八話 巡礼の終着路

 宿泊所の一室。これまでの経緯を語り終えた俺の前ではシスター・マーサが難しい顔をして考え込んでいた。無理も無い……。早くに母を亡くしたシエラの母親の代わりを務めてきた人なんだし、実の娘のように心配に思っているのだろう。なんだか、申し訳なさで一杯一杯だった。


「そう……かい。皇都でそんなことが」


「俺もシエラと別行動を取る機会が多くて、これ以上の詳細は訊いて無いけど」


「そこは気にしなくていいさ。————大変な状況の中であの子を無事に助け出してくれた。それだけで大感謝さ」


 ハンカチでホロリと流れおちた涙を拭くシスター。今更ながらあの時の俺は軽率だったにもほどがあると、過去の俺の頬づらを殴り飛ばしたくなってきた。過去には戻りようが無いので、これからの行動で挽回していかないと……と、浮ついていた気分を締め直す。


「それで経緯は分からないけど、あの子は教皇様のご意志を継ぐために今回のコンクラーヴェに挑む……というのかい。あの子が教皇様に……ねぇ」


 シスターはここからは見えない大聖堂の方角に視線を向ける。————今、正に次期教皇になるべく準備をしているのだろう、あの子がいる場所に。


「それでグラナさんが聖地に連れて来られた理由は?」


「皇都のレイ枢機卿宛に次期教皇候補の暗殺予告状が届いたんだ。それで連換術協会を通じて、何故か俺に護衛依頼が届いた。————自分で言うのもなんだけど、未だに信じられないよ」


「暗殺……。話がやっと飲み込めたよ。それにしても枢機卿猊下が連換術協会に直々に依頼……ねぇ。おばさんの勘はあてにならないかもだけど、なんだか嫌な予感が拭えないよ。最近は帝国内で妙なことが起り過ぎてるしねぇ」


 やはり、異変に携わり続けた当事者達だけではなく、市井の人々にも不安は伝播しているらしい。マグノリア、皇都、そして何かがこれから起きそうな聖地。これまでに引き起こされた異変の裏には必ず奴らアルケーの影があった。


 恐らく、いや確信を持ってこれだけは断言出来る。今回、この聖地でも奴らは事を起こそうとしていることを。


「でも、グラナさんがシエラの護衛をしてくれるんだろ? それなら安心して任せられるよ」


「いや……俺が護衛するのはシエラじゃない。カイン・プロフィティス。保守派筆頭の次期教皇候補が護衛対象なんだとさ」


「シエラ以外の次期教皇候補……様かい。それはまた一体どういう意図なんだろうね?」


 シスターはたぷたぷの顎に手を当てて、うむむと唸っている。どうやら俺が直面している事態は教会に属するシスターでも理解しきれないものらしい。


 今回の依頼について、ずっと気になっていた。俺が護衛するのは何故シエラでは無いのか? と。いけ好かないレイ枢機卿からの頼みということもあるし、何か企んでるとしか考えられない。ここまでの事態の推移から浮かび上がること。レイ枢機卿は俺とシエラを意図的に離そうとしているということはなんとなく分かって来た。


「失礼する。マーサ殿、お待たせして申し訳ない。到着の挨拶が予想以上に長引いてしまって」


「おや、フレイメル様。お帰りなさい。そんなに気を使われなくても大丈夫でございますよ。御用は済まされたので?」


「ああ……ただ、また直ぐに大聖堂に引き返さねばならぬ。連換術師、レイ様からの預かりものだ。気は進まんが着替えた後、大聖堂に向かうぞ」


 フレイメルが投げて寄越したのは衣服が入ってると思しき感触の布の包みだ。布越しにも伝わるパリッと糊が効いてる感じから、どうやら礼服のようだが。


「はぁ?? なんだよこの包みは?? それに着替える??」


「なにぶん急な話だったからな。聖地に赴くにまともな服の用意をする暇も無いだろうと、レイ様が気を使われて用意されたものだ。丈なら貴様の知り合いの商人の娘から聞き及んでいるから、手直しの必要も無いはずだ」


 今、さらっと聞き捨てならないことをフレイメルが口走った気がするが、追求するのは後にしておこう。俺はシスターに断って室内のドレッサーを借りた。


 ★ ★ ★


 信徒達が寝泊まりする為の宿泊所が集中する『冬の小川』から、北西の大神殿まで一本道の『夏の回廊』を巡礼者達の列に紛れてひたすら進む。普段は着る機会などない神父服キャソックの窮屈さに既に気分は良くは無い。


『以外と似合っているではないか。貴様くらいの年頃だと巡回神父にしか見えまい』


『おや、服に着られている感じは全くしないねぇ。ちゃんと神父様に見えるよ、安心おし』


 と、出立前に対照的な褒め言葉を貰ったものの、全く嬉しくともなんともない。


「……フレイメル。こんな調子で今日中に大神殿に入れるのか?」


 未だかって経験したことの無い大行列だ。マグノリアの生誕祭で人混みには慣れてるとはいえ、これだけ似たような服装の人々と一緒くたにされるのは生まれて初めて。


 加えて神父の服装をしているとはいえ、身分を偽っているのには変わりない。荒野の宿でいきなり素性をバラされたこともあって、前を行くフレイメルのことは到底信用出来ないけど、奴についていくしかない現状が歯痒いにも程がある。


「安心しろ。一般の信徒とは別に教会関係者用の裏口がある。向こうに見える精霊のレリーフから枝分かれした迂回路に着くまでしばし待て」


「待つのは良いけど……あの時みたいに俺の素性はバラすなよ。ここでやったら、本気で殴る」


「なんだ。そんな小さなことを根に持っていたのか?」


「持つに決まってんだろうが!! お前、俺を怒らせたいのか!!」


 抑えきれない俺の大声に周囲の信徒達が何事かと一斉に後ろを振り返る。四方からジロリと射すような視線を向けられて、俺はいたたまれなくなって俯いた。


「馬鹿者が。巡礼の旅をもう一度やり直させてやろうか?」


 これまたわざとらしく、年下の見習いを嗜めるような露骨な芝居がかった口調で俺を諌めるフレイメル。その三文芝居で俺たち二人の関係に納得したらしい信徒達は、めいめいそれぞれ連れ合いとのお喋りに戻っていった。


「————貴様は阿呆か?」


「……今のは流石に俺が悪かったよ。機転を利かせてくれて助かった。……礼は言っとく」


 フンと鼻を鳴らして、背を向ける灼髪の従司教。本当に何を考えているのか分からなくて、イライラしていたのは確かだ。らしくないな……と心底思う。何だか調子が狂わされぱなっしで、息つく暇も無い。


 ようやくささくれ立った心が落ち着いたところで、フレイメルが徐に口を開いた。


「貴様はどう思う。この大勢の信徒を見て」


「どう……って。ただただ凄いなという感想しか思い浮かばないよ。帝国どころか大陸各地の巡礼の果てに、この聖地を目指す途方もない旅を終えた人たちなんだからな」


 浮かんだのは揶揄ではなく、純粋な驚嘆。精霊教会の信徒に取って巡礼とは、自らの魂を禊ぐ大切な儀式。それは教会の洗礼が許される10歳から5年ごとに行う慣わしで、身体が動く間はどんなに高齢でも行う信徒が殆どだと聞く。


 信仰を持たない俺にはそれがどれだけ過酷な旅路なのか想像はつかない。けど、荒野の宿に集った信徒達は国籍も人種も様々で、それだけ多くの人々からの心の拠り所となっているのは畏敬の念すら抱きそうになったのは確かだ。


「ふむ……少しは理解してきたか」


「何をだよ」


「こちらの話だ。そら見えてきたぞ」


 問答はこれまでと言わんばかりに、フレイメルは見張りの聖十字騎士団が立つ迂回路の方へ行列を横切っていく。俺も慌てて後に続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る