六十九話 ローレライの伝承の真実

「始まったようだな」


 皇都から離れた大河の中流域『ローレライの巨岩』の周囲には灼炎を始めとする根元原理主義派アルケーの構成員が、とある装置の設営を急ぎで行っている真っ最中だった。

 セレスト博士が発明したこの円柱形の装置の名は『エーテル励起装置』と呼ばれるもの。

 周囲100プラム(1プラムは1M換算)に渡って、大気に介在するエーテルの霊格を一段階引き上げるという代物であった。


「……この巨岩に第二空想元素が?」


「ローレライの伝承は単なる事故として解釈されがちだが、因果関係ははっきりしている。悲劇の歌い手である当時の水の精霊の巫女により、聖人が封じていた空想元素が暴走したのだろう」


 巨岩より少し離れた岩場に灼炎とヴェンテッラが、仮面の従士達の働き振りを監視していた。

 皇都に水の精霊の印を刻む根元原理主義派の計画も最終段階に入っている。

 影によって拠点の所在が殿下に知られたのは誤算だったが、計画遂行に特に支障は無い。


「深層領域の拠点をこうもあっさり放棄するなんて、殿下やラサスムからの客人も流石に予想外でしょうね」


「御神体を解き放つのだ。多少の犠牲は目を瞑って貰わねばな」


 灼炎は今まさに事態が進行している皇都の方角に目を向ける。

 遠目からでも皇都を取り巻くエーテルの色が変色してきているのが如実に分かる。

 四大属性のエーテルが反発し合い、皇都中に張り巡らされた水路が呼水となって蜃気楼を生み出していた。

 広大な皇都を覆う透明な硝子で出来た円形の壁は化学の実験器具を模した巨大な檻。


 底から炎を当て内部の水を熱するかのように、皇都内の気温が急速に上昇していく。

 

 『フラスコ』。それは深層領域で眠る水の精霊の御神体を目覚めさせ、天にも昇る間欠泉のように遥か空の彼方に打ち上げる発射台。……点火剤は皇都に住まう全住民の生命エーテルだった。


「マグノリアでの計画は英雄と聖女に妨げられましたが、今回ばかりは何も手出しは出来ぬでしょう」


「——————そうだといいがな」


 ヴェンテッラの計画の成功を確信するかのような言動に、灼炎は曖昧な返事を寄越す。

 盟主である強欲の化身クピドゥスがどこまで予期していたかは、流石に灼炎でも預かり知らぬこと。しかし、聖女の誘拐が『死の商人』の独断で行われたとは考えにくい。


 であるとすれば、別のイデアの使徒による思惑か……。それとも——。


(あるいは……。結社内に裏切り者がいる——————といったところか)


 根元原理主義派アルケーという大層な名の組織ではあるが、統率が取れているわけでは無い。盟主からしてあの有様なのだから当然なのだが、人では無い者の思考ゆえにあの強欲の化身である幼女の狙いなど分かるはずもない。


 今後の動き方に支障が出なければいいが……と灼炎は珍しく溜息を吐いた。


「——お疲れのご様子」


「無用な気遣いだ。それより……ヴェンテッラ」


「なんでしょうか」


「お前の仮面アイマスク、割られたと言ってたな。替えは届いたのか?」


「いえ、ですが代替品でも十分記憶を封じ込めるのは可能かと」


「ならいいが。……万が一、宿主と深く共鳴する生命エーテルを持つ者と接触した場合、お前の人格が消失する可能性もある。——あり得ないだろうが、マグノリアの英雄と鉢合わせするようなことがあれば直ぐに退却しろ」


「——残念ですが、それは出来ません」


 灼炎の己を案じる心遣いを、ヴェンテッラは力強く跳ね除ける。

 岩場の影、二人以外は誰もいないその空間に、二人のシルエットが重なって映し出されていた。

 ——男女の逢瀬のように、唇を交わし合う二人の大人の姿が。


「私をあの暗い闇の中から救ってくれたのは貴方です。灼炎様」


「…………」


「この身体は既に私のもの。例え英雄のエーテルと共鳴して本来の人格が目覚めようと、この手でその息の根を止めてみせます————」


「……無茶だけはするなよ、ヴェンテッラ」


 フードで顔を隠した灼炎の表情は伺い知れない。

 されど、冷酷な彼が滅多に見せることが無い己に向けられた愛情に、古代語で『風』を関する名を与えられた女は、その身を情愛の焔で焦がす。

 熱を帯びたその感情は、さながら砂漠に吹き荒れる熱波のようだ————と、ヴェンテッラは胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。


「俺はこれからラサスムに向かう。———お互い、無事に再会出来ることを願っている」


「かしこまりました。——————必ず」


 次の瞬間、灼炎が立っていた場所には焔が爆ぜたような火の粉の残滓が舞っていた。

 手を伸ばし、火の粉を両手で包むように受け止めるヴェンテッラは、未だ熱の残る胸にそれを押し当てる。


「貴方となら例え冥府の底であってもお供いたしましょう————灼炎様」

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