七十九話 皇都浄化作戦

 籠手と爪が交差し翡翠と硬質な爪が『リィィィィン……』と、耳に残る音を発した。

 雪解けを迎えた春のような体感気温の中、下腹部から流れる血を右手で抑えながら俺は後ろを振り返る。


「————見事です」


 ピキッ……という音と共に氷の上に真っ二つに割れた仮面アイマスクが落ちる。

 決してこちらを振り向かないヴェンテッラの表情を俺が窺い知ることは無く、そしてその顔を拝むことも生涯無いのだろうと悟る。

 師匠の身体を間借りしていた人格とはいえ、彼女も一人の人間……だ。


「……逝く前にこれだけ教えて欲しい。あの日、師匠を連れ去ったのは————」


「それは貴方の師の口から聞いてください。私が主導権を握る前の記憶は残してあります」


「もう一つだけ。————あの地下礼拝堂で師匠の風を連換したのはお前なのか?」


「————残念ですが、答えられる質問は一つだけです。……そろそろ時間ですか。灼炎様……ヴェンテッラは……冥府の底にてお待ちしております————」


 それだけを言い残すと、ヴェンテッラは支えを失ったように氷の上に倒れた。

 皇都の北、マテリア皇家の初代皇帝が原初の精霊から啓司を受けたとされる霊峰の方角から、爽やかな風が吹き流れる。師匠の身体から靄のようなものが浮き出て風に乗り何処かへと飛んでゆく様をただ眺めた。


 せめて、彼女の想いが思い人である男に届くのを祈って、しばし……黙祷した。

 気づけばかなり巨岩から離れた位置まで流されていた。真夏の日差しが容赦無く季節外れの氷河を溶かす。足場としているこの氷の塊が水没するのも時間の問題だろう。


 師匠を担いで早いところ岸に移らなければ……。

 トレンチコートを脱ぎ、止血も兼ねて邪魔にならないように袖を下腹部に巻く。

 痛みを堪えながら、やっとの思いで師匠を担ぎ上げるが、その身体は意外なほど軽かった。

 

 少しというか、かなり目のやり場に困る服装だが、本人が目覚めたらどう説明しよう……。

 そんなことを考えていると、いよいよ本格的に氷が大河に沈み始めた。

 気づけば周囲の氷の塊も数少なくなっており、跳躍を繰り返して岸に着地するにもぐずぐずしてられない。


 傷だらけの両足に力を入れて、風の連換術で補強し飛び石のように氷の塊を飛び渡る。

 最後の跳躍に備えて、両足で思い切り氷を踏みしめようすると、それまで水の上に浮いていた氷を踏み抜いて大河に落下した。


(冷たっ……。え? 師匠!!)


 落水した瞬間にあまりの水の冷たさに師匠を手放してしまった————。

 急ぎ周囲を見回し師匠が流れて行った方向へと泳ぐが、清流の勢いに流され思うように進めない。このままじゃ……意識の無い師匠が溺れてしまう。


 極限の精神状態の最中、俺は大気と生命エーテルを接続し七色の風を纏った。

 連換術の連続行使と限界時間ギリギリまで開眼状態を維持した反動なのか、七色の風も精彩を欠いて色が薄い。

 それでも水の抵抗は大分少なくなった。急いで流される師匠に追いつき、背負い上げると水面へと上昇する。

 なんとか救出には成功したが、急いで師匠を岸に上げて肺に貯まった水を吐き出させないと——。だが、泳いでる最中にまた川岸から離されたようだ。

 ここから先は体力の続く限り泳ぎ続けるしかない。だが……先ほどまで凍りついていた大河は水温が異常に低く、身体の震えが止まらない……。

 両手で水を掻いてるだけなのに、もう冷たいとも何も感じない。

 いよいよ両足の動きも鈍くなり、視界も霞んできたその時だった。


「掴まれ! グラナ君!」


 川岸からこちらに投げ込まれたのは輪の形に結ばれた頑丈なロープ。

 無我夢中でそれを掴み、視線を上げると向こう岸に見事な白馬に跨ったアレンさんの姿が見えた。


「よし! しっかり握っているんだぞ! フューリー! 気合を入れて引き上げろ!」


「かしこまりました、旦那様————」


 大河の流れとは平行にぐいぐいと岸まで引っぱり上げるのは、皇都に到着した日に俺とシエラを出迎えてくれた執事のフューリーさんだった。握手を求められた時にその異常な握力に驚かされたが、まさかここまで力持ちとだったとは人は見かけによらないものだ……。凍えた身体を奮い立たせるように、俺は懸命に両足を動かし続けた。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 ようやく岸に引き上げられた俺は師匠をフューリーさんに預けた。

 後で聞いた話だが、この時アレンさん達は皇都での異常の元凶をいち早く突き止める為に、昨夜よりここら一帯に張り込んでいたらしい。


 居合わせたアレンさんの部下の中には医療に精通している人もいて、師匠の容態はその人に診てもらうことになった。ひとまず安堵した俺は焚火に当たって冷え切った身体を温めながら、傷の手当てを受けつつ、アレンさんにこれまでの経緯を掻い摘んで説明する。もちろん、シエラを無事に助け出したことも含めて。


「……そうか、あの子を無事に助け出してくれて感謝する」


「礼なんて……入りません。元はと言えば自分の軽率な判断が原因で、シエラは奴らに拐われたんです。俺だけの力であの子を助けられた訳でも無い。仲間が、協力者の方々が身の危険も顧みず俺たちを探し続けてくれたから————」


「己の過ちを悔い、反省するのは大切なことだ。————だが、何事にも限度というものがある。己を責め過ぎるな、グラナ君。君はあの子の師匠……なのだろう?」


 アレンさんが何故か優しく、俺の肩に手を置いた。あれだけシエラの弟子入りに反対してたはずなのに、俺のことは師匠と認めてくれていることに……驚きを隠せない。


「それより、アレンさん達はどうしてここに?」


「万が一の備えというやつでな。————連換術協会と協力して調査を進めた結果、皇都で頻発している異常は、かの巨岩に封じられた聖人の亡骸が原因ではないかと当たりをつけたのだよ。……流石に大河が凍てつく様を見せられた時は言葉を失ったがね」


「は……? 聖人?」


「聖女の伝承に語られる七人の聖人の話は聞いておるだろう? ……ビスガンド公爵家はその内の一人、『水の聖人』と縁があると伝わっているのだよ」 


 アレンさんから告げられた事実に俺は理解が追いつかない。ということは公爵家……いや、アレンさんは水の聖人の子孫ということなのか?


「君が驚くのも無理は無い。この話を祖父から聞かされた時は私も耳を疑ったからな。そしてご先祖の亡骸には決して触れてはならぬという、言い伝えが公爵家には代々伝わっている。————だが、状況が変わった」


「どういう……ことですか?」


 アレンさんはフューリーさんが淹れてくれたハーブティーで口を湿らすと、俺にアンバーの瞳を向ける。


「マグノリアで発見された聖人の亡骸……だ。伝承によれば、災厄を封じる為に聖女が解き放った空想元素をその身に宿し、聖人は何処かへと消えたとされているが、マグノリアで発掘された亡骸には何も残されていないと報告を受けている。おそらく、空想元素を持ち去った何者かがいるはずだ」


 アレンさんの口から『空想元素』という言葉が飛び出したことに驚く。多分、シエラから聞かされたことなのだろうけども、その意味合いは全く違う。


 やはり、マグノリアと皇都で起きた一連の騒動には聖女の伝承が密接に絡みついている。

 根元原理主義派の盟主の正体といい、事件の中心には聖女が関係しているとしか思えない————。


「さて、そろそろ身体もあったまった頃だろう。君にも協力してもらうよ」


「協力って……何を?」


「ローレライの巨岩に封じられた聖人の亡骸を掘り起こし、より安全な場所に保管するのだよ。真夏に大河を凍てつかせる空想元素。こんな危険なもの秘密結社に悪用される訳にもいかぬからな」


「アレンさん……? あんたどこまで知って?」


「時がくればある程度のことには君にも話せるだろう。だが、今は行動するべき場面だ。皇都に居られる殿下や我が姪、そしてジークバルドも事態を終息させようと動き出しているはず。『皇都浄化作戦』その第一段階をこれより開始する……!」

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