五話 巡礼をなぞる行程

 帝国最東端に向かう汽車に乗ること丸三日。かって、多くの巡礼者が徒歩で横断したという、広大なダマスカス荒野の外れに建てられた終着駅に到着した。


 ここから聖地までは、馬に乗って約半日ほど掛かる。地理的には帝国領ではなく、隣国ラサスムとの干渉地域にあたる土地。聖地を突っ切って更に東に一日ほど歩くと、そこから先は灼熱のフランマ砂漠。ラサスムと帝国の国境がこの砂漠の中間地帯にあると、汽車に乗る前に皇都の書店で購入したガイドブックに載っていたことを思い出す。


「……冬が近づいてるだけあって、結構冷えるな」


「馬の背の上は更に冷えるぞ。最も貴様の風の連換術なら、冷風を和らげることくらい造作も無いだろう」


「簡単に言うけどさ……。そもそも、この状況で連換術なんて使えるはず無いだろうが?」


 こいつわざとおちょくってるのでは? という疑念を抱かざるを得ない。が、三日も一緒にいればこれがこの男の素の姿なのだと思い憤りを収めた。気を取り直し、隣でぶるると鼻を鳴らす栗毛の馬の鎧に足をかけ、勢いよく背の鞍に跨る。

 

 悠久の時の経過を感じさせるこの荒野を渡るのは、当然ながら精霊教会の信徒が殆どだ。彼らの目の前で連換術など発動させようものならどうなるか? そんなの、分かり切ったことだろう。


「ほう————。流石にそれくらいの分別はあるか」


「お前……俺を馬鹿にしてるだろ……」


 三日も顔を付き合わせていれば、決して馬が合わない相手の言うことに、一々腹を立てるのも馬鹿らしくなってくる。従司教なりの最低限の線引きなんだろうが、そんなに俺のことが嫌い……なのだろうか。


 はあと吐いた溜息は寒さで白く変色していた。ブルリと身体を震わせて、出立前に服屋で購入したロングマフラーを首に巻き、首元をがっちり覆う。襟からはみ出た両端のフェルトの長い布が風に煽られて後ろに靡く。


 ついでに口元も覆えば聖地に着く間までくらいだったら寒さを防いでくれるはず……。晩秋のマグノリアは冷える為、念の為に厚着をしてきて正解だった。


「寒っ……精霊教会の信徒も大変だな。巡礼月にこんな苦行を課されるなんて」


「信仰を維持する為に大切なことだ。————いかに権威ある精霊教会といえど、人がいなくては成り立たぬものだからな」


 どこか冷めた視線で荒野に目を向けるフレイメル。つくづく思うが、こいつの考えは敬虔な信徒……ではなく、どちらかと云えば冒涜的なものだよなぁと嘆息する。いかなる理由があって教会に所属することになったのかは分からないし、教えてもくれないだろうが、歴史ある精霊教会といえど決してその内部は一枚岩ではない————ということなのだろう。


 それは、保守派、革新派、イデア派とそれぞれ掲げる根拠も主張も食い違う派閥争いがあることが何よりの証明だ。


「準備はいいか? 先に行くから遅れるなよ」


「村生まれの村育ちだから、馬の扱いくらい心得てるよ。そっちこそ道に迷うなよ?」


 ぴしりと手綱を叩いて馬を走らせる。大地がひび割れた降雨量も少ないであろう寂寥の荒野。視界も砂塵で妨げられない限りは、前を走るフレイメルを見失うことも無い……と思う。たぶん。


 ★ ★ ★


 荒野を走り始めて、そろそろ日が暮れかけた頃。巡礼者の一団に混じって、俺とフレイメルは丘陵地帯の一角に作られた天然の大岩をくり抜いた休憩所で、夜を明かすことになった。

 

 なんでも、聖女の一行が聖地に向かう際に一夜を明かしたとされる天然の洞窟らしく、巡礼者達が聖地に向かう際には必ずここを訪れるらしい。


 中は予想外に広く、カンテラで照らされた洞窟内部には宿泊施設も準備されている。最もガイドブックによると予約殺到の盛況ぶりで、当日宿泊なんて出来ないのでは? と思っていたが。


「これはこれは、フレイメル様。お久しゅうごぜぇます」


 俺たちを出迎えたのは、背が曲がり足取りもヨボヨボな皺だらけの老婆。フガフガといくらも歯が残ってないその口が動く。パクパクと魚が水面に浮かぶ餌を啄んでる様子が何故か頭に浮かんだ。


「お婆婆殿、まだくたばっておらんかったか。こんな何も無いところでよく生きながらえるものだ」


「かっか! こんな何もねぇところだからですよ。そりゃ、お医者からはそろそろ町で暮らしたらどうかと言われちゃいますがね。先祖代々、この聖なる洞窟を護るのが一族に生まれた者の務め。それこそ聖女様御一行ももてなしたご先祖に、あたしの代で宿を畳んだと知られたとあっちゃ、申し訳が立たねえですわ」


「は? 婆さんの先祖が聖女一行をもてなした?」


「はて? フレイメル様? 後ろの坊は新しい従士見習いですかえ?」


 フレイメルからお婆婆と呼ばれた婆さんに、しげしげと眺められる。落ち窪んだ眼窩から想像してしまうのは、髑髏に人の皮が貼り付けられているような失礼にも程があるもの。ただ、多くの巡礼者達がいる中で今の俺の身分は明かせない。


 どうしたものかと思案していると、フレイメルが徐に口を開いた。


「その者は連換術師だ。訳有って、レイ様に任を命ぜられてな。土地勘の無い其奴を聖地まで連れていく途中だ」


「ほぉ……連換、いや元素術師とな」


「なっ……!? どういうつもりだ? フレイメル」


 あっさり正体をバラされて、聞き耳立てていた周囲の信徒達からヒソヒソと非難する声があちこちから上がる。なんてことしてくれやがる……。これじゃ俺だけ野宿しろと言われてるようなもんだ。


 が、その周囲からの居た堪れない中傷を一喝するかの如く、婆さんは杖を振り上げて磨き込まれた床に石突きを振り下ろした。がつんと壁面に反響する音が空洞内を駆け巡り、話し声が立ち所にぴたりと止む。


「どこのどいつだい? ウチの宿の客に失礼を働いた奴原は? 元素術師、結構じゃないか。聖女様が雲隠れなさっちまってから、元素術師達が大手振って歩けなくなったのは、誰のせいだと思ってるんだい?」


 突如、青筋浮かべて烈火の如く顔を赤くする婆さんに誰も異を挟む者はいない。それにこの婆さんは俺のことを元素術師と言った。それは、まだ連換術が魔法扱いされてた時代の連換術師を指す古い呼び名。————この婆さん……一体何者だ?


「お婆婆殿、あまり叫ばれるとお身体を悪くする。それより、部屋に通して貰えぬか? 皇都からの長旅で疲れているのでな」


「げほっ、ゲホッ。ああ……これは気が利きませんで、すまないですねぇ。ノルカ! 

お客様をお部屋に案内しておやり」


 居並ぶ信徒達の中からビクッ! と肩を震わせた女の子がおずおずと俺とフレイメルを一瞥する。緊張しているのか、腕と足の動きが完全に左右一致している。


「お……お鞄をお持ちいたします」


「あ、ああ……頼む」


 半ば引ったくられるようにトランクを奪われ、お部屋はこちらですとか細い声と共に群衆を掻き分けて進むノルカの後に続く。後ろからは、俺を遠巻きに眺める複数の視線が突き刺さり、なんとも居心地が悪い。


「何を呆けている。さっさと進め」


「……つくづくいい性格してるな、従司教」


 やれやれ……聖地までもう少しだってところで、とんだ災難だ。相変わらず、厄介事を引き込む自身の不運を忌々しく思いつつ、俺は長く重い息を吐いたのだった。

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