エピローグ 3 新たな旅立ち、彼らの日々もまた続く

「——ではな。留守中、家のことは任せたぞアクエス」


「ん……父さんも。その……スイさんも気をつけて」


 巨蟹の月の初旬、皇都東地区のSLステーション。無事に退院したものの記憶が戻ることが無かった師匠は、「翠」という新たな名を貰い、リャンさんと共に東の大国『清栄』に向かうことになった。

 東方では独自の医学が発展しており、リャンさんの知り合いの薬師の伝手を頼り、師匠の記憶を戻す治療を試みることになったのだ。


「リャンさん。エリル……じゃ無かった、翠さんのことくれぐれもよろしくお願いします」


「わ、私からもお願いします! ……こんなの悲しすぎますから」


 笑顔で送り出すって決めてたのに、師弟揃って涙を堪えているのがバレバレだったのだろう。

 入院中も辛抱強く通い、なんだかんだで仲良くなることが出来た翠さんは、そんな俺たちに釣られるように瞳を潤ませていた。


「グラナさん、シエラさん。短い間でしたが何も分からなかった私に良くしてくれて、本当にありがとうございました。————しばらくお会いできなくなりますが、お元気で」


 皇都に映えるブルーのワンピースを纏い、日差し避けの白いハットを被ったその姿は、記憶に残っている勝気で男勝りな師匠ではなく、全くの別人にしか見えない。


 それでも記憶が戻らずとも身体が覚えているのか、ふとした時に見せる優しい表情は記憶を失う前の師匠と同じものだ。——その事実が俺の心を余計に苛んだ。


「全く……この師弟は。旅立ちの時くらい笑顔で送り出せないの? ——翠さん、何か困ったことがあれば遠慮なく父さんを頼ってね」


「はい、そうさせていただきますね。————アクエスさんも連換術師のお仕事、頑張ってください……ね」


 そう言って翠さんはアクエスと人目も憚らずひしっと抱き合った。

 アクエスもいつもの無表情なのに、何かを堪えるように固く目を瞑っている。

 束の間、俺たちがいるこの空間だけ時が止まればいいのにと、柄にも無い事を思う。

 だが、無情にも汽車の出発時刻を告げる汽笛が鳴った。


「————そろそろ時間か。では行こう、翠……殿」


「……はい。リャン様」



 こうして二人を乗せた大陸を横断する汽車は清栄に向けて走り出して行った。

 ——次にエリル師匠に会えるのはいつになるのだろうか。


「ん……。じゃあ仕事に戻る。今日は二人ともうちに泊まるんでしょ?」


「はいです。夕方頃に伺いますね」


「俺たちも今日はセシル……皇太女様から帝城にお呼ばれしてるからな。ちょっと遅くなるかもしれないが」


「なら、異国通りで夕飯のおかず買っといて。串焼き100本」


「多すぎだろ!? ————分かったよ。協会から特別手当も出たしなんとかする……」


「あはは……あまり師匠をいじめないでくださいね。アクエスさん」


 SL駅の改札から出て、協会本部に向かうアクエスとはそこで別れる。

 半分ほど水量が戻った水路を眺めつつ、空を見上げる。

 雲一つなく晴れ渡る、真夏の空。今日も暑くなりそうだ。


「エリルさんの記憶……戻るといいですね——」


「————そう、祈りたいな」


 長いようであっという間だった激動の六日間。師匠は取り戻せたけど、本当の意味で再会出来るのはまたしばらくお預けのようだ。

 それでも……普段は祈りを捧げることが無い、無信心な俺でも——師匠の記憶が無事に戻ることを祈らずにはいられなかった。




二章 皇太女と砂月の君 Fin

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