八十二話 地下遺構の役割

 ようやく異国通りのモスクに繋がる地下通路の入り口まで戻ってくると、状況は更に変化していた。皇都の周囲を覆う純度の高いエーテルの層はそのままだが、異国通りの外れにある展望公園の付近だけエーテルの層が無くなっていることに気づく。


 丁度公園の真下には大河の清流を皇都の水路に引き込む用水路があり、そこだけ正常なエーテルが空気中に介在しているようだ。


 この水路を辿っていけば恐らく皇都地下に張り巡らされた地下遺構に繋がっているはず……。

 俺はアレンさん達に見つけて貰えるように、茶色の駿馬の手綱を木に繋ぐ。

 よく躾けられた馬のようで、ブルルっと鼻を鳴らすとそのまま草をみ始めた。

 なんとなく牧歌的なその光景に、ほっと一息つくと川より突き出た岩を小気味よく飛んで向こう岸に移動する。


 用水路には作業員が使うような通路も作られていたので、水びだしになる心配も無さそうだ。

 薄暗い用水路を抜けると、四日前に足を踏み入れた遺構の区画とはまた別の場所に出た。

 複雑に枝分かれした水路があちこちに点在し、ここから皇都の地上部にある水路に水が運ばれていくのだろうと当たりをつける。


「ここにもあるな……水の精霊アクレムの印」


 石壁の壁面に刻印されてるのは女性を象ったような形の精霊の印だ。どうしても深層領域の台座の上に浮かんでいた泡の中で微睡んでいる御神体を思い出してしまう。


 あれから、かなり時間は経過したし深層領域は既に水没しているのだろうけども、御神体がどうなったかについては気になっていた。


 マグノリアで根元原理主義派アルケーが企てていた企みは街に『火の精霊イフレム』の印を刻むこと。それと関連づけて考えるなら、この皇都に置いてもやはり精霊という存在は連中に取って重要……ということになる。


 マグノリアで起きた異変については、現在も支部のロレンツさん達を始めとする職員の皆で調査中だ。街中を覆った変質したエーテルにより二次被害も少数の報告が上がっているという話も聞いている。


 奴らの狙いがもし、眠りについた四大精霊を再び目覚めさせるのが目的であるならば、精霊が目覚めこの世に顕現した時、何が起きるのか想像もつかない。


 とてもじゃないが俺個人で何とか出来ることでは無い。これから先も、同じような企みを阻止して行くのであれば、もっと沢山の人達の協力も得なければならない。


 連換術協会、マテリア皇家、大切な仲間達、場合によっては……精霊教会にもだ。

 とにかく先ずは、皇都の異常を終息させるのが先決。

 その為には、早くセシル達と合流しないと……。

 遺構内を流れる風を感覚で辿ると、複数の出口に繋がっているのが手に取るように分かる。

 距離的な想定として、今いる地点は北地区異国通りの真下だろう。つまり、このまま遺構を南下すれば中央地区の帝城付近の水路に出るはず。

 

 湿気を含んだ石の床で足を滑らすことが無いように、急ぎ足で遺構内を進む。

 大河の清流を直接引き込んでいるからか、外と比べるとひんやりとしていて気持ちいい。

 帝城から巨岩に向かっている最中はコートを羽織っていたこともあって暑苦しくて仕方が無かったが、地下がこれだけ涼しいのであれば一時の避難場所としても使えるはずだ。


 風の流れを辿り、ようやく中央地区の真下に差し掛かった時に、異様な気配を察知し物陰に隠れる。


 チロチロと二つに分かれた長い舌を出し、巨大化した胴を持て余すように這いずるそれは、とても大きな蛇の一種だった。異国通りで巨大化したネズミを見かけたばかりだが、恐らくあの大きさ位なら普通に丸呑みも出来るだろう。

 体長は少なく見積もっても五十プラム(1プラムは1M換算)はありそうだ。

 蛇は温度の変化に敏感で舌の触覚で周囲の状況を把握していると、子供向けの図鑑で読んだことはある。

 

 地下遺構で戦った巨大カエルも十分驚異だったが、流石に蛇に喧嘩売ろうとは思わない。

 上手いことやり過ごそうと、元来た道を引き返そうとした時……。

 背後から甲高い悲鳴が聞こえて来た。

 こんなところに人が? と訝しみつつも通路の端から顔だけ覗かせた俺は、蛇に襲われそうになっているその人物を捉え目を丸くする。


「こ……こっちに来ないでください!?」


「セシル!? なんでこんなところに————」


 うっかり巨大蛇の縄張りに入り込んでしまったセシルは腰が抜けたのか、その場にへたり込んでしまったようだ。目は余り見えずとも熱を察知して、狩りをする蛇に取っては格好の獲物になってしまっている彼女を助けるべく、俺は翡翠の籠手に意識を集中した。


「————間に合え!! 元素解放!!」


 俺の方に蛇の意識を向けるべく火のエーテルを取り込んで、温風の風だまりを複数設置する。

 より高温を感知した巨大蛇はセシルには興味を失ったように、風だまりに顔を向けた。


 接近する巨大蛇をやり過ごしつつ、水路の壁を蹴ってセシルの元に向かう。

 すっかり腰が抜けてしまった彼女は恐怖で体をブルブルと震わせていた。

 

「怪我は無いか? セシル」


「グラナ……。大丈夫です、何処も擦りむいてませんから」


「良かった……。それにしても何でこんなところに?」


「濃い濃度のエーテルを発生し続けている水路の水を全て入れ替える為、地下遺構の水の精霊の印を起動する準備を進めていたのです。その……アクエスさんの提案で」


「そんなことが本当に出来るのか?」


「おそらく可能だと思います。それに水の連換術師であるシエラさんにも手伝ってもらってますから、準備も一時間あれば終わるはずです」


 どうやら俺がヴェンテッラと戦っている最中に、セシル達も動き出していたようだ。

 それにわざわざ帝城まで戻って合流する手間も省けた。女の子三人で護衛も連れずに危険な地下遺構に潜るのは関心出来ないが、アクエスはともかく、シエラも体術の腕前だけなら既に初段くらいの実力はあるので、勝てない相手に挑むほどの無茶はしないだろう。


「そんなことより……大河の異常は収まったのは知っていますが、何があったのか教えてもらえますか?」


「色々あったから結構長くなるぞ。……セシルに真っ先に伝えたいこともあるしな」


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 腰が抜けてしばらく歩けなくなってしまったセシルを背負い、地図に記された印を頼りに中央地区真下に広がる遺構内の水の精霊の印を起動して回る。


 移動する間、巨岩で起きた異変のこと、アレンさんと合流したことを話し、皇都浄化作戦なるものが進行していることを伝える。そして、無事に師匠を助け出したことを話すと、感極まったセシルは俺の背で涙を零した。


「————そうですか。姉様を……助けることが出来たのですね」


「ああ……。まだ意識が戻って無いから、アレンさん達に診てもらってる。とりあえず、命に別状は無さそうだ」


 師匠の行方を人一倍案じていたのだろう彼女は、本当良かったと玉のような滴をぽろぽろと流していた。早くセシルと師匠を会わせてあげたいが、とにかくこの異常事態を早急になんとかしなくては……。


 その後も遺構内を駆けずり回り、百箇所以上に刻印された水の精霊の印をセシルが水の連換術で起動した後、中央地区直下の遺構の一角に作られた、水路制御装置がある部屋に二人で足を踏み入れた。


 遺構が存在するのは中央地区、北地区、西地区の三箇所であり、それぞれの区画は中央地区の制御装置と連動するような仕組みとなっているらしい。


「これは……伝声菅か?」


「そのようです。ここと同じような部屋が北地区と西地区の遺構にあるようで、全ての準備を終えたらこの伝声管でお二人から連絡が届く……はずです」


 ということはここでシエラとアクエスからの連絡待ちということらしい。

 傷の手当てを受けたとはいえ疲労はかなり蓄積している。正直、直ぐにでも横になって眠りたいくらいだが、気合と根性で目蓋がくっつかないように我慢する。


 ……だが身体は正直だ。師匠を取り戻す為に激しく動かした身体を、流石にこれ以上酷使することは難しいと思う。本当の英雄なら、こんな時も己を犠牲にして最後まで抗うのだろうが、あくまで俺は一介の連換術師だ。


 ————無限に続く体力なんてある訳が無い。

 勿論、思っていてもこんなこと、言えるわけが無いけども。


「グラナ……疲れてますか?」


「え? あー悪い……。早朝から動き詰めだったからな——。けど、俺の心配なら不要だ」


 なんでもないように、無理して屈託なく笑う。

 セシルを不安にさせても仕方が無いからな。まだまだやることは残ってるし……。


「……無理しないでください。巻かれた包帯の量を見れば分かります。姉様を助ける為に貴方が相当な無茶をしたであろうことも」


「え、いやー……。こんなのいつものことだし……」


「お二人から連絡が来るまでまだ時間はかかるでしょう。……よければ私の膝を貸しますから、少し休んでください」


 膝を……貸す?? どういう意味か分かってない俺は、ふっと気を抜いて足がもつれる。

 あわや倒れそうになったところをセシルに支えられ、そのままゆっくりと寝かせられた。

 

「膝って……。まさか膝枕!?」


「……他に何があると思ったのですか。姉様からの教えです、『疲れた時は休め』と————」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る