十一話 練武場

 早朝。太陽も昇らぬ早過ぎる時間に、俺は古式ゆかしい武道着に着替えさせられていた。


「……こんな時間から何させるつもりだよ。フレイメル」


「朝の鍛錬に決まっているだろう。惰眠を貪らせる為に、貴様を聖地に連れて来たわけでは無いからな」


 いつもの神父服姿のフレイメルが抜身の何かを投げて寄越す。くるくると回転し迫る刃に眠気も吹っ飛んだ。柄が目の前に来る直前を見計らって手を伸ばす。パシッ……と不格好に持ち手を握り、たたらを踏んだ。


「お前……殺す気か!?」


「東方体術を体得している武術家の端くれなら、白刃取りくらいは出来ると思っていたが」


「抜身の刃を素手で受け止められる訳無いだろうが!?」


 いくら東方体術が汎用性のある武術とはいえ、出来ることと出来ないことは当然ある。達人の域に達した武術家ならば素手で刃を受け止めることも出来ると訊くが、少なくとも俺には出来ない。


 すっかり奴の我の強い行動に飲まれつつある俺は、気を取り直して剣を水平に構えた。冬のしん……とした冷たい冷気が体の熱を奪っている。古くは僧兵達が技と武を鍛えたという練武場に散った汗のように、ガラス窓から結露がぽたりと垂れた。


「……ほう。構えだけは中々堂にいったものだ。殴る蹴るだけが貴様の戦闘技法だけでは無いとは知っていたが」


「市街騎士団の見習い時代に、剣の扱いなら嫌というほど叩き込まれたからな。で、朝の鍛錬とやらはこのままお前と剣の打ち合いか?」


「いや。貴様を指導するのは私ではない。————イーゴン殿、お願いいたす」


 ずん……と練武場の空気が重くなる。決して小さくは無い観音開きの大扉がばんと豪快に開け放たれた。現れたのは熊と見紛うばかりの引き締まった巨体に、身の丈程もある大剣クレイモアを肩から担いだ皺だらけの老人。

 もっとも二の腕どころか肩まで盛り上がったラクダのコブのような筋肉を目の当たりにして、老人と呼称するには無理がある。もじゃもじゃの白い顎髭を片手で整える御老体は、にいっと無邪気な子供のように獰猛な笑みを作った。


「今か今かと待ちくたびれおったわい。————フム。坊主がオリヴィアの元同僚で間違いないかの?」


「え? ……オリヴィアとは確かに同じ市街騎士団で働く同僚でしたが、貴方は?」


「ほっほっ。孫娘が世話になったのう。儂の名はイーゴン・ペルクナス。オリヴィアの祖父じゃ。……それとも《春雷卿》と名乗った方が覚えがいいかの?」


 思わず握っていた剣を落とした。カラン、カランと耳障りな音が響く。が、そんなことはどうでもいい。


「春雷卿……だって?」


 帝国に置いてその名を知らないものはいない、聖十字騎士団の最強騎士。その威容、険しき山岳の如く。極めし剣は、春告げる雷すらも断つと謳われる紛うことなき騎士の頂点に立つ者。


 そんな凄い人が……あのオリヴィアの祖父……だって?


「わっはっはっは! 分かるぞ坊主。とても信じられないという主の心の内は」


「おい!? フレイメル!! どういうことだよ!?」


「……いちいち煩いやつだ。とあるお方の計らいでな。貴様が聖地に滞在している間、腕がなまらぬよう特別講師を手配された。それが、この御方。聖十字騎士団、特別顧問筆頭騎士イーゴン・ペルクナス様だ」


「うむ。既に聖十字騎士団から退いた身ではあるが、後進の育成を頼まれておってな。なにせ最近の若いもんは貧弱じゃからのう。鍛えがいが無くて、暇してたところに坊主の面倒を任されたのでな。————聞いておるぞ。マグノリア、そして皇都での活躍!! 連換術師だからなんじゃい!! 強さと根性を兼ね備えた若造を儂は待っておった!!」


 ことここに来て、ようやく俺は理解する。ああ、ここで死ぬんだなと。短い人生だったなぁ。やり残したこと沢山あるんだけど。


「ごめん、師匠。俺、ここで終わりみたいだ」


「何を現実逃避しているか、たわけ。一線から退いたとは云え、未だその双肩に並ぶ者はいない帝国最強の武人から直々に鍛えてもらうことが、そんなに不満か?」


「不服とかそういう問題じゃなくてだな……」


 あの体格から放たれる豪腕の斬撃。それを一撃いなせとか、自殺行為にしか思えない。流石はあの破天荒な孫娘の祖父。正直、オリヴィア以上に無茶苦茶なことをやろうとしてないか?


「なんじゃい。期待はずれにも程があるただの腑抜けじゃったか」


「ふ……腑抜けてなんかいません。稽古を付けて貰えるのは有り難いです。けど、その体格から振るわれる斬撃をいなせとか無茶にも程が……なっ?」


 ずん————と、練武場の空気が一段と重くなった。重苦しい重圧の発生源である春雷卿は、クレイモアを両手で持ち上げると石床に切っ先をズガンと大きな音を立てて突き刺した。


 鈍い鋼の光を反射し、御老体の目が冷徹なそれに変わる。


「……修行どうこうの前に、性根から叩き直さないと駄目なようじゃのう」


 熊のような巨体が発する圧と、こめかみに浮かんだ青筋から本気で怒らせたと察した。


「まずは基礎体力から。これから坊主には毎朝、持久走マラソンを命じる。肉体を酷使する東方体術使いであるなら、簡単にも程があるかもしれんがの」 


「は、はぁ……。走れとは具体的に?」


「体力がからっけつになるまでじゃ!! さぁ、とっとと行かんか!!」


 文字通り雷を落とされた俺は剣をほっぽりだして大急ぎで練武場を後にする。外に飛び出した途端、肌を刺すような外気にぶるりと体が震えた。あのオリヴィアの春雷卿との邂逅だけでなく、稽古まで付けてもらえるのは確かに有り難い。


 けど、どうしてそんな凄い人が今聖地に来てるのか? レイ枢機卿からの依頼にもあった通り、次期教皇候補達を狙う何者かはそれだけ危険な存在としか思えない。


 無論、暗殺予告を送りつけてきた賊の候補に上がるのは根源原理主義派アルケーの使徒達だ。皇都での騒動以降、鳴りを潜めているが聖女の足跡と関わりの深い聖地でも何かを企んでる可能性は十分にある。


 マグノリアから始まった奴らの陰謀は、一体この帝国をどれだけ蝕んでいるのか。

 改めて《英雄》という呼び名が重く感じる。俺自身は自分を英雄の器とは、とてもじゃないが認めることなんて出来ない。


 世の中、俺より凄い人なんていくらでもいる。司祭に牛耳られたマグノリアで市街騎士団の団長として街の治安を維持し続けたクラネス。皇帝不在という逆境の中、必死に次期女帝として帝国の未来を切り開こうとしているセシル。異国の王子でありながら単身乗り込み、連換術協会の危機を救ってくれたアル。


 歴史に名を残すような英雄とは、彼らのような行動を起こすことが出来る人達こそ相応しいのだと思う。俺は……英雄なんて柄じゃない。


 けれど、英雄じゃなくてもやれることはある。


「言われた通り……体力作り頑張りますか!」


 早朝の人もまばらな夏の回廊をひた走る。鍛錬に近道なし。強くなるには修行あるのみ。師匠から繰り返し叩き込まれた教えを、胸の中で反芻しながら全速力で走り始めた。

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