八十四話 鎮めの唄

「はぁはぁ……これで何匹目だ?」


「……ネズミが七匹に、犬が五匹、蛇が一匹だ。養殖場で暴れていた巨大魚は水路の水が抜かれたら、大人しくなったと報告があった。それ以外は覚えていないな————」


 東地区にて暴れるエーテル変異体を斬り捨てながら、クラネスはいつ終わるかも分からない地獄のような戦場で陣頭指揮を取り続けていた。

 青い隊服は変異体の血に塗れ変色しており、傍らのエルトに至っては利き腕を折られて銃機による銃撃でなんとか戦場に立ち続けている有様だった。


 深層領域攻略作戦で半壊した部隊を立て直すのは容易では無く、途中、春雷卿配下の聖十字騎士達の援軍と、協会に属する連換術師達の助けが無ければ全滅していたかもしれない状況だった。


 ナーディヤ率いるカマル王子の私兵部隊は、王子を守る為に協会本部の守護を固めているので、僅かの手勢が親衛隊と共に戦っている最中である。それ以外の地区に関しては第一から第六までのいずれかの親衛隊がそれぞれの隊長指示の元、どうにか変異体を食い止めているとの情報があり、統率が取れていないのに皇都の一大事には働くのかと疑念を懐かざるを得ない。


 もう何度、刀身に付着した血を拭ったか分からないが、父であるローゼス子爵の形見である、柄に薔薇が刻印された細剣は刃こぼれすることなく、クラネスの剣技に応えてくれていた。


「これで……八匹目……」


 巨大なネズミの前歯による攻撃を掻い潜り、喉を細剣で貫く。

 返り血を浴びないように素早くその場から飛び退くと、ネズミの亡骸は街路樹をなぎ倒しながら水が抜けた水路に落下した。


「はぁ……はぁ……。状況は!? どうなっている!?」


「はっ! 水路の水が全て抜かれたことにより、汚染されたエーテルの大気浸食は止まったと、協会本部から報告が入っております!」


「そうか……。では第七親衛隊、集合せよ! これより協会本部に戻り、負傷者の治療と汚染エーテルの除去を行う!」


 クラネスの号令により、満身創痍の隊員達が一斉に撤退を開始する。

 幸いなことに戦場の舞台は市街地。補給しながら戦う作戦が取れるのは願っても無いこと。

 今のところ体調に異常をきたした隊員はいないようだが、さっきから討伐しているのは、汚染されたエーテルを過剰に取り込んで身体が肥大化した生物である。


 いわばその血は人体には有害であり、長期戦は避けなければならない。


 東地区は連換術協会本部が立地する重要拠点であり、ここが落とされるのはすなわち——皇都防衛が失敗したのも同義。にも関わらず、他の親衛隊が防衛しているのが貴族達のお屋敷が立ち並ぶ西地区と、商業施設が大部分を占める南地区だった。


 各親衛隊に出資している貴族や商人達の思惑もあるのだろうが、一貫して東地区に見向きもしないのは彼らの背後に何がいるのかを示唆しているようである。


「……無事にお戻りになられて王子も安堵しております。クラネス副隊長様」


 ボロボロの第七親衛隊を出迎えたのはカマル王子の側近であるナーディヤであった。

 肌を極力見せない衣装はこの季節では暑いはずだが、当人は汗一つかかず涼しい顔をしている、王子のお目付役の女性だ。


 深層領域攻略作戦の後、いち早くカマル王子が詰める協会本部の守りを固めた彼女のお陰で、戦いの最中も協会本部から最新の情報を得ることが出来ていた。


「ナーディヤ殿。隊員達の汚染エーテル除去と、負傷者の治療をお願いする。大気のエーテル汚染は止まったと報告を受けたばかりですが、他に情報は入って来てますか?」


「帝城方面より、異常なエーテル振動を感知したと本部計測班より電信が届いております。おそらく深層領域で眠っていた御神体が目覚めて、地上へ浮上を開始したようです」


 既に水の精霊の御神体のことは親衛隊、協会本部、そしてナーディヤ率いる配下のラサスム兵にも知られており隠すことでも無くなっていた。

 変異体の討伐にも手を焼いているのに、この上、御神体が目覚めるなんて厄日としか思えない……。

 深夜より睡眠を殆ど取っていない身体は仕切りに眠気を訴えており、その度に冷水を顔にぶちまけるが眠気は無くならない————。


 戦場を抜け出しての補給は、春雷卿配下の部隊と交代で取っている。

 どっちかの部隊が壊滅すればもちろんこの休憩も取れなくなり、残った部隊もやがて同じ運命を辿るであろうことは確かだった。


 手詰まりのような状況で、くらっと目眩がしたクラネスは方向感覚を失い、重心が傾いた。


「……クラネス!?」


 折れた利き腕を添え木で固定し腕を宙吊りにしたエルトがいち早く気付くが、その腕で受け止められるわけでも無い。あわや頭を強打しかけた時に、小柄な身体と若獅子のような茶髪が特徴的で市街騎士団の団服を纏う少女がクラネスを抱き抱えた。


「わっと!? 団長!! 無事!?」


「その声は……オリヴィアか? お前、いつ皇都に戻ってきた?」


「昨日、やーっと爺ちゃんから修行終わり!! って言われたから、下山して教会特区の大聖堂にお世話になってたんだ。でも、冷たいよねー教会の人達。こんな非常事態なのに精霊の降臨の方が重要だーなんてさ」


 彼女にしては珍しく批判が多く、教会のやり口はとても褒められるものでは無いのも確かだった。


「爺ちゃんなら、向こうの通りでばっさばっさとへんいたい? をやっつけてるよ。煮ても焼いても食えない動物は相手するのも嫌そうだったけど」


「相変わらずだな……。春雷卿殿も」


 大事には至らないが、念の為に休息を取ることにしたクラネスは、本部の仮眠室を使わせてもらうことになった。寝てる場合では無いのだが、残りの変異体は爺ちゃんとあたしに任せて! と邪気の無い笑顔で言われてしまっては、任せるしか無い。


 三階まで上がり、汚れた隊服を脱いで肌着姿になったクラネスは、ベッドに倒れこんだ。

 激戦が続いてる中、休めるのは半刻がいいところだろうが、短時間でも睡眠を取ることにより体調は幾分かマシになる。


 せめて休む前に外の様子を見ようと窓を開けると、帝城の方角から何処かで聞いたことのある旋律が風に乗って運ばれて来た。


「これは……歌……か? それに何だ——? この禍々しい何かの気配は……」


 帝城前の人工湖は水が綺麗に抜けており、湖底に開いた大穴から御神体が浮上してくるのを目撃したクラネスは、その後の光景に目を奪われた。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 帝城のバルコニーに運び込まれた歌劇団の音響装置から何処かもの悲しい旋律のようなものが響いていた。

 歌の主は今年の水の精霊の歌い手と噂されている、ガルニエの歌姫ローラ・カエルム。

 と、親衛隊の隊服を纏った銀髪の小柄な少女だ。

 まるで、随分前から練習を重ねていたかのような二人の二重奏(デュオ)は聴くものに安らぎと儚い思いを促し、すーっと……大地に水が染み込んでゆくような柔らかなメロディであった。


 歌姫が紡ぐは大河の雄大さを…、激しさを、そして力強さを讃える歌。

 その後に続く銀髪の少女が紡ぐのは、悠久の時を流れる水の美しさ、感謝、そして眠りを誘う調べ。


 生きとし生ける者、全ての生命を育む水の力。

 遥かな時より、この地を見守る精霊に聖女の祝福があらんことを。


 どこまでも響く精霊賛歌と精霊鎮魂歌。

 二つの旋律は絡み合い、まるで元々一つの歌詞であるかのように精霊に感謝の意を示すものに変わる。


 眠れ、眠れ、霊峰の雪解け水の音を聞いて。

 この地は揺り籠。とこしえに在る、水の精霊と人の約束の地。

 

 二人の歌い手が紡ぐ言の葉に、いつしか銀髪の少女が胸元にかけている七色石のロザリオも、眩いばかりの虹の輝きを取り戻す。


 人ならざる精霊に二人の歌声が伝わったかどうかは分かるはずも無いが、御神体を覆う不浄なるエーテルは見る見る内に清められ、美しい青を取り戻した。


 再び眠りについた御神体は、感謝の意を示すかのように大気に充満する不浄なる気を清め、皇都を囲む、純度の高いエーテルの層を散らした。


 すると同時に……巨大化していた生物も風船が萎むように元の大きさに戻った。

 精霊の身体が一際眩しく輝いたかと思えば、瞬きの間に御神体は姿を消して、水が抜けたはずの人工湖は元以上に青く正常な水で満たされていた。


 後の世で、当時の奇跡を伝える戯曲の一つともなったその歌の名は、『鎮めの唄』。

 

 皇都に末長く伝えられることになる、その歌い手は有名歌劇団の一世を風靡した歌手と、名も残されていない一人の少女であったことだけが記録に残された。


 I.D.1263  獅子の月 皇都大災害の記録より

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