幕間 雨乞い 

「申し訳ございません、アルクス様。この所日照り続きで宿に余分な水は残っていないようです」


「そう……ですか。困りましたね」


 皇都からやってきた聖地に向かう途中のアルクス一行は、立ち往生を余儀なくされていた。カラカラに乾いた荒野は今日もからっ風が吹く雲一つ無い快晴。折り悪く水を運んでくる近隣の町の商人も身動きが取れないらしく、宿の貯水タンクは底を尽きかけていた。


 大岩の上に溜まった雨水を濾過機を通すことで飲水として使うことが出来るらしいが、その雨がもう何日も降っていない。


 湿り気も何も無いダマスカス荒野は、ここ最近急激に砂漠化を促進する風食が各地で確認されており、このまま降水量が減っていけばいずれ砂漠になるだろうと言われている。


 一行が持参してきた水の残量は残り僅か。砂漠のように過酷な環境では無いが、ここから聖地まではどんなに早く馬を飛ばしたとしても半日はかかる距離。飲水無しで渡るには心許ないのも確かであった。


 止むを得ず、従者の一人を聖地に使いに出し迎えの者が到着するまで、アルクス一行は宿で待機することを決めた矢先に、さらに凶報が舞い込んだ。


 それを発見したのは、毎朝裏手の古びた井戸から水を汲む当番だったノルカだった。滑車を回してバケツを深く深く降ろしても着水する音が聞こえない。滑車に巻きつけられたロープがとうとう尽きた頃、こぉん……とバケツが底を打つ音が聞こえた。


「お婆ちゃん!! 大変だよ!! 井戸が……井戸が枯れちゃった!!」


「な……。本当かい、ノルカ!?」


 日照り続きで地下水脈すらもとうとう渇いてしまったらしい。荒野のど真ん中でまともな連絡手段も無い以上、後は救援を待つしかない。が、それだっていつ来るか分かったものではない。


 一行の従者達と宿の従業員達も含めた今後に関しての話し合いが続く仲、一人蚊帳の外だったノルカはアルクスがそっと宿の外へ出ていったのを見かけた。


 こんな時に一体どこへ?


 その後ろ姿がどうしても気になって、ノルカはこっそり後を追いかけた。


 ★ ★ ★


「……これくらい離れれば、誰にも見られないかな?」


 アルクスは注意深く周囲を見渡す。宿から少し離れた丘陵地帯の麓。僅かに緑が残るこの一帯はかって浅い湖があったらしい。風食によって分かりづらいが、周囲の地面と比べるとひび割れていないし、土は粘土質で僅かにだが水分を含んでいる。


 水のエーテルが少ないながらも、まだ大地に残っていることを確認したアルクスは、胸元から象牙色をしたロザリオを取り出した。


 両手で優しく包み込むようにそれを握ると、静かに両目を閉じる。アルクスを中心にその一帯だけが凪いだかのように風も止んだ。


「元素……結合」


 ロザリオに水の元素とエーテルが取り込まれ、象牙から深い青に変化する。溢れんばかりに収束した元素とエーテルが混じり合い、空気中に次々に水素分子が湧き上がる。酸素と結合し変化した水蒸気は、地から天に向って吹き上がる上昇気流に乗って天高く舞い上がり……極寒の高空で凝固し雲の粒を作り出した。


「————っ。……駄目、これじゃ全然足りない」


 雨とは水蒸気が気温が低い上空で氷晶に変化し、更に周りの水蒸気を取り込んで成長し、上昇気流で支えられない大きさに育ったものが天から地表に向かって落ちてくる現象だ。氷が溶けないまま落ちてくれば雪になり、溶ければ雨となる。


 いずれにせよ、雲ひとつ無い荒野で雨を降らせるには大量の水蒸気が必要で……そんなものを生み出すことが出来る手段とは一つしかない。


 急激に崩れる体内のエーテルバランス濃度から生じる頭痛を堪えて、アルクスは一心不乱に連換術を行使し続けた。————雨を降らせたい。ただ、それだけを考えて。





「ハァハァ……これだけ水蒸気を作り出しても雨どころか雲一つ出来ないなんて————あぐっ……」


 およそ3時間以上、水蒸気を作り出し続けたアルクスの全身は汗まみれだった。立つこともままならず、肩で息をするその姿に見かねて、ノルカは隠れていた朽ちた倒木から飛び出した。


「アルクス様! だ……大丈夫ですか!?」


「ノルカ……さん? どうしてここに……痛っ」


「どうしてって、こっそり外に出ていくのを見かけてしまったので。心配して追いかけてきたのです……」


 仰向けに倒れて荒い呼吸を繰り返しているアルクスを支える。細い腕でなんとか上体を起こすと、備蓄の飲水を詰めてきた水筒の蓋を外した。体力が尽きる寸前まで力を行使していたアルクスは、こくりと喉を鳴らして水を飲み干す。連換術の連続行使で疲弊した肉体に雨露が渇いた大地に染み込むように、人体に潤いを与えていく。


 寒風が吹き荒れる荒野の気温はぐっと冷え込んできて、二人は肌を重ね合わせるように温め合う。さながら親鳥を見失った雛鳥達が外敵から身を隠しつつ、体温を保持する為に体を擦りわせてるようだった。


「……ありがとうございます。ノルカさん」


「む……無茶しすぎです。それにこんなに体がぐったりするまで何を」


 心の底から心配するように声を掛けるノルカに、アルクスははにかみながら答える。


 ————雨を降らせたくて、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る