六十五話 それでも手を伸ばすことだけは諦めない

 水の精霊の御神体に注ぎ込まれる七色のエーテル。シエラの生命エーテルと思しきそれは、共すれば彼女の身体から全て絞り出される勢いで流れ出していく。

 流れ込んだエーテルを取り込んだ御神体が淡く発光する。――直後に強烈な頭痛が俺を襲った。体内の生命エーテルが極端に低下している時に起こる、『エーテル酔い』のように気分が悪くなる。


「ぐっ……なんだよ――これ……」


「動くでない。あの御神体は眠りから目覚めようと周囲のエーテルを貪るように取り込むのよ。放っておけばここら一帯、人どころか生ける者全てのエーテルを吸い尽くすじゃろうて。ただ、聖女と関りが深いだけあって七色のエーテルはやはり好物なようじゃのう」


 クピドゥスが倒れた俺の身体の上によっこらしょ……と腰掛ける。こいつ、人を椅子かクッションかと勘違いしてるんじゃないだろうな……。俺の背後に監視するように立っていたヴィルムも、気分悪そうに顔面が蒼白になっている。


「げー……。なんで僕までとばっちり受けなきゃいけないのー? 盟主様、やるならそうと言ってくれない――?」


「たわけ。これはお前の調整も兼ねておるのよ、ヴィルム。――それに御神体を起こすにはその男子にあらざる歌声が必要じゃからな」


「……どういうこと? 確かに僕の声帯は『ローレライ』と同じとセレスト博士に言われたけど?」


 二人の会話が段々と聞き取れないくらい……気分が悪くなってきた。

 このままじゃ、確実に意識が落ちる。シエラは目の前にいるんだ。あともう少しでその手は届くんだ――。この千載一遇の好機を逃すことなんて出来ない。


 ……動けよ、身体。せめて、奴らに没収された可動式籠手さえあれば――。

 連換玉が無ければ、連換術は使えない。今の俺は少し武術に通じた無力な人間。

 でも、だからってこんなところで諦めて――。


(……ったく、だらしねぇ野郎だ。これしきのことで手も足も出ないとは――)


 その時、朦朧とする思考に何処かで聞いた小生意気な声が聞こえた。

 周囲を見回すと目の前にふわふわと宙に浮く子供らしきものが見える。

 こいつは……モスクでお祓いをしてもらった時に、夢の中で現れたあの時の精霊……か?


(あれだけ大口叩いといて、随分と無様だな? 親友として悲しくなるぜ)


「はっ……てめぇみたいな口の悪い親友なんぞいねぇよ。用が無いならとっとと失せやがれ」


(素直じゃねぇ奴だな、お前は。懐かしいエーテルに誘われて出てきてみれば、ミルネの奴、随分と変わり果てた姿になってやがるし)


「なんのことだよ?」


(……こっちの話。で、どうすんだ? 幼女の振りした化け物にいつまでいいようにやられてるつもりだ?)


「なんとか出来るなら、とっくにそうしてる――。せめて連換玉さえあれば……」


(あ? そんなもの無くてもお前なら出来るだろ? あの夢の中で俺に放った風の力はただのまぐれか?)


 さっきからこのガキは何言ってるんだ? ここは現実だ。夢の中で出来たからってそんな連換術の原則を越えた力の行使なんて出来る訳が――。


(――連換玉ねぇ。昔の元素使いはそんなもの無くても、自在に力を行使出来たはずだが……。大河の中流域あたりに巨大な元素の塊を感じるな。これは七色石に収められていた空想元素ってやつか? ――エステルの奴、しくじりやがったな)


「――さっきからぶつくさと煩わしいのう。落とし子よ、何と話しておるのじゃ?」


 しまった……。この強欲の化身に見つかったが最後、こんなガキのような木っ端精霊はいいように弄ばれるだけだ。俺は独り言だ……と痛い奴扱いされるのを覚悟で奴の興味を逸らす。


(頭の中で思考しな。それで十分精霊との会話は成り立つ)


(……分かった。それで、どうすれば連換玉無しで連換術を使えるようになる?)


(そんなの簡単だ。大気と自らの生命エーテルを直結すればいい。四大元素は星を形作る力の一端。昔のお前は無意識に出来たはずなんだがな。どうやら力が暴走し過ぎないように誰かに押さえ付けられたようだ)


 それは師匠が身体に叩き込んでくれた玄武の型を指すのだろう。四象の神気で人に在らざる力を封じ込める行為。超常の存在へと変貌しつつあった昔の俺を、師匠は東方の武術知識で人として繋ぎ止めてくれた。


 大気と己を繋ぐ超越者の感覚。武聖が教えてくれた四象の神気と同じようで異なる理。

 何故、俺にこのような力が使えるかは分からない。それは、今知るべきことでも無い。

 けど、その力がこの窮地を切り開く鍵となるのであれば――。


(覚悟は決まったようだな――。特別にこの俺様が力を貸してやる。あそこにいるお前の弟子、助けたいんだろ?)


(当たり前だ、あの子は――)


(やれやれ、エステルの奴――とんだ置き土産をして逝っちまったもんだ。お前の利き腕を差し出しな)


 言われるまま、俺は左腕を精霊の前に持ってくる。クピドゥスは御神体の変化に興味深々のようで、俺と精霊のやり取りに介入してくる様子は無い。精霊が右手から微風を吹かせ俺の左腕に纏わせた。風はエーテルと結合し、見慣れた形状を形作る。これは……籠手か? 翡翠を削り出したような美しい形状をしているが。


(風の元素を宿した特注の籠手だ。それがあれば、お前たちが連換術と呼んでる元素を扱う術も行使出来るだろうさ)


「いいのか? こんな貴重そうなもの」


(道具は使ってなんぼなんだよ。急がないと御神体が目を覚ますぞ。――精霊と人を結合するなんて馬鹿げてるにもほどがある――。誰がこんなこと……)


 子供の姿をした精霊はそれだけ言い残して姿を消した。

 いつの間にかエーテル酔いは治まっており、怠かった身体も問題無さそうだ。

 俺が動き出そうとした時、ようやく俺の異変に気づいたクピドゥスが驚くような声を上げた。


「……なんじゃ? それは? 落とし子よ、それを何処で、いやいつの間に……」


「悪いが椅子の役目はこれで終わりだ! 元素解放!」


 俺を中心に突如吹き出す強風で宙に吹き飛ばされる幼女の絶叫を背後に置き去り、限界まで生命エーテルを御神体に注ぎ込もうとしているシエラに向かって疾風のように駆ける。


 御神体を取り囲む七色のエーテルは不気味に鳴動しており、いつ何が起きるか分かったもんじゃ無い。玉座が大広間の中間地点として、更に奥に見える台座までの距離を飛ぶように跳躍して距離を詰める。――変わり果てたあの子の手を今度こそ離さないと、その一心で前へと飛ぶ。


 今にも倒れそうに膝をつき御神体に祈りを捧げているシエラに――やっと手が届いた。


「貴方……さっきの?」


「エーテルの放出を今すぐ止めろ、シエラ。それ以上は命に関わる――」


「意味が分かりません――。私は聖女の依代、いくらでも替の利く人形にしか過ぎないのです。私の使命は盟主の命に従うことのみ。邪魔をされるのでしたら――」


 伸ばした手が再び払い退けられる。敵意を孕んだシエラの翡翠の瞳は黒く濁っていた。

 指輪に嵌められた青い連換玉もよく見れば、赤黒く濁っている。これは、まさかとは思うが精神が澱んだエーテルで汚染されているのか? 聖女の丘で街に吹き荒れる変質した聖女のエーテルを祓った後、シエラに宿る聖女の力の一つ『聖浄化』はいつの間にか使えなくなっていた。


 まさか、あのシエラがエーテル汚染されるなんて――。


「お前がそんな風に変わったのも、元凶はその指輪に嵌められた連換玉の影響か?」


「――盟主様より賜った祝福の玉です。これ以上、主への冒瀆は許しません」


 静かな怒りの感情を見せるシエラからは相変わらず生気を感じ取ることが出来ない。

 そして彼女は、俺が教えた構えを敵意剥き出しのまま取り臨戦体勢に移る。

 ――どうやら、戦うつもりのようだ。


「待ってろシエラ。今、助けるから……!」


「いつまでも世迷言を――。人違いも度を過ぎればただの迷惑、成敗させていただきます」

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