エピローグ 1 戻って来た日常
「師匠!! 起きてください!!」
どんどんとドアを叩く音で目が覚める。
ぼんやりとした頭で欠伸をしながらベッドから起き上がる。寝間着のままドアを開ければ、既に着替えて準備万端のシエラがそこにいた。
「……シエラ、こんな朝早くからどうしたんだ?」
「どうしたって……。今日はエリルさんのお見舞いに行くって、師匠が言ってたじゃないですか」
言われてみれば……。確かにそんなことを言ったような気がする。
皇都を揺るがした大災害から二週間が経過していた。
皇都の異変が収まった後、意識不明だった師匠が目を覚ましたのは一昨日のこと。
あの後、東地区にある大きな病院にエリル師匠は入院中で、今まで面会謝絶だったのだ。
大災害が残した爪痕は深く、俺たち連換術師も皇都の復興を手伝っていた。
御神体が目覚め浮上した時は、打つ手無しか——と諦めかけたが、まさか本当に歌で何とかなるとは……。それに賛美歌などを日頃から嗜む教会にいただけあって、シエラの歌声はあのローラ・カエルムが一目置くほどの歌唱力があった。マグノリアで起こした奇跡といい、今回の歌で精霊を鎮めたことといい、俺の愛弟子はもしかすると本当に聖女の生まれ変わりなのか? とも思ったが当人が聖女と思われたく無い以上、そう思うのも失礼なのだろう。
今日のシエラの服装は皇都に来た日と同じで動きやすい格好だ。
紺色のジャケットの下に白いブラウス、デニムのハーフパンツに足元はお気に入りのショートカットブーツ、肩までの銀髪を後ろで結んだポニーテール姿である。
ふと深層領域でのあの白いローブ姿が頭をよぎるが、あれはあれで彼女の異なる一側面だったのかもしれない。
「師匠、どうしたのです? そんなにじーっと見つめられると……恥ずかしい……ですが」
「あ……悪い。いやぁ、なんだかんだでその格好を見るのも久しぶりだなーと思ってさ」
ともあれ、こうして弟子が早起きしているのに師匠である俺がいつまでも寝間着姿でいるのは示しがつくまい。
直ぐに着替え、公爵邸の入り口で落ち合うことにした。
「師匠……。本当に助けられたんだな——」
やることが沢山あって、今の今まで湧かなかった実感をようやく噛み締める。
こうしてはいられない……。早く着替えてシエラと合流しよう。お見舞いの品や花なんかも買わないとだし。
いても経ってもいられず、大急ぎで支度を整える。念の為、ベルトに革製の籠手入れをぶら下げ……。
「そういえば……深層領域で没収されて、そのままだったの忘れてた————」
確か……牢屋で目覚めた時は既に見当たらなかったような……。
あの籠手に嵌ってた連換玉はエリル師匠から貰ったものでもあり、可動式籠手もずっと使い込んできた相棒みたいな存在だ。——それらを収納する革製の籠手入れは、ルーゼから貰ったプレゼントなのに、まさか無くすとは……。
「……ルーゼに会ったら謝らないとな」
最近はあまりキツく無くなった幼馴染みからは、やっぱりどやされるんだろうな……と気が重くなったが、そういえばここ最近ルーゼの姿を見ていない。
ソシエの付き人で皇都に来たようなことは聞いてるが、どこをほっつき歩いているんだか。
「まぁ……公爵邸から出て行ったということでも無さそうだし、そのうち会えるか」
そう納得することにして、俺は間借りしている客室を後にした。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
公爵邸の門の前でシエラと合流し、早朝の西地区をのんびりと中央地区に向かって歩いていく。あの大災害の日、ここら一帯は第一から第六までの親衛隊が防衛に当たっていた。
そのせいなのかは分からないが、西地区でのエーテル変異体による家屋の倒壊などの被害は、極力抑えられたらしい。
「それにしても……流石に出るの早すぎたんじゃ? まだお店も開いて無いし」
「そうですね……。確かに早すぎたかもです……」
「しょうがない……それじゃ中央地区の朝市にでも寄るか。確か屋台も出てたはずだから、腹ごしらえも済ませとこう」
というわけで、シエラと二人で向かったのは皇都の名物『朝市』である。
帝国の首都だけあって、国内各地からの名産品や新鮮な食材が集い、早朝から賑わいを見せていた。
南の方で獲れた新鮮な魚介類に、旬を迎えた色鮮やかな野菜に目移りし、眺めているだけでも楽しい。シエラと二人で食材を見て周り、珍しいものを見つけてはお互いに教え合う。
ようやく戻ってきた当たり前の日常を噛みしめ、諦めなくて本当に良かったと心から安堵する。
「あ! あれ見てください師匠。美味しそうなパンがあります!」
「本当だ。蜂蜜がかかっているのかな? それじゃ、二人分買って景色のいいところで食べようか」
童心に返ってはしゃいでるうちに、すっかりお腹が減っていた。
黄金色の蜂蜜が糸のように掛けられている焼き立ての丸いパンは、実に美味しそうである。パンと一緒に冷たいフルーツジュースを購入し、市場から少し離れた人工湖を一望出来る高台の公園に移動した。
二人掛けのベンチに腰を下ろし熱々の蜂蜜パンに舌鼓を打つ。
焼き立てで中はふっくらとしていて、甘い蜂蜜との相性も抜群だ。
育ち盛りのシエラは早くも二つ目に手を伸ばしており、幸せそうにパンを頬張っていた。
「おぃひぃでふ! ししょ!」
「美味しいのは分かったから、口にものを入れたまま喋るのはやめなさい……」
無邪気に振る舞うシエラはやはり子供っぽい。まさか、これで十五歳と聞いた時は正直驚いたが、今となっては彼女の辛い境遇も全て知っている。
一番甘えたい盛りの時に母親を失い、人里離れた山奥の村で野山を遊び場にして育ったこの子を誰が責められよう。
ちらっと横を向けば夢中で蜂蜜パンに齧り付いてるので、シエラの口はベタついていて唇が黄色くなっている。
仕方が無いと思いつつ、ハンカチを取り出し優しく拭ってあげた。
「あ、ありがとうございます……」
「別にいいって。それより、お腹いっぱいになったか?」
「は、はい! 本当はもっと食べたいですけど、頑張ってるアクエスさんにも渡したいし……」
お土産用に買った蜂蜜パンが入った紙袋を見やり、シエラはぐっと我慢するように視線を逸らした。なんだかんだで三個は食べてた気がするが、やはり水属性の連換術師は代謝が良くなる分、大食いになるのだろうか——。
気づけば時刻は午前九時を回り、時を告げる鐘の音が遠くから響いてくる。
腹も膨れたことだし、そろそろ師匠のお見舞いに行くかと二人してベンチから立ち上がると、背後から呆れたような声が聞こえた。
「……なんとなく声掛けづらかったから眺めてたけど、随分と仲睦まじいのだね……」
「んー? アル? お前なんでこんなところに?」
いつからそこにいたのかは知らないが、いつもの白いひらひらとした民族衣装を着こなすアルが、苦笑いしながら突っ立っていた。……どうやら一部始終を見られてたようだな、これは。
「協会本部の復興支援業務もだいぶ効率化の目処が立ったからね。ナーディヤの目を盗んで一服しに抜け出して来たところさ」
「お前……。ナーディヤさんにシメられても文句言えないぞ……」
異変終結後、正式にラサスム王家預かりとなった連換術協会は今後、ラサスムにも協会支部を作る予定らしい。アルが皇都入りしたのもどうやらそのような経緯があったと聞いたのは、つい最近のことだった。
「ところで二人はこれから何処に行くんだい?」
「エリルさんが入院している病院にお見舞いに行くのですよ。やっと面会許可が下りたので」
「エリル……確かグラナの体術のお師匠様だよね」
「ああ。
凍てついた大河の上で死闘を演じた師匠の別側面にも思える、ヴェンテッラと名乗った女。
正確に言うなら、秘密結社の謎技術で植え付けられた得体の知れない人格。
確かに師匠は取り戻せたのかも知れないが、例えそれが目には見えない人格ではあっても彼女の命を絶ったのは俺だ。そのことだけは忘れてはならないことだと思う。
「師匠。そろそろ病院も開いた頃です。お見舞いの花も買わないとですし」
「そうだな。エリル師匠だってまだ本調子ってわけじゃ無いだろうし。じゃあな、アル。仕事頑張れよ」
アルに向かってひらひらと手を振り、公園の出口へと向かおうとすると、「待った!」とアルが声を張り上げた。
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「そのお見舞い、僕も一緒に行っていいかな?」
「別に構わないけど、なんでだ?」
「ああ。実はだね————」
勿体ぶったようなアルの態度に訝しみつつ詳細を問う。放蕩王子はこほんと咳払いすると、こう告げた。
「ラサスムに連換術協会支部を作ることが正式に決まってね。協会でも本当に優秀な術師しかなれないと言われているS級連換術師である君の師に、ラサスムへお越し頂けないか相談したいのさ」
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