七十話 迫りくる浸水の脅威

 巨岩石の巨人と化したペリドは、連換術で勢いよく地面を隆起させ高く高く跳躍する。

 ドリル状の両腕を遥か頭上の岩盤に突き刺すと、勢いよく両腕を回転させ始めた。

 どうやら、本気で人工湖の湖底に穴を開けてこの深層領域を水没させるようだ。


 あの馬鹿野郎……。あれほど巨大な岩人形は流石に風じゃどうにも――――。


「何を呆けているのです! 直ぐにここから脱出しますよ!」


「クラネス、あの人は?」


「……王子の私兵部隊を率いているナーディヤさんだ。時間が惜しい、さっさと撤退するぞグラナ」


 動ける親衛隊員達と共に負傷者を運び出す手筈を整えたクラネスが、全員に退却を指示する。

 ――ペリドの連換術による被害は甚大だ。周囲は夥しい血痕が飛び散り、生きているか死んでるかも分からない人々の倒れた姿は、敵味方の区別などつかない有様だった。


 いつの間にかセレスト博士も姿を消している。ここにこれ以上の長居は無用のようだ。


「動けるものから先に出口へ! 負傷者は我が部隊の男達に運ばせましょう」


「……助かります。さぁ急げ! 直にここは水没するぞ!」


 クラネスの号令で生き残った人達が一斉に移動を開始する。仮面の従士達も俺たちとは反対方向へと速やかに撤退していくようだ。

 既に天井の岩盤からは湖底から漏れ出ている水が雨のように降り注いでおり、一刻も早く脱出しなければと焦りを覚える。耳障りな岩盤を掘り進む音が耳朶を撃ち、俺は思わず耳を両手で塞いだ。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 再び独房区画へと大所帯で戻ってくると、心配して待ってくれていたらしいアクエスとセシルが俺たちに駆け寄ってきた。

 重傷者も多く、流石にセシルは青ざめた表情を隠そうともしない。


「なんですか……これは」


「話は後だ、セシル。もうすぐこの深層領域は水没する!! 急いで地上へ脱出しないと――」


「本当だ。この奥から大量の水が天井から漏れ出ているのを感じる。――このままここにいるのはマズいかも……」


 アクエスは引き締まった表情で独房区画の向こうに視線を向ける。

 水属性の術師では無い俺でも、背後から伝わってくる大量の水が押し寄せてくる気配に身震いする。既に足元は水びだしのような状態で、地底湖が急激に増水しているのが嫌でも分かった。


「重傷者を優先し脱出を開始します。ローレライの門を閉じさえすれば、浸水する水も堰き止められるはず……です」


「ん……殿しんがりは私達、連換術師が務める。親衛隊とナーディヤさんの部隊は先に行って」


「危険な役目を負わせてしまい申し訳ないですわ、セシル殿下、アクエスさん。動ける者は負傷者を運び出しなさい!」


 ナーディヤさんの号令により、ようやく全員総出の脱出が開始される。

 今までもそれなりに身の危険を感じることはあった。けれど、桁違いだ――――――。

 帝国国内でも精鋭と呼ばれる親衛隊とラサスムからの援軍が加わっても、太刀打ち出来ないなんて。根元原理主義派アルケー……どこまで得体の知れない秘密結社なのか。


「シエラは先にあの親衛隊の二人と脱出してもらったから安心して」


「ああ、ありがとうアクエス。何から何まで……」


「礼なら後でいい。それより……」


 走りながらアクエスは地面に目を向ける。いつの間にか水位は足首が浸かるほどにまで増えていた。どおりでさっきから足が水に取られて思うように駆け抜けられないわけだ。


「出口まで後どれくらいなんだ?」


「体感で300プラム以上ですね。ですが負傷者を優先して運んでもらっているのでこの速度では……」


「心配無用。水場は水の連換術師の独壇場。……と言いたいところだけど、この水量の増加具合だといつ鉄砲水が飛んでくるか分からない。だから30プラム間隔くらいで水を堰き止める壁を作る」


「壁!? 土の連換術師じゃあるまいし、そんなのどうやって!?」


「作るのは水圧の壁。水は流体だけど圧力はかかるようになってる。だから、連換術で水圧を高めに調整した水の隔壁を設置する。これで隔壁の水圧が負けない限り、浸水にも耐えれる……はず」


「妙案ですね。上手くいくかどうかはわかりませんが、試してみる価値はありそうです……」

 

 アクエスの提案にセシルが賛成の意を示す。走りながら顔だけ後ろを振り返ったセシルはブレスレットに嵌められた深い青色の連換玉を後方に向ける。


 すると通路に満ちた水が形を成すように水壁を作り、足首まで浸かる水を堰き止めた。

 みるみるうちに床の水量が減っていく。これなら、なんとか間に合うか……?


「ぐっ……これは想像以上に身体に負荷がかかりますね――」


「浸水する水の圧力に耐えきれないと判断したら、すぐに術を解除して。増水した地抵湖の深い水圧を連換術で堰き止めるなんて、本来なら無茶を通り越して無謀行為だから。次は私が水壁を展開する……!」


 水壁を展開しているセシルの速度がガクッと落ちる。鍛えてるアクエスはともかく身体能力的には普通の人と大差ない彼女には相当な負荷のはずだ。俺はセシルの前に出ると背中を差し出した。


「乗れ、セシル。連換術を発動し続けたまま走り続けるなんて、いくらなんでも無理がある」


「でも……。アクエスさんが走っているのに私だけ背負ってもらう訳には……」


「私なら平気。父さんから柔な鍛え方されて無いから」


「そういうことだ。ここでセシルに倒れられたら、せっかく上手く行き始めた脱出作戦も水の泡になっちまう」


「……分かりました。その……重かったらごめんなさい」


 セシルは遠慮がちに俺の背中に負ぶさった。さっきまで背負っていたシエラの体重と比べると確かに少し重いが、それでも走れないほどでは無い。

 親衛隊服越しに背に当たるふくよかな弾力をなるべく意識しない、顔に出さないで走り続けるのは、相当な意思力を試されるが今はそんなことを気にしている場合では無い――。


「ん……、30プラム過ぎたかな。殿下交代、ゆっくりと術を解いて」


「……了解です。結合解除!」


 後方に展開されていた水の隔壁が解除される。堰き止められていた水が波を立てて迫ってくるのが見なくても察知出来た。押し寄せる水属性のエーテルの量からも、水の量はさっきの倍かそれ以上のようだ。


「元素……結合!」


 続けてアクエスが水の隔壁を展開する。さっきよりも桁違いの水圧を増した水の濁流が高波のように水圧の壁にぶつかり、流体で作られた水壁がわずかに揺らいだのは気のせいだと思いたい……。


「ぐっ……。これ想像以上――」


「大丈夫かよ……。くそっ俺も風で援護出来れば――」


「……平気。グラナは殿下を落とさないように走り続けることだけを意識して」


 気丈に振る舞ってはいるがアクエスの額からは大量に汗が噴き出している。

 セシルもたった一回、水壁を連換しただけで激しく消耗している。

 こんな調子で、深層領域を脱出するまで二人の身体は持つのか? 

 最悪、アクエスまで倒れることがあれば……。


「三人共!! 無事か!?」


 思わず弱音を吐きかけた時、俺たちを待っていたらしいクラネスと屈強な身体の親衛隊員が駆け寄って来るのが見えた。


「クラネス、お前なんでまだこんなところにいるんだよ!?」


「重傷者の退避があらかた完了したからな。後はお前達と私達が脱出出来れば退却は完了だ」


 アクエスが辛そうに走っているのを見兼ねたクラネスが、親衛隊員に命じて彼女を背負わせる。水圧の壁の向こうは既に俺の背丈ほどの高さまで水嵩が増えていた。


 既にこの深層領域の大半が浸水した水の中へと沈んだのだろう。――もう本当に時間が無い。


「……アクエス、まだ連換術は発動出来るか?」


「後、三回……。ん……最悪二回が限度かも、水圧による負荷が想像以上だった……」


「分かった、二回だな。出口までは後200プラムを切ったはずだ。次に水壁を展開するのは100プラム切ってからにしよう。それまで耐えれるか?」


「……頭がおかしくなりそうだけど、頑張ってみる」


「それと一つ思いついた。元素解放!」


 俺は走り続けたまま、風の連換術で作った風溜まりを後方に設置する。

 風圧を高めた風を水壁に向かって吹かせ、擬似的に大気圧のように作用させた。

 これで少しはアクエスにかかる水圧の負荷が軽減出来ればいいが――。


「ないす、後輩。……少し楽になった」


「そりゃ良かった、先輩。ただ地下だけあって風の元素も風属性のエーテルも長くは持ちそうに無い。急いで出口まで駆け抜けるぞ!」


 決死の脱出劇は未だ続いている。迫りくる水の恐怖と戦いながら俺たちは出口に向かってひたすら走り続けた。

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