七話 聖地到着

 日の出と共に荒野の宿を出立した俺とフレイメルは、太陽が一番高く昇る頃、聖地の玄関に当たるシナイ山の麓に到着した。


 大陸の西と東を隔てる峻険たる山岳地帯。その切り立った山々を望む窪地に、光の精霊から祝福されるように陽光が射している。俺は聖地へ巡礼にやってきた信徒達の行列に混じりながら、威容たる景観に目を奪われた。


 断崖の縁に建てられた柵越しに眼に映るのは、大地をくり抜き深く掘られた壮麗な宗教都市の一角だ。北の山肌を気の遠くなるような年月を掛けて、細工師達に掘らせた精緻で数多の精霊を象った意匠は、これだけ遠く離れていてもとてつもなく大きいと一目で分かる。


 皇都の近代的な街並みから比べると、石造りの建造物が立ち並ぶ聖地の景観は、訪れる者をどこか知らない時代に迷い込ませたと錯覚させるかのようだった。


「にしても遅いな……アイツ。聖地に入る手続きはこんなに時間がかかるのか?」


 冬の荒野は冷えるからと、出立前にノルカから毛皮のポンチョを渡され着込んでいるので寒さはなんとか凌げているが、暖かい飲み物が欲しくなる。


 はー……と悴む両手に吐息を掛けて温めていると、後ろから「おや……もしや?」と何処かで聞いたことあるような、中年の女性の声がして振り返った。


「後ろ姿に見覚えがあると思ったら。グラナさんじゃないか!」


「ん? あー!? シスター!? どうして聖地に!?」


「それはこちらが聞きたいよ。……連換術師さんこそ、どうして聖地に?」


 シスター・マーサとこんなところで再会するとは……。確か、マグノリアに残って元司祭の不始末と、信頼が地に落ちた教会の再建を手伝っていたはずだが。


「ようやく後任の司祭様がいらっしゃってね。代理のお役目から解放されたのよ。あたしはこの聖地の生まれでねぇ。里帰りがてら巡礼に馳せ参じたというワケ」


「そうだったんですか。なんだ、てっきりシエラが心配で聖地に同行されてたのかと」


「え……あの子、今この聖地にいるのかい?」


 今初めて聞いたと言わんばかりに驚くシスターに、俺はまさか知らなかったのか?    

と、逆に驚いた。てっきりお供についていったとばかり思っていたが、そういえばノルカもシエラらしき少女の従者に関しては特に何も話してくれなかったことを思い返す。


「シスターは知らなかったのか?」


「知らないも何も、今初めて知ったよ!? どうしてあの子が聖地に!? 一体シエラに何があったんだい!?」


「市街への通行許可が降りたぞ、連換術師。……知り合いか?」


 間が悪いことに、そこにフレイメルが戻ってきた。ジロリと射すような瞳を向けられたシスターもどう反応していいのか戸惑っている。俺はシスターを庇うように前へ出た。


「知り合いのシスターさんだよ。偶然、ここでばったり会ってな」


「ほう? 連換術師の貴様に教会絡みの知り合いが教皇のお子以外にもいたとはな」


「……貴方様はもしや、フレイメル様!? まぁまぁ何年ぶりでございましょう」


 と、そこでパッとシスターが賑やかな声を上げた。まさかの知り合いの知り合いが偶然再会した……ということらしい。


「貴女は……ご無沙汰している。マーサ殿。こうして直接言葉を交すのはおよそ10年ぶりか?」


「そうですねぇ……あれは小さなシエラと共に聖地を離れた頃ですから。その節は本当にお世話になりました」


「えっと……二人は知り合いなのか?」


 なんとなく話題に取り残された俺は、二人の間に割って入る。確か……アレンさんから聞いた話だと母親が不幸で失くなった後、シエラはシスター・マーサと共に帝国北部の寒村に移住したと。


 ただ……引っかかってはいた。確か、シエラの母親が凶弾に倒れた惨劇の場で七色の光が吹き荒れて、それがきっかけであの子は聖女の子孫として教会から一目置かれるようになったと。


 なのに、どうして聖地を離れたかまではその理由も知らない。それに移住するったってシスター一人で簡単に出来ることでも無いはずだ。そう考えると……この二人の接点が朧げながら見えてきたような気がする。


「ああ……古い付き合いだ。それより、巡礼の旅でお疲れだろうシスター。宿泊はどこで?」


「渡鳥の止まり木さんにお世話になるつもりだよ。旧友のシスター達と会う約束をしていてね」


「では、そこまでお送りしよう。————何を呆けている連換術師。さっさと荷を運ばんか」


「俺はお前の従者じゃねえっての! ったく、シスターお荷物を預かるよ」


「……あんたも苦労してるんだねぇ」


 同情するようにシスターが俺の肩に大きな手をぼむっと置いた。


 ★ ★ ★


 大勢の信徒と雪崩こむように足を踏み入れた聖地の中。大陸中に多くの信徒を抱える一大宗教の総本山には来るのはこれが初めて。聖地全体は北に向かって弧を描いており、扇を広げたような形状だ。


 四区画に分かれた聖地は、精霊教会の象徴シンボルにもなっている四大精霊の像が各区画に設置されていて、それぞれの精霊が司る季節がそのまま区画の名称になっている。


 巡礼者を出迎える牛に似た巨獣を模した土の精霊像が飾られているのが『春の広場』。荒れ狂う火の精霊像が見守る中、信徒達が巡礼の終点地グリグエル大聖堂に列を為して向かう『夏の回廊』。巡礼を終えた信徒達の旅の疲れを癒す慈愛の表情を浮かべる水の精霊像が飾られ、水盆から絶え間なく清らかな清流を生み出している『冬の小川』。そして、聖なる頂きへと繋がる参道を見下ろす偉丈夫の姿をした風の精霊像が設置された『秋の暮れ道』の四つだ。


 四季を表現した聖地の各区の建物は全て石造りになっていて、それが瀟洒な街並みのマグノリアや、水路が張り巡らされた皇都とはまた違った印象に映る。


 グリグエルの異名として『灰の聖地』という呼ばれ方があると聞いたことはあったが、建物が石灰岩で建てられたものであるのが、その由来であるとシスターから教えて貰った。


「教会の聖地ってこんなに規模が大きいものだったんだな……」


「そりゃそうさ。帝国どころか、大陸中の人々の心の拠り所となる総本山なんだ。これがちっぽけだったら、示しがつかないさ」


 宿泊所に向かう道すがら、シスターがそう得意気に教えてくれた。俺たちが今いるのは水の精霊像が印象的な『冬の小川』。シナイ山の湧水が遥か高所から流れ落ちて、聖地に水の恵みを齎す。滝の水を受ける精霊像が掲げる水盆から聖地の各地に水が運ばれていく仕組だ。精霊像の背後には絶えず降り注ぐ湧水が飛沫を上げる滝を形成していた。


 湧水はシナイ山の反対側にも流れていて、水の流れを制御する仕掛けがあり必要な分だけの水を聖地に取り込んでいるということらしい。


「ありがとね、グラナさん。荷物ここまで運ばせちまって」


「ああ……シスターその————」

 

 先に聖地到着の報告に向かっている為、フレイメルはこの場にいない。

 鞄を渡しながら、言葉を濁す俺にシスターは全てを察しているように声を顰めた。


「……あの子のことだろう。あんたとあの子の間に何があったか、教えてもらえるかい?」

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