十話 夢に似た何か

 カインとの謁見を終え、聖地滞在中の仮住まいとして大聖堂別棟の客室へと案内された俺は疲れ果てていた。2日に渡る荒野の横断。帝国内地とは明らかに価値観の異なる異郷の地。極めつけに聖地にいるはずのあの子は、一切話題にすら上がらず。


 護衛主、カイン・プロフィティスが臨む大聖別の試練への助力サポートを任されたものの、はっきり言って気乗りがしない。師弟関係を解消しようが、俺が手助けしたいのはあの子だけだ。はっきり言って、性別不詳の次期教皇候補は信用出来ない。それに……これじゃ体よく精霊教会に利用されてるのと変わらないじゃないか。


「こんなの……どうすりゃいいんだよ」


 年代物のベッドの上でごろりと寝返りをうち本音を吐露する。ここ最近、直面してきた明確な悪意とはまた毛色が違う。例えて云うなら籠の中の鳥のように身動きの取れない状況。帝国を内側から狂わせている宗教という体を取った集合的無意識に、あたかも四肢を雁字搦めにされたかのようだ。


 ————身動きが取れない。それがこんなにも辛いことだと初めて知った。

 思えば不幸な境遇を背負っているとはいえ、俺は比較的恵まれた方だった。故郷の村を焼いた大火から師匠の身を挺した行動に助けられた。マグノリアに流れ着いてからは市街騎士団の見習い騎士として衣食住を与えられ、街を守るという大義を果たすべく師匠の背中に手が届くくらいの強さを求めて修行に励んだ。


 そんな中で親友と胸を張って自慢に出来る友が出来て……色々あって彼の祖父が経営していた雑貨屋を引き継いだ。


 連換術を行使するものの端くれとして、マグノリア支部所属の連換術師として一つ一つの依頼に全力で向き合った。常人には手に余る事件や事態に幾度も遭遇し、その度に自身の未熟さを実感した。そして、なんでもない日々の営みが、どれだけかけがえの無いものかを知った。


「……そっか。自由……だったんだな」


 これまでを振り返って、今更になって気づいた。聖地に来て息苦しさを感じた理由もなんとなく分かった気がする。


 戒律に縛られること。それを苦とするのではなく是とするのが宗教に帰依した者達。既に概念のみが歴史書に残されているだけの「神」ではなく、世界を形創った精霊に感謝と祈りを捧げるようになった精霊教会の信徒達。


 彼ら彼女らの生き様に短いながらも間近で接したことによって、冷静に物事を俯瞰出来るようになったのだろうか?


「難しい……な。これは」


 ふっと寝室を照らしている蝋燭の火を吹き消した。エーテル灯もガス灯も無い聖地では、今も昔も火が灯り代わりだ。熱と陽光をもたらす火の精霊イフレムの加護。その力でもって夜も照らすことが出来ると信じていた大昔の人たちの慣習が今も尚、聖地には息づいている。


「とにかく、明日これからどう行動するべきか考えるか」


 眠すぎて頭がこれ以上回りそうに無い。俺にしてはやや哲学的な思考に苦笑するとすっ……と瞼を閉じた。


★ ★ ★


「こらっ! いつまで寝てるのよトルス」


「ぐぇ!?」


 腹部に上から乗っかられたような、圧力を感じて目が覚める。寝起きは最悪というか疲れ果てていたはずなのに、ちっとも寝た気がしない。


「蛙が潰れたような声だしてないで、さっさと準備してよ。今日がどれだけ大切な日なのか忘れたわけじゃ無いでしょうね?」


「それが幼馴染の腹の上に跨って掛ける言葉だということに、戦慄を覚えるのは僕だけかな? エステル」


 開口一番ぶつけてやろうと思った抗議ではなく、自分の声音とは似ても似つかない優男の声に驚愕を覚えた。……なんだ、これは。夢……なのか?


 夢にしては痛覚がはっきりしてるし、意識が覚醒しているという自覚もある。

  

「昨日、仲間に加わってくれたトライシオンは夜明け前から起きて、練武場で鍛錬してるわよ? あんた、最近弛みすぎなんじゃないの?」


「生粋の僧兵である彼と、騎士見習いのまま連れ出された僕を比べないでよ……。そういうエステルこそ、聖地に来てからずっと教皇様のところに入り浸りじゃないか」


 優男がベッドから体を起こす。意識はあるのに四肢に力は入らず、あくまで視界を間借りしているような不思議な感覚に戸惑いを隠せない。目の前にはふくれっ面をする、教会のシスター服を着ている少女がジロリとこちらを睨んでいた。


 何処と無くルーゼによく似た面影と、シエラと同じ翡翠の双眸を目の当たりにし思わずまじまじと眺めてしまう。彼女は一体……誰……だ?


「ほーら。さっさと起きた、起きた。今日はシナイ山の峠越えよ。日暮れまでに向こう側の山小屋まで踏破する予定なんだから」


「峠越えはトライシオンが危険だって教えてくれたの忘れたの? なんでそんなに焦っているのか知らないけどさ」


 やっとの思いで少女をどかした優男は、足をブーツに通しながらくあっと欠伸を漏らす。ちらりと窓の外に目を向けて、俺は再び驚いた。


 俺が客室として使用させて貰っている部屋の窓から見える景色に似ている光景。いや……まさにそのもの。窓からは大聖堂に向かう途中に通った「夏の回廊」がまるで石造りの長城の如く、その長さと威容を見せつけていた。


「分かってるわよ。でも、ここで足を緩める訳にはいかないの。赤黒病せきこくびょうは収まるどころか広まっていくばかり。このままじゃ帝国……いえ、大陸は人が住めない地になるかもしれない————」


 エステルと呼ばれたシスター服の少女は思い詰めるように俯いた。ふと、少女が発した病の名に記憶の琴線が震えたような気がしたが、それがなんなのか思い出せない。けれど、このシスター服の少女は……もしかして?


「……焦ったってしょうがないよ。それに原初の精霊様からの声を聞けるのは君しかいないんだ。病の蔓延はもちろん止めないといけないけど、それで君の身に何かあっても遅いんだ。慎重に、慎重をきすべきだと僕はそう思うよ」

 

 ぽんと背が高い青年は落ち着かせるように、少女の頭に手を置いた。それは、俺がシエラによくしていた仕草で……、こう客観的に見せつけられると気恥ずかしさを感じる。


「準備よし……と。それじゃ僕も出立前に軽く汗を流してくるよ。トライシオンとの修練は為になるし、ようやく篭手を使った戦い方のコツが掴めそうなんだ」


「それは別に構わないけど……。あんた、まだ剣は握れないの?」


「……こればかりは、気持ちの問題だからね。それに人の命を奪うことは僕には重すぎるよ」


 優男……トルスは軽装の右腕に可動式篭手とよく似た意匠のそれを身に着ける。連換玉を嵌める玉溝こそ付いていないものの、無骨な鉄の篭手は重量があった。


「エステル。峠越えもいいけど準備も忘れないでね。————シナイ山を貫く霊洞には大聖別の試練が待ち構えているのだから」


「わ、分かってるわよ。病弱教皇に別れの挨拶がてら、詳細を聞き出してくるわ」


 任せたよと声を掛けて、トルスは部屋から外に出る。

 そこから先はモヤでもかかっているのか視界ははっきりとせず、俺の意識は急速に眠りへと落ちて行った。



 

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