いたた」


「自業自得ですぞ若。……いえ、相手が相手だけに、命あっての物種というべきなのでしょうが」


 何処か調子が狂う二人の主従のやりとりから察するに、不足の事態で怪我を負ったのだろうか。吊り下げられている足の様子から、折れているのは確実だろうけども。


「お前をここまで痛めつける程の相手って誰だよ? その前にどういう経緯でそいつとやり合うことになったんだ?」


「ああ……まずはそれから説明しないとだね。—————ジャイル君、例の物を」


「はっ」


 席を外したジャイルが、例のエーテル遮断容器に厳重そうに封印した何かを持って戻って来た。透けた容器越しから覗くそれは卵程の大きさの玉。皇都に向かう途中、汽車の暴走を止めるために踏み込んだ機関室の光景が蘇る。


 確か、奴らがアルベドと呼んでいたものだ。


「これが、ここにあるってことは……」


「まず、間違いなく根源原理主義派アルケーが聖地でも何か起こそうしているのだろう。恐らく……僕が遭遇したあの男も関係者のはずだ」


 アルの額から汗が滲んでいた。円月刀を得物に暴走する汽車の中で、過激派教徒相手に華麗にあしらう技量を持つこいつが苦戦するほどの相手。


 間違いなくイデアの使徒の一人に違い無い————。


「よく無事だったな……」


「危ないところをジャイル君とアルタイルに助けてもらってね。ただ僕たちは聖地に住まう人々から良くは思われていないラサスム人。おおっぴらに大聖堂には入れないからさ。この情報を次期教皇候補の護衛たる君に伝えなきゃとおもってね。親切なシスターに言伝をお願いしたのさ」


 一息に説明を終えたアルは「痛ちち……」と、折れた足から響く痛みに顔をこわばらせた。詳細についてもう少し訊き出したいところだが、今は安静にしてもらうのが優先だろう。次期教皇候補の暗殺予告状を送ってきた犯人に、目星がついたのは一歩前進だし、後は早急にこの情報をカインやフレイメルに伝えなければ。


「……済まない。僕を襲った男について伝えようと思ったんだが、想像以上に体力を消耗してるみたいでね……。詳細は後でアルタイルに届けてもらうけど、それでいいかい?」


「ああ、問題ない。今は無理せず休んでくれ」


 返事を待つ間もなく、ほどなくしてアルは寝息を立て始めた。俺が来るまで無理をして気を張っていたのだろう。


「失礼。……若は」


「見ての通り、ぐっすり眠ってる。危ないところだったみたいだな、ジャイルさん」


「……若の従者でありながら面目ない次第。皇都に残ったナーディヤ様に知られれば、どんな責を申し付けられるか」


「そこまで怖いのかよ……。ナーディヤさんは」


 第一親衛隊に拘束されたミシェルさんの代わりに、受付を切り盛りしている褐色の美人が目に浮かぶ。皇都の異変の際に、アルが呼び寄せた援軍を率いる将として、深層領域攻略作戦の要として活躍した女傑。


 その卓越した辣腕は協会の運営においても発揮されているらしく、だらしないルーズな本部長のお目付け役として、職員の皆さんからも頼りにされているとか。


 連換術協会も随分と様変わりしたなぁと思いつつ、不変のものなど何一つ無いことに今更ながら気付かされる。と、感慨に耽りながら気になっていたことを忘れていた。


「ところで、アルとジャイルはどうして聖地へ?」


「申し訳ございませぬ。そればかりは私からは申し上げることは出来かねます」


「いや、そこをなんとか。それに事情を話してくれれば、俺からもナーディヤさんに説明出来ると思うし」


「……他言は無用で願います」


 釘を刺すように前置きした屈強な従者は、主の眠りが深いことを確認し、俺にだけ聞こえるように声を顰めた。


「実は……プルウェル家の御当主より、聖地に連関術協会支部を建ててくれないかと、誘致を受けておりまして」

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