八十三話 水の精霊の目覚め

「で? 私とシエラが奔走してる間に、優雅に皇女様の膝枕を堪能していたと?」


「……申し開きのしようもございません」


 そのまま疲れて寝入ってしまった俺とセシルは、心配になって中央地区の制御部屋まで急いで駆けて来たらしいアクエスに叩き起こされた。

 こんな大事な局面で寝てしまうとは一生の不覚……。シエラに見られ無かったのが唯一の救いだろうけど、この様子では後で女性陣全員から長時間のお説教を聞かされるのは、ほぼ確実だろう……。


「……とりあえず後輩への躾は後回し。セシル殿下、印の起動は終わったの?」


「全て完了してます。後はシエラさんの準備が整えば――――」


『セシル殿下ー!! 聞こえてますかー!? ただ今、制御室に到着しました!!』


 噂をすれば左の伝声管からシエラの元気な声が響いて来た。

 これで準備は全部整ったことになる。俺はセシルにチラリと目配せし、そのまま伝声管に口を近づけた。


「――――聞こえてるよ、シエラ。よく……頑張ったな」


『し、師匠!? どうしてそこに!?』


「巨岩の異変をなんとか解決出来たからな。皇都の外でアレンさん達と合流して、お前の無事も伝えておいた」


『伯父様とですか? 何故、伯父様達は皇都の外に?』


「色々説明すると長くなるんだが、巨岩に封じられていた『水の聖人』の亡骸を納めた棺を移送する為だそうだ。――――秘密結社に悪用されない為に、と聞いた」


 巨岩で遭遇したあれこれについて、掻い摘んでシエラに説明する。


『――――大丈夫ですか、師匠。聞いてる限りだと、また無茶したのですね……という感想しか浮かばないのですが……』


「大丈夫……だ。それより、この地下遺構内にも巨大化した生物がうろついてるみたいだ。今から迎えに行くから、そこでじっとしてるんだぞ?」


『……いえ、大丈夫です。地図も持ってますし。――――それより、早く水路の水を入れ替えた方がいいと思います』


 何処か不安気なシエラの声に、俺はどういうことだ? と聞き返す。

 シエラは確証は持てないようだが、はっきりとした危機感を感じているようだった。


『地下遺構の更に地下……。深層領域と思しき地点から巨大な何かが浮上している気配を感じるんです。ロザリオの七色の光も心無しか燻んでるように見えて……』


 それは……まさか御神体が目覚めようとしている――――のか?

 確かクピドゥスの話しだと、御神体が目覚めるのはローレライの歌声が必要という話しだったが。まさか……あの時、シエラを操っていた名も知らぬ人格が七色のエーテルを大量に注ぎ込んだから――なのか?


 でも、精霊の目覚めなんて……止められるのか――?


「ん……状況は了解したよ、シエラ。制御装置を稼働する準備は出来た?」


『は、はいです! 制御弁を上に引き上げるんですよね?』


「そう。レバーの前にある細い棒を上に引き上げて。そうすれば、この中央制御室から遺構内の水の流れが全て制御出来るから」


『うん……しょっと。引き上げ完了です』


「ん、これで本当に準備完了。後輩……力仕事は任せた」


 先輩から冷たい視線を向けられ、俺は身を小さくして部屋の中央にある大型のレバーの前に陣取る。いつ作られたのかも分からない鉄製のレバーは、折れるんじゃ無いかと握っているだけで冷や冷やする。慎重にがしゃこんと音を立てながら右から左にレバーを動かすと、室内にある凸凹の壁が、まるで生き物のように模様を変えて地図のようなものを描き出した。


 これは……地下遺構を流れる水の向きを示しているものらしい。

 この遺構が作られたのは中世の時代らしいが、どのような仕組みなのだろうか。


「……これで皇都中の水路の水は全て人工湖に向かうはずです。汚水をそのまま深層領域に流し込むことにもなりますが」


「ん……それでも今のまま手をこまねいているよりかはまだマシ……と思うしか無い。汚染されたエーテルが都市中に撒き散らされたら、連換術師でも浄化しきれないし、エーテル汚染で命を落とす人だって出かねない。『マグノリアのような奇跡をもう一度』……というのは、流石に望みすぎだと思うし」


 そう言って、汗だくの俺にアクエスは視線を向ける。

 確かに……シエラの変質したエーテルを元に戻す力が失われている以上、今回は別の手段でエーテルを正常に戻す方法を取らないといけない。

 悔しいが俺の無けなしの『聖浄化』の力を宿した風では、ここまで汚染が進んだエーテルを正常に戻すのは無理だ。マグノリアのエーテル変質を食い止めたのは、本当に奇跡としか思えないことなのだから。


「とにかく、シエラと合流しつつ地上に戻ろう。御神体の浮上も気になるけど、まずは他の協力者の人達とも話し合って……これからどうするか考えよう」


「――――その通りです。時間は無駄には出来ません」


「ん、そうと決まれば走るよ。シエラ、中央地区に上がる隠し階段の前で待ってて。くれぐれも足音を立てずに移動するように」


『……分かりました。では師匠、アクエスさん、セシル殿下、また後で――――』


 伝声管からシエラの声と制御室から足早に去る足音が響く。

 さて、俺たちもぐずぐずしてはいられない。一刻も早く、地上に戻らなければ――――。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 遺構内を細心の注意を払って移動し、合流したシエラと共に帝城へと戻って来た俺たちは、二日目にセシルとの歓談の席で通された皇都を一望出来るバルコニーから、水が抜けた人工湖を見下ろしていた。


 巨岩石の巨人と化したペリドが開けた大穴に、汚れた水が流れ込んでいる。

 視界に映る限りでも水路の水は殆ど抜かれており、異様な暑さも少しは和らいだようだ。

 小一時間程セシル達が帝城を離れていた際に届けられた、第七親衛隊の電信より皇都を覆う純度の高いエーテルの層は徐々に薄れてきているが、未だ予断を許さない状況であることが判明した。


 市街地で破壊の限りを尽くしている巨大化した生物、通称『エーテル変異体』は第七親衛隊と、教会より協力を申し出てくれたオリヴィアの祖父『春雷卿』率いる聖十字騎士達の獅子奮迅の活躍により、だいぶ数を減らしたらしい。北地区異国通りに出没した変異体も、大師匠であるリャンさんが素手で屠ったと聞き、改めてよくあの人から合格貰えたな……と、背筋に冷や汗が流れた。


 市街地の対応は彼らに任せるとして……俺は水の抜けた人工湖から目を離さず、ビリビリと空気が震えるような感覚と向き合っていた。


 シエラが両手で握る七色石のロザリオは、先ほども聞いた通り精彩を欠いた七色の光を発している。あの力強い輝きは見る影も無く、聖女由来の力に頼るのは諦めた方が良さそうだ。


「こんなことが現実に起きるなんて……。とても信じられません」


「だろうな……。マグノリアの時とはだいぶ状況が違うとはいえ、二度もこんなことが引き起こされるとは――――」


 変わり果てた皇都の光景を一望するセシルの表情も精彩を欠いている。

 今日一日でどれだけの人の命が失われたのか――――。

 大災害としか形容することの出来ない異変の数々。こんなことを引き起こして根元原理主義派は何をしたいのだろうか。敵の狙いも分からぬまま、ただ事態に翻弄されている俺達を眺め、あの強欲の化身は何処かで愉快そうにこの地獄を楽しんでいるのかと思うと……腸が煮えくり返りそうだった。


「シエラ。……御神体の気配は?」


「……もうすぐ湖に開いた大穴から出てくるようです。汚れたエーテルを取り込んで、御神体そのものがどんどん禍々しいものに変質してるみたい……です」


 排水溝に流される水のように大穴に流れる、濃度の高いエーテルを含んだ水はやはり御神体にも害となるようだ。しかし、それが分かったからってどうにも――――。


「ここに居られたか殿下、探しましたぞ」


「貴方は……ジークバルド隊長様? どうしてここに?」


 背後から威厳のある武人の声が響き振り返る。そこにいたのは一日目に公爵邸を訪れた第七親衛隊のジークバルド隊長と……予想外の人物だった。


「ご無沙汰……ってほどでも無いかしら? 大変なことになったわね、連換術師さん」


「あんたは……オペラ歌手のローラさん? なんでここに?」


 大柄な武人の後ろから歩いて来たのは、四日目のオペラ公演後にルーゼと二人でお会いしたヴィルムの実の姉、ローラ・カエルムだ。意外な組み合わせに、なんで? としか思えない。


「時間が無いから手短に聞くけど、『マグノリアの英雄』と『聖女』というのは連換術師さんとそこにいる銀髪のお嬢さんのことね?」


「そうですけど……。あのそれが何か?」


「そこの渋いおじ様に頼まれたの。水の精霊の歌い手として、精霊を沈める歌を……歌って欲しいってね」


「……歌? 歌で精霊を鎮められるのか!?」


 どう考えても無理がある。水の精霊の歌い手と言えば毎年大河を鎮めたローレライに扮し、大河に祈りの歌を捧げると何処かで聞いた気はするが、それで本当にどうにかなる……のか??


「出来っこ無い……考えてるのはそんなところね?」


「ああ……。夢物語にもほどがある。――精霊の目覚めを歌で止めるなんて」


「いえ……出来るかもしれません」


 混乱の極みにいた俺の思考はセシルの一声で冷静さを取り戻す。

 自信たっぷりに何度も頷くセシルは、ローラの勝気な瞳に負けじと睨んだ。


「――――精霊鎮魂歌。教会の聖歌隊に伝わる特別な旋律と、マテリア皇家に伝わるもう一つの旋律を組み合わせることで、暴走した精霊を鎮めたことがあると伝え聞いておりますので」


「話しが早いわね、セシル殿下。でもそれだけじゃ足りない。『聖女』様が旋律を紡ぐことによって『鎮めの唄』は完成する。だから、手伝って頂戴」


「手伝う? 何を……ですか?」


「バックコーラスよ。主旋律は私が歌うわ。これほど緊張感溢れる舞台は私も久しぶり――――。さぁ……聴かせてあげましょう。――――眠りを妨げられた水の精霊に子守唄を」

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