六話 今代の聖女様
通された部屋は岩屋の中に作られたものとは思えないほど、上等な寝室だった。羊毛で編まれた敷き絨毯はふかふかで、堅い岩盤で足を痛めることなく、地熱の恩恵が無い空洞内部で快適に休めるように、という配慮なのだろうか。
部屋の隅には簡素な作りの古いベッドが置かれていて、洗い立てと思われる清潔な寝具が丁寧に畳まれている。それと岩屋の中だというのに、外の寒さと比べると中はほどよく暖かくてとても過ごしやすい。よく見れば岩壁はうっすら淡く光が灯ってるようで、空洞内の灯り代わりになっているらしい。
「はぁ。なんだか、どっと疲れた……」
ようやくマグノリアに帰れると思った矢先の聖地への旅。それも、なんでこいつと? と思いたくなるフレイメル従司教が同伴者。おかげで気が休まる暇が無い。そもそも、これじゃまるっきりレイ枢機卿の使い走りだ。皇都でシエラを奴らに連れ去られた時、期限内に連れ戻すことが出来なければ、身柄を教会で預かると脅されたわけだが、きっちり期限内に約束は果たしたので不問になったはず。
それとも……。まだ、あの聖人を体現する風体の枢機卿は俺に何らかの価値を見出しているのか?
「あの……お客様。お食事の準備が出来ましたので、お呼びに参りました」
思考を中断されるように外から声を掛けられた。確か……ノルカというこの宿で働いてる少女の声だ。だが、食事するには広い空洞の一角を酒場のように改装された食事場へ赴かないといけない。
衆人監視の中の食事は絶対に気苦労が溜まるし、要らぬ反感も買いかねない。
「あー……。申し訳無いんだが、食事をこの部屋で取りたいんだけど————」
「は、はい。かしこまりました。それでは、直ぐにお持ちいたしますね」
足早に部屋の前から去る足音を聞いて、余計な仕事を増やしてしまって申し訳ない……と思いつつ、今日はもう一歩もこの部屋から出たくは無かった。
★ ★ ★
小型のテーブルを絨毯の上に置き、その上に並べられた料理の数々は雨が少ない乾燥した地域であることもあってか、帝国内陸部では見たことも無いものばかりだった。小麦粉を薄く伸ばして、カリッと焼き上げたパン。水が少ない土地でも育つ豆と香草で煮込まれ香辛料で味付けされたスープ。月に一度か二度ほど立ち寄るというキャラバン隊から仕入れたラム肉のソテー。そして、ダマスカス荒野から北の高山地帯で放牧されている山羊から絞ったミルクと、彩り豊かで食欲をそそられる。
「……お待たせいたしました。当宿の料理人が腕を振るい再現した、聖女様御一行も召し上がられたと伝えられるメニューです」
「お、おお……。これは美味しそうな————。ちょっと待った!? そんな古いレシピが残ってるものなのか!?」
「お婆ちゃ……族長に代々口伝で伝えられるという、由緒正しいレシピ……だそうです」
察するにこの子はあの婆さんの孫に当たるらしい。言われて見れば、顔の輪郭に面影があるような、ないような? しかし、荒野のど真ん中でこの宿が繁盛している理由もなんとなく分かる気がする。ここダマスカス荒野は、聖地グリグエルへと巡礼で向かう信徒達が必ず通る地域。いわば、巡礼の旅の果てに行き着く最後の試練だ。そこに、聖女様御一行に振る舞われた料理を出す宿があるなら、誰だって泊まりたいとは思うだろうな、と。
木製のカトラリースプーンでスープをひと匙掬って口に運ぶ。ピリッとしたスパイスと、ほくほく煮崩れた豆が身体を芯から温めてくれる。
「ほー……これは美味しい」
「良かったです。お口に合って」
「おう。少し辛いけど、この口の中がピリッとくる感触が癖になるというか……。ちょっと待て? なんでもう一人分用意されてるんだ?」
「……何でって、私の分ですけど?」
さも当然のように。特に何の問題も無い口ぶりでノルカが俺の隣で食事を始める。
全く脈絡の無いその行動に開いた口が塞がらない。
「……どうされました? やっぱりお口に合いませんでしたか?」
「いや、料理はとても美味しいからそこは問題じゃなくて……。何で一泊の間だけとはいえ、今は確実に俺の部屋であるここで宿の従業員であるお前が、当然のように食事持ち込んでるんだよ?」
「……今日は団体のお客様が多いから大広間の食事場で食べるのは、なんか怖くて————」
「…………」
瞳をうるうるとさせて何かを訴えてくる少女に、それ以上強く言うことも出来ない。どうやらノルカは、極度の人見知りで極度の対人恐怖症であるようだ。の割には、初対面の俺を無用心にも信頼しているのが気になるが。
「お前な……客とは云え、俺は教会の信徒達から嫌われている元素……じゃなくて連換術師なんだが。怖くは無いのか?」
連換という言葉にやはりビクッと怯えるように反応するノルカは、手に持っていたパンを弾みで落とした。千切られた薄焼きのパンは、スープの中に落下してあっという間にふやけてしまう。その光景をじっと俯いて見続けていたノルカはか細い声で、
「こ、怖くは……ありません」
と、きっぱり断言した。
「だ……だって、以前ここに泊まられた今代の聖女様も連換術を使っていましたから」
今代の聖女様という
「聞いてもいいか? その今代の聖女様というのは、綺麗な銀髪をしている?」
「もちろんです!! 聖女様生誕の地、マグノリアを襲った災禍を虹色の風で祓い清め、皇都に顕現した荒れ狂う水の精霊様の御神体を、皇族の方達と共に歌声で鎮められた銀髪の聖女様です!!」
あの子が成した偉業を我が事のように語るノルカは、さっきまでの陰鬱な姿は何処に行ったのか別人のように饒舌で声も弾んでいる。俺は豹変した彼女の変化には特に触れず、その今代の聖女様が振るったという
「聖女様が連換術を使った……というのは本当のことか?」
「はい! 丁度、今代の聖女様御一行がお越しになった際に、ダマスカス荒野は深刻な干魃に見舞われてまして……。宿の裏手にある井戸の水も枯れかけていました。けれど、銀髪の聖女様が連換術で雨を降らせてくれたのです!」
「……雨、だって!?」
なんて無茶な……。確かにあらゆる水の特性を連換することが出来る水属性の術師なら、局所的な雨を降らせることくらいは雑作も無いはず。問題なのは、干魃被害がどうにかなってしまうくらいの降水量を連換した事実……だ。
僅かな時間だけでも気象を操作すること自体、連換術師の中でも限られた者しか出来ないこと。1時間ですら、持たすこともキツイ水蒸気操作を……シエラはこの荒野が潤うまで術を行使し続けたことになる————。
何で誰も止めてあげなかったんだよ……と、苦い思いを噛み締めた。ふと、脳裏に蘇るのはフレイメルから汽車の中で問われたこと————
何故、連換術をそこまで信頼できる?
根拠なんていくらでも述べられたはずなのに、今からだって言えって言われたらいくらでも反論出来ると思ったはずなのに。
「でも……三日に渡って雨を降らせ続けた聖女様、とてもお辛そうでした。私は聖女様を元気付けようと、色々とお世話させていただきまして。今こうしてるみたいに一緒にお食事したりとか、出来るだけ楽しい気分でいてもらえるように、お婆ちゃんから聞いた聖女様の昔話についてお話したりですとか」
「そっか……ノルカは聖女様に気を使ってくれたんだな」
ノルカはどこか嬉しそうに、そして寂しそうに聖女様とどれだけ楽しく過ごしてたか教えてくれた。おそらく……シエラを聖地まで送り届けたのは、枢機卿の手の内の者。俺と同じように気の休まらない旅路の中で出会った、この一見頼りない女の子に随分と助けられたに違いない。
「……さっさと聖地について叱ってやらないとな」
「はい? どなたを叱るんですか?」
「……こっちの話。それより、聖女様とはどんなことを話したのか教えてくれないか」
「あ……はい!」
今までずっと側にいたから、考えもしなかったこと。他人から見たシエラがどんな人物なのかを、ここらで聞いておきたかったのは何故なのか? 己の思考のはずなのに、理由は俺にも分からなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます