四話 男二人汽車の中

「本当は今頃、大河の下流を車窓から眺めていたはずなのにな」


「ほう。貴様のような下賤の輩にも、帝国の大動脈たる大河の素晴らしい景観を理解出来るとは。意外であるな」


 仏頂面で頬杖着いて、窓の外を高速で通り過ぎる穀倉地帯を眺める俺の向かいから、優雅に珈琲を啜る音が聞こえる。皮肉たっぷりな言い回しで、まだ喧嘩売り足りないのかコイツ……と呆れた。


「よりにもよって、なんでお前と一緒に聖地に行かないといけないんだよ」


「それについては右に同じだ。ただでさえ、唯一の息抜きである出張に連換術師風情と向かわねばならぬのか。レイ様のいつもの気まぐれとはいえ、頭が痛い」


 わざとらしく眉間に皺を寄せているフレイメルは白磁のティーカップから闇色の液体を喉に流し込む。見てるだけでも苦味で舌が粘つきそうで、俺は視線を窓の外に戻した。


「……枢機卿のお付きがどんな仕事をしてるかは知らないが苦労してんだな」


「お互い様だろう連換術師。教会から謂れのない誹謗と中傷をぶつけられても尚、連換術という異端の術を手放さないお前達と」


「なら、聞きたいことがある。————その連換術師が枢機卿に、精霊教会に仕えてるのはどういう了見だ?」


 東に向かうに連れ、禿げた大地が目立ち始めた車窓の景色を右から左に流しながら率直な疑問をフレイメルにぶつけた。皇都で従司教と邂逅した時から気になっていたことだ。


 連換術を異端とする教会に何故、連換術を行使する者が仕えているのか? それも枢機卿の側仕えとして。教会が連換術を嫌っている理由と根拠には、彼らが信じる教義『大地に住まうものは皆等しく精霊の庇護を受けている』という信仰に反する邪法だから————というのが大多数の信徒の意見だ。


 連換術とは火、水、風、土、の四大元素と、錬金術に由来する七つの金属元素を行使する超常現象。言わば、精霊の御業を人が再現する奇跡の術だ。今や連換術協会は、帝国の科学技術の発展に大いに貢献しているし、諸外国と比べると国内の技術水準も比較的高い。


 これまで散々、連換術協会は精霊教会から妨害を受けている。これは、帝国民の殆どが精霊教会の信徒だということもあるが、見方を変えれば教会や信徒達が帝国の発展を阻害していると言っても過言では無い。


 未熟な宗教は国を滅ぼす————とは、誰が言った言葉だったか……。


 尋ねられた疑問を聞いていたのか、それとも耳から聞き流していたのかも察せない程、従司教は落ち着き払っている。紅蓮に燃える色合いの灼髪と、冷え切った眼を眺めていると、どうしてもあの日のことを思い出してしまう。けれど、師匠とやり合っていた聖葬人が放つ殺気と炎熱を、フレイメルからは感じられないのも確か。


 地下水路での爆炎は暴徒を鎮圧するために火力を上げたものだったのだろう。運悪くそれをまともに浴びた元将軍は重傷を負ったわけだが。


「……それを教えて、俺に何の益がある?」


「利害どうこうじゃなくて、単純な興味だよ。こちとら理不尽な悪意に晒されている側だ。何故と理由を問うことはおかしなことか?」


 フレイメルの瞳が一瞬大きく見開いた。先ほどまでの見下すような空気は一変し、品定めをするように灰の視線が向けられる。どうやら、こちらの発言の意図を計りかねている様子。別段、答えるのが難しい質問では無いと思うが。


「興味……か。そんな風に訊かれたのは初めてだな————」


「……いや、関心されるほどの事を言ったつもりも無いけど」


「そうでは無い。教会に属する者として常日頃ぶつけられる疑問ではあるが、悪意無く問う者は貴様が初めてかも知れぬ」


「……そりゃ、信仰なんて抱かない者からしてみれば、教会がどうしてここまで連換術を嫌うのか、疑問にも思うだろうよ」


「では、問いに問いを返すようで悪いがこちらからも問おう。————何故、連換術をそこまで信頼することが出来る?」


「何故って……。そりゃあ————」


 伝えたいことは沢山あるはずなのに、何故か言葉が喉の奥に詰まって出てこない。そもそも……そんなこと考えたことも無かった。何故、連換術師は連換術に絶対の信頼を置いているか? など。


「どうした? 答えられぬのか?」


「……答えられないんじゃない。伝えたいことは沢山あるのに、上手く言葉がまとまらないというか————」


「————そうか。では、先の問いの答えも同じ……だ」


「同じ……?」


 フレイメルは空になったティーカップをソーサーの上に置いて、座席横のトレーに戻す。チリンとハンドベルを鳴らすと、一等、二等部屋の客のみが利用出来る車内給仕が素早くトレーを回収して去った。


「その問いには答えられぬ。幾千万と存在する信徒達も恐らく同様にな」


「……どういうことだ?」


「集合的無意識という言葉に心当たりは?」


「……聞いたことはあるが、それが?」


 確か……人の意識は見えない大きな意思が細分化したものであり、どんなに個人毎に異なる思想が生まれようが、最終的には多くの人の意識、思考が集約して行動の規範となり得るという意味の心理学用語だったはずだ。


 言われてみれば、精霊教会とは教義という明確な『集合的無意識』の上に成り立つ宗教。精霊教会を興したとされる初代教皇が何故、このような教義を説いたかは謎に包まれているが、今日に至るまで廃れることもなく受け継がれている以上……、もはや認知された『集合的無意識』であることは間違いない。


「つまりだ。教会が教義として掲げている以上、解釈の違いはあれどそれを遵守するものと破る者がいるとなれば、果たして幾千万といる信徒達が何を敵視するかなど分かりきったことだろう。人とは考える葦であると説いたのは古代の学者らしいが、それでも考えるだけでは『集合的無意識』の束縛から逃れることは出来ん」


 淡々と告げる従司教の解釈は不思議なほどすとんと腑に落ちた。まさか、教会に属する側であるフレイメルが、ここまで思慮深かったとは見誤るにも程がある。それとも、枢機卿の側仕えでありながら連換術を行使する者でもある彼自身が、辿り着いた答え……なのだろうか。


 教義に反する者でありながら、教会に……枢機卿に仕える者。ようやく少しだが、この男のことが理解できたような気がする。相変わらず何故、連換術を使えるのかについては口を割る気はなさそうだが。今まで教会憎しで歯痒い思いをしてきたが、そもそもとして戦うべき相手を見失いかけていたことに今更ながら気付く。


 あくまで、俺が追い求めるべきは師匠と対峙した聖葬人。この目的だけは最初から変わらないはず……だ。それに教会が敵だと思った瞬間……あの子も敵としか思えなくなることを想像したら……ぞっとする。


 そんなことだけには、絶対にならないようにしないとな……と無意識の内に硬く拳を握りしめていた。


「妙にすっきりとした顔つきだが、問答はこれで十分だな?」


「ああ。答えにくいこと聞いて悪かったよ」


「————フン。連換術師一人と分かり合えたところで、それでも教会と連換術協会の溝は埋まらん。連綿と続く、因縁と因習。どれだけ時が過ぎようが、簡単に断ち切れる因果では無いということだけ、今は頭の隅にでも置いておけ」


 それだけ言うと従司教は立ち上がり二等客室の外に出る。愛想が悪い普段の姿とは裏腹に、何処かすすぼけたその背から寂寥たる何かが伝わってきたようで、それが何故かは分からず仕舞いだった。  


 

 

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