エピローグ 2 新たな予兆

 花屋さんで花を見繕ってもらい、お見舞いの品にリンゴも購入し、ようやく東地区にあるエリル師匠が入院している大病院に到着した。

 帝国の西に位置する医療が最も進んでいる国、ユーシェント共和国から医師を招いて設立された大きな病院であり、最新の医療設備が整っているらしい。

 

 受付で面会希望であることを伝えると、東棟の三階にエリル師匠が入院していることを教えてもらう。ハンドル式のエレベーターに乗り込み、ぐるぐると取手を握って回し三階に到着。


 窓際の個室に向かって廊下を歩いている最中。予期せぬ人物と遭遇した。


「む……誰かと思えば孫弟子ではないか。お前も馬鹿弟子の見舞いに?」


「リャンさん……来てたんですか」


 東方風の着流しがよく似合う、アクエスの養父でありエリル師匠の師匠。東方体術の達人で東の大国『清栄』では、五武聖の一人として名を馳せるほどのお方らしい。この人から四象の型を教わっていなければ、今頃はどうなっていたのだろうか……。


「師匠? この方が?」


「ああ。シエラは会うの初めてだったな。この人はリャンさん。俺たちにとって『大師匠』に当たる人だよ」


 異変が終結した後は、俺もシエラも連換術協会に所属する連換術師として、復興支援で忙しく働いていたので、ゆっくり挨拶しに行く暇も無かったのだ。特に、皇都の治水を司る役目を持つアクエスとセシルは、水路を一日も早く元どおりにするために、連日のように地下遺構に籠もって制御装置の調整を行なっている。


「……話には聞いている。そうか、無事に助け出せたのだな」


「はい……、これもリャンさんが俺に稽古をつけてくれたからです。本当に感謝してます」


「あの……。ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした——」


「二人とも、顔を上げるがいい。過ぎたことだ、二度と同じ過ちを起こさぬよう精進するのだな」


 なんだろう? 稽古中はとてつもなく厳しかったリャンさんの優しい声音に違和感を覚える。

 廊下の向こうから歩いて来たということは、もうお見舞いはすんだのだろうか?


「あの……エリル師匠の様子どうでした?」


「————目覚めたばかりだからな。あまり長くは起きてられんようだ。見舞いに行くなら急ぐがいい」


 それだけ告げるとリャンさんは足早にその場を後にする。 

 本当はもっとちゃんとお礼を言いたかったけど仕方が無い。次の機会にしよう。

 

「……あれが五武聖の一人、リャン・ユー氏か。しかし、つくづく君の人脈も侮れないねぇ?」


「俺に何を期待してるんだよ……。ほらさっさと師匠のお見舞いに行くぞ」

 

 何故かニヤニヤと笑っているアルを置いて、俺はエリル師匠が入院中の病室の前に立つ。

 ——考えてみれば、師匠に会うのは五年ぶりだ。

 話したいことは沢山あるし、紹介したい弟子もいる。


 師匠がいると思しき個室前の横開きの扉を遠慮がちにノックする。

 すると、扉の向こうから「どうぞ」と記憶に残っているよりかは、幾分柔らかい声が返ってきた。

 緊張しつつ、扉を開けて部屋の中に足を踏み入れる。

 窓際のベッドに身体を起こして起き上がっているのは、紛れもなくエリル師匠だった。

 変色した髪は鮮やかな緑のままだが、少し細くなりより綺麗になった顔を見て、思わず感極まった。


「師匠……良かった。目覚めてくれて」


「…………」


 思わず瞳から涙が溢れる。本当に会えなくて辛かった。もしかしたら二度と会えないことも覚悟した。


「師匠……。聞いてくれ、俺……弟子を取ったんだ」


「は、初めまして。グラナ師匠の弟子のシエラです。エリルさんのことは師匠から——」


「————待った二人共」


 シエラの自己紹介を遮るようにアルが病室に入って来る。

 一体どういうつもり……なのだろうか。せっかくの再会に、水を差すようなことをするような奴だったのか?


「なんだよ、アル。後でお前のことも、ちゃんとエリル師匠に紹介するから今は黙って——」


「……君の師匠、明らかに様子がおかしいし戸惑ってる。それにあの目は困惑して怯えてる目だ」


 いつになく真剣な口調でそんなことを言われ、確かめるべく師匠の顔を覗き込む。

 嘘だよな? あの師匠が怯えてる? そんなことって————。

 だが、アルの疑念はどうやら的を得ていたようだ。茶色い瞳を伏せがちに俺たちへの警戒感を隠そうともせず、困惑した表情で師匠は口を開いた。


「あの……あなた方は、どちらさま……でしょうか?」


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 皇都帝城付近に位置する第七親衛隊宿舎。

 浄化を逃れたエーテル変異体の討伐を行う為、地下遺構の調査に尽力していたクラネスは、遺構内の安全が確認されたことでようやく普段の仕事に戻りつつあった。


 異変の翌日に控えていた皇太女の儀は当然延期になり、同時に予定されていた勲章授与についても改めて機会を設ける形に落ち着いた次第である。


 それとは別に、今日は連日忙しいはずのセシル殿下より呼び出しを受けて、久方ぶりに帝城を訪れていた。クラネスが通されたのは、本来であれば皇帝陛下が座す謁見の間。

 皇太女の儀とは、皇帝の血筋を引く者が次代の皇帝となることを、帝国民に知らしめる為の儀礼。儀自体は延期されたものの、目の前におわすのは既に皇女殿下では無く、皇太女様であり未来の皇帝陛下と成られるお方であった。


「多忙の中、ご足労いただき申し訳ございません。クラネス副隊長」


「いえ、こちらもようやく地下遺構内の安全を確保出来たところです。セシル皇太女様こそお疲れでしょう」


「私には皇都の治水を司る巫女としての役目がありますから。それより、事前にお渡しした手紙は読んでいただけましたか?」


 クラネスは数日前、第七親衛隊の宿舎に届けられた手紙の内容を思い返す。

 その内容とは第七親衛隊を此度の異変解決の最大の功労者として認め、正式にマテリア皇家の専属守護役に任命するというものであった。

 クラネスとしては願っても無い好機チャンスであり、同時に他の派閥で構成された他親衛隊との差別化に思うところがあったのも確かであった。


「過分な待遇の数々……誠に嬉しく思いますが、第一から第六までの親衛隊は納得するでしょうか」


「既に私は皇女ではありません。認めないというのであれば、私にも考えがあります」


 セシル皇太女の決意は堅いようで、それだけこれまで第七以外の親衛隊が手に負えなかったのが、ひしひしと伝わってくる。クラネスにとっても、亡き父の汚名を返上する為に願っても無い昇進であり断る理由は無かった。


「——では、これより我が全霊を持って次代の皇帝陛下をお守りする任を、全うさせていただきたく」


「……頼みましたよ、クラネス副隊長。ジークバルド隊長が率いる第七親衛隊のみが、私が信頼出来る親衛隊ですから——」



 謁見の間を後にし、改めて肩の荷が重くなったなと感じたクラネスは、やりかけだった書類仕事を片付ける為に、急ぎ帝城を後にしようと足早に城門へと向かっていた。

 

 守衛の衛士に会釈し、帝城の外に出ようとした時……後ろから彼女を呼び止める声が掛けられた。


「これはこれは……。お会いするのは初めてでしたかな? リノ・クラネス殿」


「貴殿は……、確か第一親衛隊の……」


「お初にお目に掛かる。第一の隊長、ガルデル・グラッジだ。第七を着任早々指揮した貴女の手腕は実に見事だった」


 いつの間にか背後からクラネスに近づいたガルデルは彼女の肩に手を置いた。

 帝国貴族に多いとされるアッシュブロンドの短髪に、底が見通せない濁った灰の瞳。古き良き宮廷貴族を彷彿とさせる服装をしており、騎士というよりも社交場にでもいる方が似合いそうな優男のようである。しかし、腰にいた持ち手を保護する形状のサーベルは、決してこの男が見た目通りの男では無いことを示唆するのに充分な印象をもたらしていた。


「私に何か用でも?」


「そう、邪険になさるな。————その美しい顔が台無しだよ」


 生理的にこの男とは打ち解けられそうに無いと判断したクラネスは、急いでいることを理由に足早に立ち去ろうとするが、ガルデルは彼女の肩を掴んで離さない。

 ギリギリと締め付けられるように握力をかけられ、堪らずクラネスが抗議しようと口を開きかけると、それより先に彼の口から思いもよらない事を告げられる。


「————上手く名を隠したものだ。だが、おれには筒抜けであるが」


「……さっきから貴方は一体何を?」


「————陛下に刃を向けた、大罪人の娘。ローゼス卿の仇討ちの為に、皇都まで乗り込んで来るとは想定外だったよ」


 耳朶から流し込まれる蜜のように甘い声音は、クラネスの冷静さを奪いさる。

 ————いずれこうなることは、あらかじめ覚悟はしていたがまさか親衛隊の隊長に知られていたとは……。言うまでもなくこの事実が知られている以上、文字通りクラネス……シェリーの命はこの男に握られた。


「貴方は……それを知った上で私にどうしろと——」


「安心したまえ。セシル皇太女からの信頼厚い騎士殿を、追い出すようなことはせんよ。……一つ協力関係を結ぼうではないか。————ローゼス卿の娘御よ?」

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