六十六話 浄化の刃

「はあっ!」


 鋭い踏み込みで距離を詰めたシエラが俺の胸めがけて掌底を放つ。

 思えば過剰な程、俺を師匠と慕う愛弟子と、こうやって拳を交えることになるなんて考えたことも無かった。連換術の基礎を教えると同時に師匠仕込みの体術の手解きをしていった訳だが、幼少期に帝国北部の寒村で野山を遊び場にして育ったシエラは、生まれ持っての武術センスも持っていたようで、一月もしない内に基本動作を確実にこなせるようになっていた。


 体術とは非力な女性でも使い方次第で男性相手に勝てるほどの汎用性がある。

 男性と違いしなやかな女性の身体が適しているのは、相手の腕や脚を絡めとる柔術だ。

 最近では護身術として帝国でも広まりつつあるこの体術は、素早い身のこなしを得意とするシエラと相性は良い。


 ——油断すればこちらの腕や脚を折られる危険性があるほどに。


「……どうして攻撃を仕掛けてこないのです?」


「弟子とのかかり稽古ならともかく、女の子を殴ることなんて出来ないっての——っと!?」


 両足の間に差し込まれた弟子の右足に引っ掛けられ、転倒しそうになるのをすんでで回避する。危ない、危ない……。危うく内股を決められるところだった。

 エーテルによる精神汚染でどのような精神状態かは分からないが、身体動作を観察する限り、むしろ普段の稽古よりも動きのキレがいい。

 今のシエラはクピドゥスによってある種の洗脳を受けているのだろう。普段ならここまで大胆に技を仕掛けてくること無いからな……。


 それに距離は離れてるし風の連換術で派手にぶっ飛ばしたものの、あの強欲幼女がこのまま静観するとはとてもじゃないが考えられない。

 なんとかしてあの指輪に嵌められた連換玉を外すか壊すかしない限り、シエラを正気には戻せないはず——。


 攻撃を躱しいなし続ける俺に、業を煮やしたのかシエラはローブの裾を裂いて健康的な脚を露わにする。皇都に来たときは動きやすい格好をしてたし、それに今の彼女に暑苦しいローブ姿ははっきり言って似合っていない。


 そう考えると……根っこの部分で愛弟子は何も変わっていないことに気がついて、自然と笑みが零れた。


「そのにやけた顔……不快ですね。何がおかしいのです?」


「悪い、悪い。……どんなに心変わりしたところでシエラはシエラのままなんだなぁ、と思っただけだ」


「——意味不明、理解不能です。何度も申し上げてますが私は——」


「聖女の依代様……だろ。とはいえ流石に俺にも譲れないものがあるからな。その人格は元からあったものなのか、それとも誰かに植え付けられたものかは分からない。けれど……シエラは返してもらう」


「また訳の分からないことを……。お遊びは終わりです、本気でやらせていただきます——!」


 シエラの目付きと雰囲気が一変した。生命エーテルと赤黒く変色した青い連換玉が直結し、連換術の発動準備を整えたようだ。


「元素結合!!」


 掛け声と共に空気中に視界が塞がるほどの水蒸気が生み出される。

 皇都に来る途中、暴走した汽車を止める為に踏み込んだ機関室の惨状を思い出した。

 あの時と同じように異なるエーテルの属性が反発し合う奇妙な感覚もだ。

 まさか、あの連換玉はシエラが使えるように調整された白い連換玉なのだろうか?


「隙あり!」


「なっ……背後? いつの間に——」


 エーテルの反発によりシエラの気配を見失った直後、背後から殺気を感じて咄嗟に後ろを振り向いた。流水を棒状に固めたような形状の棍で殴りかかるシエラの一撃を翡翠の籠手で弾く。


 流体そのものの棍は攻撃する瞬間だけ実体化するらしい。川底に落ちた石が水の流れで運ばれるかのように、奇妙な感触だけが左腕に残る。


「頭の後ろに目でも付いてるかのような反応速度ですね——」


「そっちこそ、霧で視界を閉ざしたとはいえ気配遮断して後ろに回り込むなんてやるじゃないか?」


 余裕を見せつけるように振る舞うが、さっきのは危なかった——。

 防げたのは本当に勘としか言いようが無い。何故なら、シエラの気配は攻撃を仕掛けるその瞬間まで、一切感じとることは出来なかったのだから——。


 どういう絡繰だ? 一瞬で背後を取られたことといい、自らの身体を霧と一体化させるようなことでもしなければ——。

 そこまで考えて先刻、クピドゥスに呼ばれて姿を現した瞬間が鮮烈に思い起こされる。

 あの時もこの場に現れるまでシエラの気配は微塵も感じられなかった。


「ですが、二度目はありません。たわけたことしか言えないその口、永遠に閉じさせていただきます——」


 再び霧に隠れるようにシエラの姿が視界から消える。いや……身を隠すのではなくて、霧と同化していたような、そんなこと連換術で可能……なのか?


 迎撃するには、シエラが姿を現したその一瞬で気配を感じ取らなければならない。

 武聖との試練で開眼したあの感覚を即座に体に馴染ませる。

 全身から力を抜き自然体に。流れる大河を意識した青龍の型の構えを取り、視覚を遮断して感覚野を研ぎ澄ます——。


 目を瞑ったことで浮き彫りになる周囲のエーテルの異常。地上以上に満ちている四大属性のエーテルがそれぞれ活性化し反発し合っているのが手に取るように分かる。火は水と、風は土とが反発しあい、まともな感覚ならどれがどのエーテルか判別することすら不可能だ。


 ——だがその中でも明確に違う気配を捉える。水属性のエーテルの影に隠れるように、こちらに接近する明確な意思を持つ何かを。


「……! そこだっ!!」


「嘘!? なんで分かるの!?」


 右側面から襲い掛かろうとしていたシエラの叫声が耳朶に届く。

 振り下ろそうとしていた棍を籠手で受け流し、そのまま流れるように持ち手を蹴飛ばす。

 俺の意思に応えるように籠手の手甲から伸びた刃を、シエラの右手に嵌められた指輪目掛けて振り抜いた。


「しまっ……」


「よし……。連換玉が砕けた——」


 エーテルで形成されたなけなしの『聖浄化』の力を乗せた刃が、エーテル汚染された連換玉を両断する。悪しき気配が雲散霧消するように掻き消えて、青い連換玉は音もなく崩れ去った。

 糸が切れたようにその場に倒れ込むシエラの身体を、慌てて受け止める。

 シエラを蝕んでいた汚れたエーテルもさっきの一撃で浄化できたみたいだ。

 離れ離れになって四日……やっとこの子を助けることが——————。


「流石にそれ以上は虫が良すぎるんじゃない? グラナ・ヴィエンデ」


「……! 水銀の刃——」


 飛来してくる固形化した水銀を左に飛んで交わす。ブーメランのようにくるくると回転する刃は、持ち主であるヴィルムの大鎌に液状化して一体化した。

 神隠し事件の時は逆手に取った技をどうやら磨き上げ昇華させたようだ。

 差し詰め『回帰する水銀みずがねの刃』と言ったところか——。


「……すこーしばかりお痛が過ぎるようじゃのう? 落とし子よ。温厚な妾でも流石に怒りを抑え切れんわ」


 足止めされてる間に体勢を整えたらしいクピドゥスは、幼い外見に見合わない底冷えのするような低い声で俺を威嚇する。金色の瞳は蘭々と怪しく瞬き、目を逸らした瞬間に喰われるような——そんな有りもしない想像が頭をよぎる。


 ここで手間取る訳にはいかない。この深層領域は奴らの皇都における拠点。

 いわば敵陣真っ只中。なんとかして逃げ切らないと——。


「かかっ、ここまで暴れたことは褒めてやろう。じゃが、時間切れよ。それ以前にどうやってここから逃げるつもりなのじゃ?」


「——知るか。これ以上、てめぇらの訳わからん話に付き合わされるのも、俺の愛弟子を好き勝手されるのもごめんだ。どかねぇっていうんなら力づくでも押し通る!!」


「啖呵切るのは結構だけど……。ってあれ? 何、この大勢の足音と剣戟の音?」


 ヴィルムが不愉快そうに背後を見やると、螺旋状の仕掛けで閉ざされた大扉が勢いよく開いた。敵の増援……と睨んだその先には——。


「後輩!! 無事!?」


「この大馬鹿者!! どれだけ心配をかけるつもりだ!? グラナ!!」


「アクエス? それにクラネスまで……? どうやってここに——」


 扉が開く時間を待つのも惜しいと言わんばかりに大広間に飛び込んで来たのは、屈強な男達の軍勢を従えたアクエスとクラネスの姿だった。

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