八十話 歯車は回り始め

「ジークバルト隊長! ローレライの巨岩の方角から狼煙が上がりました!」


 皇都南地区外周部に聳える白亜の監視塔。

 最上階より、今か今かとその時を待ちわびていた第七親衛隊隊長ジークバルドは、親衛隊員からの報告に鷹揚に頷きを返す。隊長のみが羽織ることを許される新緑のマントを翻し、亡き陛下より賜った皇家の紋章が背に刺繍された、特別な青い隊長服を着こなす大柄な武人である。短く刈り込まれた濃い茶色の髪、彫りは深く厳格な顔つきに、両目の下に刻まれた一文字の切り傷。顎髭と揉み上げは一つに繋がっており、世が世なら一国の王と言われても納得するほどの威厳のある風貌であった。


「うむ。公爵閣下殿も所定の位置に着いたようだ。まさか、大河が凍りつくとは思わなかったが。……聖女伝承に語られし空想元素か。これほどとはな————」


 部下から双眼鏡を渡され皇都のすぐ間近を流れる大河に焦点を当てる。

 先ほどまで北の海でしか見られない極寒の海のような有様だったエルボルン大河は、まだ氷の塊が無数に浮いてはいるものの、水の流れは徐々に元に戻りつつある。

 それよりも、可及的速やかに対処しなければならない問題は、皇都中で頻発している異変であった。

 動植物の異常な巨大化、水路から発生している異常に濃いエーテルに、極め付けは皇都をぐるりと囲む透明で純度が異常に高いエーテルの層。狂乱状態に陥った住民がこの層を突き抜けて脱出しようと試みたらしいが、窒息状態に陥り容態が重篤化しているとの情報も届いている。

 

 四日前、ビスガンド公爵の姪が秘密結社に拐われた時から、水面下で進行していた異常の実態が一気に明らかになり、その対応に今まで追われていた。


 皇家を守護する親衛隊の働きが機能していない現状、各隊の隊長による独断専行が常態化しており、皇都始まって以来の危機的状況下であっても、第一から第七までの隊が協力することは無い。


 皇帝を守護する高潔なる騎士の精鋭部隊の統率が取れていない理由は、単純明快に皇帝不在であるからである。五年前に崩御された陛下の跡取りは皇女であるセシル殿下のみ。

 旧い貴族達からは次代の皇帝に、亡き陛下の親戚筋の家系より男性皇帝を擁立すべきだという意見が多数寄せられている。加えて、親衛隊を維持する資金を提供する条件として、隊長にはそれぞれの派閥の息がかかった人物が推薦され、要職として認められた経緯がある。


 陛下崩御を機に頭角を現した各派閥を代表する隊長達は次第に、マテリア皇家を守護するお役目とは距離を置いた隊の舵取りをするようになったのも止む無しであった。


 そんな中、先祖代々皇家に仕える血筋の出であるジークバルドは、彼が指揮する第七親衛隊の役割を細分化し、より効率的にお役目を果たせるよう隊則からして大変革を行う。

 彼がセシル殿下の政務執行代理を務めているビスガンド公爵と、親交を深めるようになったのは、ある意味当然の流れでもあった。


「こんな時くらい利害など度外視して各隊と協力出来ればと思うが……。ままならんものよな」


 公爵と少数の精鋭達は無事に作戦を開始したようだ。大河の異変が沈静化しつつあるのがその証拠。事前に打ち合わせした手筈通り、ジークバルド達は作戦の次の段階に移行する。


「それで……公爵閣下様からの緊急な呼び出しと伺いましたが、一介の歌手である私に何を求めるのかしら?」


 ジークバルドが振り向くとそこにはグラナとルーゼが接触したガルニエの歌姫、ローラ・カエルムが眠そうな表情を隠そうともせず、派手な赤い外套を羽織り警戒感を露わにしていた。

 寝起きなのかオペラの舞台で披露したような凝った髪型では無く、長い紺碧色の髪を邪魔にならないように青いリボンで結んでいる。

 足元は動きやすいくるぶしまでのショートブーツを履いていた。


「これは歌姫殿、昨晩は遅くに済まなかった」


「謝罪はいいから、何をどうして欲しいのか教えてくださらない?」


「では、単刀直入に申し上げよう。貴女を水の精霊の歌い手の候補としてお頼み申す。————精霊を沈める歌を、歌ってもらいたい」


「…………どこでそれを?」


 じりっと一歩後ずさるローラは内心、驚きを隠せなかった。

 精霊教会より極秘裏に次代の水の精霊の歌い手候補として選出されたことは、歌劇団のオーナーを除いてごく親しい間柄の者にも打ち明けてはいない。

 にも関わらず、全く予想外である親衛隊の隊長に筒抜けになっている事実に、ローラはいよいよ不信感を隠せなくなった。


「教会から水の精霊の歌い手に選出されたものは、教会の聖歌隊の指導の下、特別な旋律を習うと聞き及んでいる」


「……これほどの異常事態を歌で解決出来るなんて、本気で思ってるの?」


「無論、これは手段の一つだ。これより我が第七親衛隊は帝城まで貴女を届けよう。そしてある人物にその旋律を伝えて欲しい」


「ある人物って誰よ?」


「……セシル・フォン・マテリア殿下である。水の精霊の歌い手は初代皇帝陛下の皇妃様がお勤めになられたとも皇家には伝わっておるのでな。——殿下達の作戦が成功していれば……いや不確定な要素を話しても仕方があるまい」

 

 一人納得するジークバルドにローラは困惑するが、教会からはなるべく当日までその年の歌い手に選出されたことは黙っていて欲しいとも釘を刺されており、どうすればいいのか分からない。


 悩んだ末、そのような大役を引き受けることなんて出来ないと口を開きかけた時、ジークバルドから更に揺さぶられるような条件を提示された。


「そうだな……こちらに協力して貰えるのなら、其方の行方知れずの弟の消息の捜索に協力しようではないか?」


「……本当に、ヴィルムを探してくれるの?」


「約束しよう。一年前のマグノリアにて、連換術協会には登録されていないそれらしき連換術師が現れたことも、我が隊では掴んでいる。……その場に居合わせた隊員もおるのでな」


 既に協会所属の連換術師を通して捜索を依頼したばかりではあるが、やはり親衛隊の隊長から直々に協力を取り付けられる利点は大きい。


 ローラは……しばし熟考し、ジークバルドの提案を受け入れた。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「————協力を申し出ていただき、感謝いたします。春雷卿殿」


「皇都の一大事。ここで立ち上がらねば武人として悔やみきれないでしょうからな。ご安心あれ、ワシが率いる聖十字騎士達はいずれも聖別の試練に己が武を示した者達。腐った教会の坊主共とは違い、性根からワシ自ら鍛え上げた武人達でございますゆえ」


 再び帝城に戻ってきたセシル殿下一行は、破談しかけた教会の協力要請を快く引き受けてくれた春雷卿と共に、各地区の住民の救出、避難の段取りを早急に取り纏めている最中であった。


 目下のところ驚異なのは異様な巨大化を遂げた動植物の類と、高濃度のエーテルを発生させている水路を流れる水である。

 連換術協会から断続的に届く報告では、協会に所属する連換術師の総力を上げても、皇都全域の濃度の高いエーテルを浄化しきるのは困難であり、中にはエーテル中毒を引き起こし倒れてしまった術師も出てきているという芳しくない状況だった。


 そこで、一度水路のエーテル浄化を中止し、まずは住民達の驚異となっている異常生物達を便宜的に『エーテル変異体』と呼称し、掃討作戦を実行することが決定された。


 作戦会議の最中、手持ち無沙汰となってしまったシエラは帝城内の医務室にて、ベッドで眠るアクエスの寝顔を不安そうに眺め続けている。


 遠隔的な連絡手段が使えない現状、心を占めるのは大河の異常の確認に出た師匠のことだった。自分を助ける為に相当無理をしたはずなのに、それをおくびにも出さず、憎くて堪らないはずの聖葬人の目印である漆黒のトレンチコートを羽織って出立するその背中に、声を掛けることができなかった己の弱さに嫌気が差す。


 あの日以来、変質したエーテルを元に戻す力は失われてしまった。

 失った直後はとても大きな喪失感に陥ったと同時に、これで過度な期待を掛けられずに済むという安堵感もあったのだ。

 聖女の子孫という過分にして面映いお役目から解放されて、これからは一人の女の子であり、連換術師として生きていくものばかりと思っていた。


 だが、運命はそう簡単に少女を解放したりはしないようだ。結果的に秘密結社に拐われ、自我を封じられた挙句、得体の知れない人格を植え付けられ、助けに来た彼に敵意を向けた。


 シエラの意思では無いと言えばそれまでだが————こうも思うのだ。

 あの人格は抑圧され続けこの出自から解放されたいと願った末に、自らの心に生まれたもう一人の私……では無いかとも。


 そんなことは無いはずなのに、何故だか否定し切れない。

 もし……あの場で完全に水の連換術を使いこなして彼を死なせる、もしくは再起不能になるまで痛めつけるようなことがあれば、このか弱い心と身体は完全にもう一人の自分のものになっていた……かもしれない。


 不安で胸がはち切れそうな時、握りしめていたもう一人の師匠の左手がぴくり……と動いた。


「んーっ……シエラ、何してるの?」


「アクエスさん!? 良かった、目が覚めたんですね!!」


「……連換術を使い過ぎた反動で体中が怠いけどね。それで、今はどんな状況?」


「それが————」


 シエラからの辿々しい説明を黙って聞いていたアクエスは「……寝てる場合じゃ、ないじゃん」とえいやっとベッドから勢いよく起き上がる。


「だ……駄目ですっ!? まだ寝てないと」


「いんや、もうバッチリ回復した。協会の皆だってなんとかしようと頑張ってるのに、一人だけベッドで寝て待つなんて無理。それに、こういう時の為に皇都の水路には水を全て入れ替える仕組みがあるの。地下遺構で見たでしょ? 水の精霊アクレムの印」


「そ、そんなこと出来るのですか?」


「私と殿下、それにシエラにも手伝って貰えれば。水の連換術師が三人いれば、たぶん何とかなるはず」


 ベッドに腰掛けて腕や足を伸ばして身体をほぐすアクエスの顔色は悪くは無い。

 解決しなければならない問題は山積みの状況だが、出来ることからやっていくしか無いのだろう。何故かマグノリアで彼と出会った日をシエラは思い出す。

 あの時も、孤立無縁の状況から皆で力を合わせて根元原理主義派アルケーの計画を阻止したのだ。どんなに絶望的な状況でも決して諦める事なく前へと進むあの人達の一員として、ここで立ち止まる訳には行かない。


「————いい顔してる、シエラ。流石、将来有望な後輩」


「……アクエスさん」


「さっ、殿下のところに戻るよ。私達、連換術師の仕事はここからが本番なんだから」

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